ある奇人の生涯

55. 明かされたモリスの真意

BBC日本語部局の人材探しのほかにGHQ主導下の戦後日本の改革の様子を取材する仕事も兼務していたモリスは、翌日から石田を行く先々に同伴した。モリスは都内のホテル2、3箇所のほかに英国大使館3階の一室を常宿にしており、それらの場所に宿泊する場合も石田を必ず同伴した。時折東京以外のところへと出向かなければならないときにも常に石田と一緒だった。だから石田はとりあえず日々の宿に困るようなことはなかった。モリスの真意は石田を自分の秘書兼通訳にすることではなかったが、そうとは知らぬ石田は行く先々で誠意をもって、しかも驚くほどに手際よくモリスの仕事を手助けした。そのために彼に対するモリスの評価と信頼はゆるぎないものとなっていった。

モリスに随行することができたおかげで、進駐軍の高官らの陣取るGHQ本部や進駐軍の各種特別施設、各国大使館といったような当時の一般日本人にはほとんど出入り不可能なところへも足をのばし、その内部の様子をつぶさに目にすることもできた。英語以外の外国語にも通じた石田の抜群の語学力はそんな時にも絶大な威力を発揮した。上海での生活で外国人への応対にはそれなりに慣れてはいたが、軍属主体の外国人の慌しい出入りやその仕事振りを間近に見るのは初めてのことだった。だから、その有様は善い意味でも悪い意味でもたいへん興味深く感じられてならなかった。

そんな体験を積むなかで、幾人かの人物とのほとんど擦れ違いにも等しいような出逢いもなどもあったりした。ただ、石田と年齢の近かった彼らが高名を馳せるようになるのはそれからずっとのちのことで、当時はまったく無名の存在だったから、お互い軽く挨拶の言葉を交わした程度でそれ以上深く付き合うようなことはなかった。

真珠湾攻撃直後、米国は急遽カリフォルニアのバークレイに海軍日本語学校を設け、全米の大学から日本語に関心のある優秀な学生を募って徹底的な日本語教育をおこなった。戦時中、彼等は情報将校や通訳官あるいは翻訳官として前線に配属され、日本軍や日本政府関係の情報分析にあたったり、日本人捕虜の訊問を担当したりした。また、終戦直後の一時期まで連合国軍所属の日本語専門担当官として日本の民主的改革と再建とに尽力した。

このバークレイの米海軍日本語学校出身者のなかには、日本語専門の軍属となったことがきっかっけで日本文化に多大の関心を抱くようになった者もすくなくなかった。そして、そんな彼らのほとんどの者が、のちに著名な知日家、親日家となり、日本文化を海外へと紹介するために多大の貢献をするようになった。まだ若かったそんな彼らのある者たちは、たまたま日本滞在中のジョン・モリスが戦前日本の大学で講義をしていた大の日本通であり、また英国きっての日本語学者で源氏物語の英訳者でもあるケンブリッジ大学教授アーサー・ウィリーの知人でもあると聞き知って、一時的に情報の提供や様々な相談をもちかけてきたりもした。

それらのなかには、アッツ島、キスカ島での軍務を経て中国の上海、青島に渡り、それのあとしばらく日本に滞在、ホノルル経由でいったんコロンビア大学に戻り、さらにはアーサーウィリーの門を叩いたドナルド・キーンと名乗る若者なども含まれていた。むろん、それは、のちに日本文学研究の大家として国際的にも広く知られるようになったあの著名な人物の若き日の姿にほかならなかった。

当然、ジョン・モリスは日本政府の関係者と会い、目下の国内情勢について彼らの見解を訊くために議事堂やその周辺省庁にも足を運んだ。また、いくつかの日本の大学にも顔を出しその実状を視察もした。日本語もそれなりに得意なモリスではあったが、煩雑かつ難解な公文書や日本語の微妙なニュアンスなどが大きな問題となる時などは、的確な石田のサポートやアドバイスによってずいぶんと助けられもした。

石田がモリスと出逢ってから3、4週間ほど経ったある日の夕食時のこと、モリスは威儀を正すようにして、突然驚くような話を持ち出した。むろん、その席での二人の会話は英語でなされたのだが、日本語になおすとその内容はおよそ次ぎのようなものであった。

「石田君、いきなりの話なんだがね。君、私の勤めるBBCの日本語放送部局で働いてみる気はないかね?」

「はあ?、BBCの日本語部局で働くっていいますと、日本から定期的になにか取材レポートでも送るとかいったような仕事を担当することになるんでしょうか」

石田はモリスの言葉の背後に隠された真意を掴みかね、いささか戸惑ったような様子でそう応答した。

「いや、違うんだよ。君にロンドンのBBCに来てもらい、そこの日本語部局のスタッフとして働いてもらいたんだよ。日本向け放送の翻訳者、放送記者、アナウンサーなどとしてね。どうだろう?」

その言葉を聞いた石田は、一瞬、おのれの耳を疑い、しばし返事に窮する有様だった。たとえ一時的なものとはわかっていても、モリスの秘書兼通訳として働かせてもらっているだけで当時としては幸運このうえないこといえた。だから、ロンドンに渡ってBBCのスタッフとして働くなど夢のまた夢ともいうべき話で、そんなことを言われても悪い冗談としか受取りようがなかったからだった。

「君が驚くのも無理はないんだけどさ……まあ、実を言うとね、BBC極東統括責任者として今回僕が来日したいちばんの目的は、BBC日本語放送部局のために若い有能な日本人スタッフを探すことだったんだよ」

意外な事態の展開に半ば呆気にとられている石田に向かってモリスはさらに言葉をつないだ。その表情は真剣そのものだった。

「君に出逢った時点ではまだBBC本部のほうが最終決定を下していない段階だったのでそんな話はしないできたんだがね……。でも、2、3日前にBBCの本部からも正式に人材の確保をするようにとの指示があったので、あらためて君にそのことを伝えようと思ってね」

「でも、僕は大学も出ていないことですし、それにモリスさんの日本の大学での教え子などにもっと適任の方がいらっしゃるのではないでしょうか。一応旧制高校は卒業していますが、その程度の無学な僕なんかにはそんなだいそれた仕事などとても務まりそうにないんですが……?」

不意の話に戸惑ったせいもあってのことだったのだろうか、人生の転機においては呆れるほど大胆に振舞ってきたあのいつもの石田からすると、それはなんとも謙虚な応答振りであった。すると、モリスは、まるで一語一語かみしめるような口調で彼に向かってさらに言い寄った。

「学歴なんてまったく関係ないさ……問題なのは現在の実力なんだよ。お堀端で出逢ってからこれまで何週間かにわたって、君の語学能力はむろん、その他放送局スタッフに必要な資質や人柄などをそれとなく確かめてきたんだが、すべての合格点をあげられると思うんだ。そんなわけで君はBBC日本語部局での仕事に適任だと判断したような次第なのさ。もちろん、幾人かの大学の教え子たちにもあたってはみているよ、でもねえ、君みたいな人材はなかなか見つからないんでねえ」

モリスのその言葉の響きにはどことなく有無を言わさぬものが感じられた。

「そのお話をお引き受けするかどうか、いますぐこの場で決断しなければならないのでしょうか?」

「もちろんだよ。日本には『善は急げ』っていう諺があるだろう。それでなくてもビジネスチャンスというものには即断即決が不可欠だよ。そんな質問をするなんていつもの君らしくないよなあ……」

どこか諭し促すようなモリスの言葉を耳にして一瞬沈黙した石田は、そのあと相手の顔をじっと見つめなおすと、覚悟を決めはっきりとその意思を表明した。

「わかりました。そこまでおっしゃってくださるなら喜んでお引き受け致します。ただ、モリスさんにとって、『急いては仕事をしそんじる』なんていうような結果にだけはならなければよいのですが……」

「OK!、これで無事交渉は成立というわけだ。それにね、君のその心配は無用だよ、まんいちそんな事態になったりしたら僕も責任をとっていさぎよくBBCを辞めるだけのことさ!」

石田のそんな返事を受けてモリスはきっぱりとそう言ってのけたのだった。

「それで、僕はこれからどんな準備をすればよいのでしょう?」

いささかこころもとなげな石田のそんな問いかけに、モリスは補足するように言葉を添えた。

「BBCの指示してきた条件は、日本語放送部局のスタッフとして有能な独身青年で向こう何年間かロンドンで働ける人物ということだから、身軽な君の場合にはとくにこれといった問題はないだろう。あとはマッカーサーから出国許可をとりつけるだけさ」

「ではマッカーサーに即刻出国許可の申請をしなければなりませんね」

「僕がGHQの関係部局にBBCサイドの事情をちゃんと説明し、君の出国許可申請理由の裏付けに一役買うつもりではいるから、その点については安心したまえ」

「ありがとうございます。ではよろしくお願い致します」

「もうすこししたら僕は帰国しなければならないんだけど、その時に君をロンドンに同伴することができればすべての意味で好都がよいと考えてはいるんだがね」

「そうですね。イギリス国内の事情はまったくわかりませんし、イギリスに渡るまでに経由するいろいろな国々の様子などについてもほとんどなにも知りませんから、モリスさんと一緒なら心強いかぎりです」

いったん話が決着をみたところで2人はあらためてグラスにワインを注ぎなおし、お互いの前途の幸運と飛躍を願ってグラスを重ね合わせた。

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