ある奇人の生涯

110. スエズの想い出とともに

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

石田の乗る貨客船は、さまざまな国々の思惑と利害を秘めるスエズ運河をゆっくりと南下し、同運河を抜けてほどなくスエズ港に入港した。イギリスのサウサンプトンを出港してからというもの、ずっと船内生活続きだったので、いささか退屈もしてきていたから、船がスエズ港に着くと石田はすぐに下船し、まだ見ぬ異国の町の散策に出かけることにした。石田が船を降りる準備をしていると、すでに顔なじみになっていた貨物船の船長が、もし何か買物でもすることがあったら騙されたりしないように注意したほうがよいと忠告をしてくれた。船長のそんな心配りは有り難くもあったが、かつて中国で暮らしていた頃、何度も騙されて痛い目にあったことのある彼には、そんなことなどとっくに計算済みだという思いがあった。

スエズの町の散策は想像していた以上に楽しかった。街中を行くアラブの人々のほとんどは、アフリカ系黒人のそれとも東アジア系黄色人種のそれとも異なる肌の色をしており、彼にとってはそれがとても新鮮なものに感じられてならなかった。白人の姿がほとんど見当らないのも印象深いことだったし、目にする風景や風俗のなにからなにまでが物珍しいかぎりであった。

新聞を売っているスタンドを目ざとく見つけた石田は、競馬の結果やロイヤルファミリーの動向など、昨今のイギリス国内の諸々の情報を知りたくて、ロンドンでいつも読みつけだった新聞を買い求めた。ところが驚いたことに、一部が九ペンスと、その値段はロンドンのそれの三倍もの高値であった。ただ、その新聞代には航空便による運賃が加算されているだろうから、それも仕方がないことかと自分に言い聞かせ、あとで船に戻ってからゆっくり読もうと、買い求めた新聞をズボンのうしろのポケットに差し込んだ。そして、再び町中を歩きまわるうちに、一軒の小さな靴屋の前に出た。なにげなくその靴屋の店頭に立った石田は、色もデザインもとても洒落た上質のなめし皮製のサンダルが並んでいるのを偶然目にとめた。

「これいくら?」と店主に尋ねると、相手が異国人だと知ったその親爺はすぐに答えた。

「20シリングですよ、旦那!」

それを聞いた石田は内心そう高くはないと思った。しかし、船長のアドバイスなども頭の片隅にあったし、吹っかけられた値段を大幅に値切るのは海外での買物の常とわきまえていたから、彼はすかさず応酬した。

「5シリングくらいだったら買ってもいいんだけどね」

「冗談じゃないよ、でもまあ、18シリングくらいにはまけてもいい」

「とてもそんな……、8シリングだったら出してもいいんだけどね」

「おおまけにまけても16シリングというところだね。それ以上は……」

「それはちょっと高いなあ。まもなく船も出港するんで、じゃあもう行くよ」

石田はそう言うと、背中を見せてわざとその場から立ち去るふりをした。すると、うしろからすぐに親爺の大声が飛んできた。

「いいよ、いいよ、それじゃ、10シリングにまけとくからさ!」

「オーケイ、じゃ、包んでくれ」

大声で彼はそう答えながら店頭に引き返した。そして、うまくやったとほくそ笑みながら代金の十シリングを店主に手渡すと、そのサンダルを包んでもらう間、道行く人々の姿を楽しげに眺めやった。異国人客のそんな様子を横目で見やりながら、店の親爺は素早い手つきでくだんのサンダルを包み込むと、ちょっと残念そうな表情を浮かべつつおもむろにそれを手渡してくれた。相手の思惑にははまらず、たった十シリングでよい買物ができたと、石田のほうはいささか得意な気分にもなった。軽く口笛を吹いたりしながら気持ちよさそうになおスエズの街並みを歩き続ける彼の背中を、見るからに異国情緒溢れるアラブの太陽が明るく暖かく照らし出した。

スエズの町の風物を十分に楽しんだあと、石田は貨物船へと戻るために水上バスの一種、サンパンに乗った。そのサンパンには地元の人々と思われる10人余りのアラブ人客が乗っていて、お互いになにやらぺちゃくちゃと話をしていた。そんな彼らは時折意味ありげな目つきで異国人の石田の顔を盗み見たりしていた。その時、突然、トルコ帽をかぶったその中の1人の男が立ち上がり、他の乗客を楽しませるために奇術を演じはじめたのだった。男は奇術師で、しかもなかなか見事な腕の持ち主であった。

彼は人々の見守る前で1個の卵を自分の上着のポケットの一つに入れると、そのあとすぐにそのポケットから一羽の雛鶏を取り出してみせた。そしてそのポケットを片方の手で強く叩いて、その中にはもう卵がはいっていないことを人々に納得させた。続いて彼は手にした雛鶏を上着の内ポケットに入れると、すぐさま同じところから大きな1羽の雌鶏を取り出して人々を驚かせた。それはよくある奇術のひとつだったが、なかなか巧みな手さばきと演技ぶりだったので、石田もそれを十分に楽しむことができた。ただ、鶏がらみのその奇術はそこまでで、それ以上に人々を驚かすようなことはとくに起こらなかった。

しばらくすると、その奇術師の男は石田のところに近づいてきて、その片手をいきなり彼の上着のポケットの中に差し込んだ。そして、石田がそこに入れていた何枚かのコインをすべて取り出したのだった。なにかまた手品をやって見せようとしているのだろうと思ったので、その行為に対して石田はとくに抗議もしなかった。幾分警戒はしたものの、次に起こるだろう事態もおよそ察しはついていたので、相手の男のなすがままに身をまかせてた。コインの総額はおよそ15シリングほどで、ペニー硬貨、6ペンス硬貨、シリング硬貨が合わせて何枚かと1枚のハーフ・クラウン硬貨(2シリング6ペンス相当)がその内訳だった。貨物船の船長のアドバイスを想い出したりもしながら、石田はそれらのコインの枚数を正確に記憶した。

その奇術師は、手にしたそれらのコインを見守る乗客たちのポケットの中に1枚1枚入れていった。やがて男の手にあったコインは乗客それぞれの人のポケットの中に入れられて、目に見えるものは1枚も石田の目には見えなくなってしまった。そしてなんと、コインが入れられたはずの人々のポケットの中からもコインは1個残らず消えてしまったのだった。もちろん、石田は、そのあとすぐにそれらのコインを返してくれるようにと奇術師に要求した。

すると、男はいかにも悪戯っぽい笑みを浮かべながら、消えたコインを1枚1枚石田に戻し始めた。あるコインは男の自身の耳の中から、またあるコインは1人の乗客の髪の毛の中からといった具合に、思いもかけないところから次々にそれらのコインは再び姿を現した。呆れたことに、何枚かのコインは石田の靴の中から取り出されたりもした。ともかくも、その奇術の手並みは驚嘆に値するものだった。石田にコインを返し終えた男は、どうだとでも言いたげな笑顔を見せながら、「これで全部ですよ!」と英語で演技の終了を告げた。

しかし、あらかじめコインの種類と枚数を確認していた石田には、それが全部ではないことがわかっていた。ハーフ・クラウン硬貨1枚だけはまだどこかへ消えてしまい返却されないままになっていた。そこで石田は男に向かって最後に残っているハーフ・クラウンをすぐにちゃんと返してほしいと要求した。相手の男はひどくがっかりしたような表情を浮かべはしたものの、自分のトルコ帽の下からそのコインを取り出し、仕方がないといった仕草を見せながらそれを石田に手渡した。すべてのコインが戻りすっかり満足した石田は、見事な奇術ショウに対するお礼の気持ちを込めて、チップとして6ペンスを差し出した。男はそれを受取りはしたが、いまひとつその表情は冴えなかった。どうやら相手はもっと多くのチップを期待していたものらしかった。もうちょっとチップをはずめばよかったかなという仏心が一瞬石田の脳裏をよぎりもした。

ただ、それはそれとして、スエズの町の探訪はなにかと収穫も多く大成功であった。珍しい風物を存分に楽しみながらのんびりと散歩もできたし、たった10シリングで素適なサンダルを入手することもできた。ちょっと高くはあったが、久々に新聞を買うこともできた。おまけに、騙されることもなく、素晴らしい奇術まで楽しむことができた。石田はすっかり満ち足りた気分になり、意気揚々と貨物船に引き揚げていった。

船内の自室に戻った石田は、一休みしたあと、おもむろにサンダルの包みを開いた。包みの中から間違いなく現れた2個のサンダルを目にして思わずほくそ笑んだ石田だったが、次の瞬間、彼は愕然としてそれらのサンダルを眺めやった。色と形はあの店で目にしたものと似ていたが、明らかに安物とわかるまったくの別物で、しかもご丁寧なことに、2個ともに左足用のものだったからである。敵が一枚も二枚も上で、見事にいっぱい食わされてしまったというわけだった。時間があればもう一度あの靴屋に怒鳴り込んでやりたかったが、どうみても時間的にそれは不可能なことだった。相手はそのような事情も見越していたに違いないし、かりにあらためてその店に出向いたとしても、言葉がほとんど通じないことをいいことに、相手は自分に落ち度はないとしらばっくれるにきまっていた。すっかり頭にきた彼は、履こうにも履けない左足用だけ2個のサンダルを手にしてデッキに走り出ると、あらんかぎりの力をこめてそれらを海中に放り込んだ。

再び船室に戻った石田は、こんどはコートのポケットの中からコインを取り出し、その数と金額をあらためて確認し始めた。コインの数も、そのサイズも、そしてそれらのコインの金額の合計もどれひとつ間違いはなかった。だが、しかし、なんということだろう、クイーン・エリザベス二世の肖像を目にするはずであったコインの表面に石田が見出したのは、まるで嘲笑いでもしているかのように彼の顔を見つめながらすわる一匹のカンガルーの姿であった。なんと、それらはみな、大きさも形もイギリスのコインとそっくりではあったけれども、イギリスのコインよりもずっと価値の低いオーストラリアのコインなのだった。また、サンパンでの状況をよくよく想い出してみると、あの時の乗客の一部は奇術師の男とグルだったような気もするし、乗客の全部が常々同様の手口で外国人の旅人を狙っている詐欺師連中だったようにも見えてくるのだった。

またもやものの見事に騙されてしまったことを知った石田は、自らの愚かさに腹を立て、何度も何度も悔しがり、そして、最後にはすっかり落ち込んでしまったのだった。中国で暮らしていた頃はともかく、5年余に渡るイギリスでの生活においてはそんなことはけっして起こらなかった。そのため、知らず知らずのうちに心の奥のどこかになにかしらの油断が生じていたのかもしれなかった。彼は気を取り直すようにして、ズボンのうしろのポケットに差し込んでおいた新聞を手にするとそれを開いて目を通しかけた。ところが、そこに掲載されている記事は既にどこかで読んだ記憶のあるものばかりだった。妙だと思ってその新聞の日付けを確認してみると、なんとそれは1ヶ月も前のものなのだった。遠の昔にロンドンで読んだ新聞を、3倍もの料金を支払わされたうえに、このスエズの地で1ヶ月後にもう一度読まされているという、なんとも情けない有様なのだった。

二重三重にわたるショックのために、石田はしばし泣き出したい思いに駆られた。だが、しばらくすると、自分でも意外なほどの自嘲の笑いが腹の底から込み上げてきた。なんというおのれの愚かさ! それに較べてなんという相手のずる賢さ! なんというその手口の巧妙さ!――いかに自分が自惚れていたかをいやというほどに悟らされた石田は、一連の出来事のすべてを洗い流し、以後の人生にむけていま一度その心を引き締め立て直しでもするかのように、ひとりいつまでも自浄の笑いを発し続けた。

日本やイギリスなどでは他人を騙すのはよくないことだとされている。しかし、歴史や風土、生活環境などのまったく異なる土地にあっては、生き抜くために他人を騙すことは生活の知恵のひとつで、けっして恥ずべき行為ではないのかもしれない。その土地に暮す人々の社会的価値観や生活風習を知らず、自分のもつ倫理基準や行動規範をひたすら信じて行動し、その結果騙されてしまうとすれば、それは騙されるほうが悪いとも言えるのだろう。まして、欧米先進国諸国から植民地としての支配を受け、多大の搾取を被りながら生活苦に喘いできたスエズその他の中東の人々が、欧米諸国やその追随国からやってくる「豊かな旅人」をあの手この手で騙そうとするのは当然の成り行きなのかもしれない。

自嘲の笑いを発するうちに、いつしか石田の心中にはそんな思いが湧いてきたのだった。騙されたとはいっても、なくしたお金はせいぜい30シリング足らずだったから、自分たちが見えないかたちでスエズ運河やスエズの町の人々などから受けている恩恵をおもえば、それは細かな塵埃の一粒にも等しい、まるで取るに足らない金額であった。

皮肉なことではあったが、イギリスから日本への帰途の航海にあって、もっとも石田の心に残ったのはそれらスエズでの思いもかけない出来事だった。彼の乗る貨客船はスエズを出港したあと、紅海からインド洋に抜け、マラッカ海峡を経て母国日本の横浜港を目指した。途中でシンガポールをはじめとするいくつかの港に寄港しはしたが、特別不慮の事態なども生じることなく、船は無事、横浜港に到着した。数年ぶりに踏む日本の土は石田にとってもさすがに感慨深いものがあった。

カテゴリー ある奇人の生涯. Bookmark the permalink.