ある奇人の生涯

103. 徳川小次郎もボロボロに

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

戻ってきた徳川夢声の様子をさりげなく窺うと、予想に反して夢声のほうもまたいつになくしょんぼりとした感じだった。そこで藤倉は、思いきって夢声にパレード実況収録の出来を問いかけてみることにした。

「まずはお疲れさまでした。6月というのに、ひどく寒い荒れ模様の天気にはなるし、なにやかやと規制があって思うように動きまわることもできなかったし、ほんとうに大変でしたね。夢声さんもさすがにお疲れでしょう?」

「いやはや……もうすっかりまいってしまいましたよ」

「実を言うと、私なんか、さんざんの出来だったんですよ。それに比べれば夢声さんのほうは、それなりにはうまくいったんじゃないですか。オックスフォード・ストリートでのパレードの実況収録は如何でしたか?」

すると、夢声はいつもの威勢のよさとはずいぶんと違う、蚊のなくような小声で答えてきたのだった。

「いやはや、それが、なんともたいへんな不出来でしてねえ……」

「それはまた意外なことを……。夢声さんのようなかたでもそんなことがおありなんですかねえ?」

相手の不出来を願うのはけっして潔いことではなかったが、ともすると心の片隅にそんな思いが湧き上がりかけるほどにこの時の藤倉は落ち込んでいた。だから、不出来だったという夢声の言葉を正直なところいささかの救いに感じもした。

「不出来も不出来……お恥ずかしいかぎりの出来栄えでしてね……」

「私なんか、不出来なんていうそんなレベルのもんじゃなかったんですよ。ただもう踏んだり蹴ったりの有様でして……最後はシドロモドロだったんですよ」

「でも、藤倉さんは、ウエストミンスター寺院前のBBC特設放送席での実況収録だったんでしょう?」

「それがですね、実況放送収録とは名ばかりで、その実はテレビを見ながらの実感放送収録というやつでして……。テレビの画像はめまぐるしく切り換わってしまい、戴冠式場内ではいったいなにがどうなっているのか、もうさっぱりわかりませんでした。おかげで、支離滅裂な実況収録になってしまいましたよ」

「なるほど、実感放送の収録ですか……。私のほうも、結果的には手探り放送、いや目探り放送になってしまったんですけどね」

徳川夢声はそこまで言うと、自分の宿泊しているホテルには戻らず、藤倉の部屋の奥にあるデスクに向かい、そこですぐに実況収録してきたテープの試聴と編集作業を始めたのだった。いっぽうの藤倉は、その様子を自室のすこし離れたところで眺めやりながら、さりげなく聞き耳を立てた。巌流島の決闘ならぬロンドン市中の決闘で「我敗れたり」と先に悟った藤倉にすれば、せめて相手の徳川小次郎の剣捌きくらいは自らの目と耳で確かめておきたい気分であった。

テープのリールがゆっくりと回りだし、再生音が流れ始めた。耳をそばだて神経を集中すると、かつては無声映画の名活弁士として鳴らした徳川夢声ならではの名調子の話し声が聞こえてきた。ぶっつけ本番とはいってみても、そこはその時代国内では右に出る者のない話術の持ち主のこととあって、まさに闊達自在、天衣無縫な話しぶりだった。

藤倉武蔵の盗み聴きなどものともしないかのように、やがて再生音声の内容がクライマックスの部分に差しかかった。

「さあ、みなさん、いよいよ金色燦然たる女王様のお馬車がやってまいりました。びっしりと沿道を埋める大観衆から一斉に湧き上がる大歓声!……イギリス国民の誰もがこの日を、そしてこのパレードの時を待ちに待っていたのです。いま、そのお馬車が私のいる放送席の真ん前を通り過ぎていくところでございます」

その録音を聴いた藤倉武蔵は、ちょっと間をおいたあと、アレッ、待てよ?……と首を傾げた。徳川夢声は、実況録音のため、オックスフォード・ストリートに面するデパート、セルフリッジスのショウ・ウンドウに設けられた特別観覧席に陣取っていたはずだった。そうだとすると、そこのショウ・ウィンドウのガラスはとても厚く、防音もしっかりしているから、たとえ相当大きな騒音であっても外の音が聞こえてくるわけはなかった。また、この日、外は冷たい風雨の吹きつける荒れ模様の天候だったのだから、観衆が多かったとはいえ、そんな状況のもとで耳をつんざくような大歓呼が起こったかどうかもいささか疑問ではあった。そこで、そのあとも意識を集中し、しっかりと盗み聴きを続けていたのだが、徳川小次郎の耳に聞こえたはずの群衆の大歓声がその録音テープには全然収録されてはいないのだった。どうやら、「一斉に湧き上がる大歓声」なるものは、徳川夢声の幻聴か、さもなくば、夢声一流のレトリックの産物であるらしかった。

そこまではまだよかったのだが、そのあとに続く録音を聴いた藤倉は思わず吹き出しそうになってしまった。

「……えーっ……つづいてまた、とても立派なお馬車がやってまいりましたが……えーっ……(一瞬絶句)……あーら不思議、なんとこれがまた、女王さまのお馬車でございまして……えーっ、するてーと、さきほど通りましたのは……(そこで、そばにいた誰かの 助け舟らしい低い囁き声が入る)……さよう!、さきほど通りましたのはクイーン・マザー、すなわち女王さまのお母様のお馬車でありまして……、そのう、今度のが正真正銘の女王さまとそのお馬車でありまして……」

こともあろうに、徳川小次郎は二度もエリザベス女王の馬車を通してしまったのだった。名調子というよりはもはや乱調そのものの夢声の声を聴きながら、藤倉は笑いを堪えるのがやっとだった。異国での馴れない放送決闘ということで、自分の刀ばかりでなく相手の刀もボロボロになってしまっていたことを知った藤倉は、なんとも奇妙な安堵感を覚えたりもする有様だった。こうして、藤倉武蔵と徳川小次郎のロンドンでの決闘は引き分け、それも、お互い死力を尽すことができないままの引き分けとなってしまったのだった。

この日、石田は、仲間の放送記者らとともに、バッキンガム宮殿で女王一行のパレードの到着を待っていた。冷たい風雨の日にもかかわらず、宮殿の前には女王の戴冠を祝う群衆が押し寄せ、頭上に王冠を戴いたエリザベス女王の晴れ姿を一目見ようと、パレードの到着をいまや遅しと待ちかまえていた。そして、パレードを終えた女王の馬車が姿を現すと、宮殿前の広場一帯には歓呼の声が響き渡った。その場に居合わすイギリス国民の誰もが、心からエリザベス女王に向かって祝福の声を献げ叫んでいる感じだった。

荘厳な飾りと彩りの馬車から降り立った女王は、にこやかな微笑みを浮かべながら群衆に向かって会釈し、いったん宮殿の中へと入った。そして、すぐにまた、ロイヤルファミリーらとともに、宮殿のお立ち台の上にその華麗な姿を現した。一斉に湧き上がる大歓声はそんな女王を幾重にも包み込み、女王もまた、吹きつける冷たい風雨などまるで意に介してなどいないかのように、いつまでもいつまでもにこやかな微笑みを絶やすことなく群衆の歓呼に応え続けた。

だが、そんな状況のなかにあって、放送記者としてバッキンガム宮殿内の記者席で取材にあたっていた石田は、一瞬、エリザベス女王のいかにも人間らしい一面を垣間見ることになった。長時間宮殿の外のお立ち台に上り大観衆に向かって一瞬たりとも尽きることのない笑みをもって応えていた女王が、一時的に休憩をとるため宮殿内へと引きさがった。そしてその直後のこと、女王は、もうそれ以上寒さを我慢することができないとでも言いげな様子で、王冠の下のその顔をひどくしかめ引きつらせ、冷え切った身体をすこしでも温めようとするかのように、自らの腕をその掌でパシンパシンと何度も叩いたのだった。その意外な姿は、常に美しい微笑みを絶やすことなく国民に接し続けているどこか超人的な女王でさえもまた、生身の人間にほかならいことをなによりもよく物語るものでもあった。

たまたま、そんな女王の姿を目にすることになった石田だったが、けっしてそれを不遜な行為だと感じるようなことはなかった。むしろ、微笑ましくも感じ、また、なんとなくほっとしたような気分になりさえもした。もちろん、エリザベス女王はほどなく元通りのにこやかな笑顔にもどると、再び群衆の前へと進み出ていったのであったが、石田にしてみれば、王族というものの背負うそれなりの大変さをあらためて認識させられるような思いであった。

外大助教授の小川芳男はそのチケット代に当時の邦貨で3万円ほどもの大枚を支払った観覧席で、ともかくも戴冠式を終えた女王一行のパレードを見物することができた。悪天候の中でのこととあっては、世紀のパレード見物といえどもその感動のほどが半減してしまいかねない状況だったが、それでも苦労してその場に臨むことができただけのことはあった。そもそも、このエリザベス女王の戴冠式当日の晴れ姿を直接目にすることができた日本人はごく少数にすぎなかったから、実際の状況を目にしたうえでの感動のほどがどのようなものだったにしろ、高額な観覧席チケット料の一件を含む戴冠式事情のなにもかもが、末代までの語りぐさになるだろうことは間違いなかった。

そこは学者魂旺盛な小川のこと、パレードを見物しながらも、周囲のイギリス人たちに女王についてのさまざまな質問をぶつけたりもした。たとえば、立ち聞きしたその会話の内容から比較的急進的な印象を受けた若い女性に、女王を美しいと思うかと訊いてみると、彼女は「Not at all」と自分なりの率直な答えを返してきた。もっとも、そんな彼女は、お世辞にも美しいなどとはいえない女性だった。そこで、小川はさらに、どうしてこんな大騒ぎをするんだろうという、ちょっと意地悪な質問をしてみた。自分自身がはるばる遠い日本からやってきたうえに、邦貨で3万円もの観覧席料を払ってのパレード見物をしていることなど棚に上げての問いかけだった。すると彼女は「Because she had done nothing wrong.(なぜって、女王は何も間違ったことなんかしていないからじゃないですか)」と答え、そのあと、もしも悪行で名高い女王だったら我々イギリス国民は断固として弾劾するだろうという意味の言葉を吐いた。

もともと、イギリス人というものは、王室の存在を政治にからめて議論することを極端に嫌うのが常だった。それはエリザベス2世を含め、英王室は政治の中心などではなく、英国民のハートの中心なのだと考えられているからのようでもあった。だから、戴冠式の異常とも思われる馬鹿騒ぎに対しても、いささか行き過ぎのところはあるけれども、まあ、その点はどこの国でも同じだろうと笑ってすませられもするということのようでもあった。小川が質問したその女性の返答の真意がどことなく掴みづらいのも、そう考えてみれば十分納得のいくような気がしてならなかった。そして、小川は、ともすると国内政治と強く結びつけて考えられがちな日本の皇室の存在とはすくなからぬ違いがあることを、つくづくと痛感せざるをえなかった。

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