ある奇人の生涯

7. 行き倒れてなお運を掴む

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

「なんとか東京には戻り着いたものの、お金の持ち合わせは皆無に近く、身を落ちつけるべきあてもなかったんです。かつての仕事仲間のところへ顔を出せばまあなんとかなったんでしょうが、さすがにそれは私の美学が許さなかったんでねえ」
「美学っていうのもなにかと厄介なものなんですねえ。媚学だったらよかったでしょうに!」
「唯一当てにできる知人がいるにはいたんですが、訪ねてみると何処かに引っ越してしまっていて、転居先はわかりませんでした」
「でも女性にはもてたんでしょ、非常手段として、銀座あたりの街頭に立って今夜の獲物はどれにしようか、なんてやったりはしなかったんですか?……それとも、ドラキュラも若い頃は結構紳士の一面があったんですかね」

このときとばかりに、こちらも少々意地悪な質問を浴びせかけてみた。すると相手はすぐに切り返してきた。

「はははははは……、八歳くらいの女の子か八十歳くらいのバアさんになら話しかけられたんですけどね、それはさすがに……」
「非常事態なんですから、選り好みなんかしてはおられなかったんじゃないですか」
「それでねえ、たまたま目についたある蕎麦屋に飛び込んで、皿洗いや出前などの手伝いをさせてもらうように頼んでみたんです。蕎麦屋の主人は胡散臭そうに僕の顔をしばらく見ていたんだけど、ほんとうに困っているらしいと感じたのか、とりあえず雇ってくれましたっけ……。さすがに住むところもないとまでは言えなかったんで、適当なことを話して誤魔化しておきました」
「それで、蕎麦屋にはどのくらい?」
「いやあ、仕事はきついし、日給は微々たるもんですし、そのうえ寝泊りする場所がないときているんですから、とてもなんとかなるような状況ではありませんでした。蕎麦屋だから蕎麦くらいはたらふく食べさせてもらえるかと思ったんですけど、そうは問屋が卸さなかった。だから三日目にはその蕎麦屋を辞めちゃいましたよ」
「石田さんの四十六とかいう職業遍歴のなかにはこの蕎麦屋勤めも含まれているんですかねえ?」
「もちろんですよ、のちの大連でのことなのですが、半日だけっていうのもありましたっけ!」
「で、蕎麦屋を辞めたあとはどんなふうに?」
「いや、正直言ってまいっちゃいましたねえ。どうやってでも生きていけるなんてへんな自信を持ちかけた途端にそのザマでしょ。日は暮れるし、腹は減るし、そのうえ泊まるところさえもないといった文字通りの浮浪者状態に陥ってしまって、世間を甘く見た自分のアホさ加減がつくづく嫌になっちゃいましてね」
「私の知る石田さんにしてはずいぶんと謙虚な話ですねえ……」
「ふふふふふ……でもまあ、またすぐに世の中を甘く見るようになっちゃったんですけどね。ただまあその時はね」
「喉元を熱さ過ぎればなんとやらっていうやつですか……」
「なんて言うか、僕は悪運が強くてねえ……」
「でもですねえ、悪運の強い人に大型クリーナーみたいな勢いで運を吸い取られる周りの人たちはたまったもんじゃありませんね。こりゃ僕も気をつけなきゃ」
「そりゃあなた、もう手遅れですよ、いまさら気づいたってね。こちらは吸い取ったあなたの運をそのうち使おうと思って冷凍保存してあるんですから!」

相変わらず老翁の口は減らなかった。

それから二、三日というもの浮浪者同然の状態で公園のベンチで仮眠したりしながら、何かよい仕事はないものかと石田は横浜方面へと足を運んだ。小銭の持ち合わせももまったくなくなり、水を飲んだだけで石田はまる三日ほど何も食べていなかった。だから、横浜港そばの山下公園周辺に辿りついたときには過度の空腹と先行きの心理的不安とが重なって心身の疲労は極限状態にいたっていた。全身から力が抜けるのを覚えた彼は、とりあえず身体を休めようと山下公園内のベンチに腰をおろした。そしてその直後にそのまま失神し倒れてしまったのだった。

だが、そんな石田を天は見放さなかった。僕は悪運が強いと豪語した通り、絶望的ともみえる人生の危機にさらされたとき、不思議なほどに彼には天運が味方した。もちろん、ただ単に運の良さだけでは片付けることのできない石田特有のオーラみたいなものが周辺に作用を及ぼした結果ではあったのかもしれないが、たとえそうであったとしても、その強運ぶりは驚くばかりだったと言うほかない。

その日がたまたま十三日の金曜日であったのかどうかはうっかりして確認し忘れたが、人生の転機になるような人物や出来事に遭遇するのはなぜか十三日の金曜日が多かったという老翁の言葉にしたがえば、この日もそうであったのかもしれない。見方を変えれば、十三日の金曜日が彼にとって縁起のよい日になったのは、その日たまたま幸運に恵まれることが続いたため、あるときからは十三日の金曜日になると、なんらかの転機を求めて彼のほうから無意識のうちに積極的に行動するようになった結果だったとも考えられる。

その日の夕刻、ベンチ脇に倒れて失神している石田を発見し介抱してくれたのは、当時山下公園近くあった公共職業斡旋所(現在の公共職業安定所)の所長だった。近くの自宅に彼を運んだその人物は家族ぐるみで温かく疲れきった石田の身体を介抱してくれた。その甲斐あって、翌日には彼の体調は元通りに回復した。元気になった石田の姿を見て心から喜んだ所長は、彼の経歴と、山下公園で行き倒れになるにいたった経緯のほどを尋ねてきた。

「石田君といいましたね。立派な体格もしているし、それなりの教養もある人物に見えるんですが、あなた、いったいどうことでこんなことになったんですか?」
「ええ、福岡高校卒業までは博多界隈に住んでいたんですが、父親が急死してしまったんで残された家族のためにも頑張らなくてはならなくなったんです。そこで、どうせ働くなら地元ではなく、文化の香りに満ちた憧れの東京でなにかよい仕事を見つけたいと思ったんです」
「それで……?」
「でも就職のための下準備も何ひとつせず、ツテなどもまるでないままの急な上京でしたから、とりあえずはカフェバーのバーテンやダンスホールの裏方などをやるしかなくなりまして……」
「せっかく高等学校まで卒業したのにですか……それに、そんなことじゃご家族を支えることなんかできっこなかったでしょう?」
「ええ、まあ……。それで、もしかしたらと思ってバクロウの仕事の片棒も担いだりしてみたんですが、とても僕みたいな素人の手に負えるような世界ではありませんでした……」
「この厳しいご時世にあって、そりゃ君、いくらなんでもムチャというもんですよ」
「一応、英語とフランス語の基本だけは身に着けてきたんですが、それを表看板に掲げて何か仕事を探すという気にはなれませんでした。その英語やフランス語だって実務に使えるレベルには程遠いものでしたらから……」

「気持ちはわからないでもありませんが、名門福岡高等学校卒業の君が、いきなり上京してカフェバー勤めというのはねえ……。もしかしたら、自分の美男ぶりにすくなからず自信があったからなのかもしれませんけどね?」

所長はくったくのない調子でそう言った。

「でも、赤門前のカフェバーやダンスホールでの仕事はそれなりに面白かったんですよ。そのあと京都に移り、加茂川近くのカフェバーで働いていたんですが、先日突然に市街一帯が大洪水に襲われてしまいました。とくに僕の勤めていたお店のある周辺は洪水の直撃を被りまして……」
「働いていたお店も営業不能に陥ってしまって、それでやむなくまた東京に戻ってきたっていうわけなんですね?」
「ええ、あのぶんじゃ、すぐには給料を支払ってはもらえそうにありませんでしたし、だからといって、いつのことになるかわからない店の復旧を待っているわけにもいきませんでした。京都に移ったばかりで貯えもまったくありませんでしたから……」
「それでどうしたんです?」
「お店の人には申し訳なかったんですが、結局、身ひとつで夜逃げを敢行するしかなかったんです」
「東京まではどうやって……、旅費もかかったでしょうに?」
「給料を払ってもらえないことはわかっていたので、どさくさに紛れ、無断でお店のジョニーウォーカー三本を持ち出しました。そしてそれらを適当に換金処分して東京までの旅費を工面したんです」

石田は命の恩人とも言うべき職業斡旋所長の問いかけに正直に答えた。二十歳にして既に世の中を斜めに見据えているところはあったにしても、のちにみる彼特有のおそるべき風貌や人を食った会話の片鱗などそのときの様子からはまだ窺い知ることができなかった。そんな彼に所長はさらに問いつづけた。

「東京に戻ってきて、そのあとどうしたんですか?」
「もちろん、泊まるところも一時的に身を寄せるところもありませんでした。いきなり姿を消すようにしてもとの仕事仲間との縁を断ち京都に移ったわけですから、前に働いていたカフェバーにまた顔を出すなんてことはとても……」
「それで、横浜方面にふらふらと?」
「いえ、どうしても当座のお金が必要でしたから、たまたま目にした蕎麦屋に飛び込み、なんとか出前の手伝いでもやらせてもらえないかと頼み込んだのです。でも、結構重労働な上にコツの要る仕事で、しかも雀の涙みたいな報酬とあっては三日ともちませんでした。蕎麦くらいは只で食べさせてくれるだろうという目算も外れてしまって……」
「あまりにも無計画で無鉄砲な振舞いだったようですから、自業自得と言ってしまえばそれまでなんですが、それでも、倒れた場所が山下公園だったというのは、不幸中の幸いだったかもしれませんね」
「ええ、お蔭で助かりました。今回ほど人様の情が身にしみたことはありません。蕎麦屋を辞めたあとは浮浪者の生活そのものでした。公園の片隅のベンチなどで時々身体を休めたりしながら、着の身着のままの姿でふらふらとここまでやってきました。横浜に来れば何か仕事が見つかるかもしれない、せめて食べ物くらいにはありつけるかもしれないと思いながら……」
「気を失って倒れているあなたの姿を見つけたときは驚きましたよ!」
「山下公園にやってきたところまでは憶えているのですが、そのあとのことは何が何だかさっぱり……。極度の空腹と疲労のため突然に全身の力が抜けそのまま意識がなくなってしまったんです。お恥ずかしいかぎりなんですが」

石田とそんな会話を交わしたあと、しばらく何事か考え込んでいた所長は、はたと思い当たったような表情であらためて口を開いた。

「あなたは長身でスマートだし、高等学校卒業という立派な学歴もあって、しかも英語とフランス語の素養もそなえてもいるんですから、選り好みしなければ働ける場所はありますよ。昨日も話しましたように、私はたまたま近くの公共職業斡旋所の所長をやっていますから、近いうちに正式に何か仕事を紹介してあげましょう」
「行き倒れの身を介抱してもらっただけでも感謝し尽くせない思いですのに、そこまでご心配くださるなんて、なんとお礼申し上げてよいものやら……」

石田はかしこまってそう答えた。人を食って生きているなどと公言して憚らない後世の彼の姿など嘘のような謙虚さであった。

「石田さんといいましたね。あなたは台湾航路の貨物船に乗って仕事をする気はありませんか?」
「はい、この際ですから、どんな仕事でも……。それに、もともとひとつの場所にじっとしているのが好きなタイプの人間ではではありませんから……」
「そうですか、それじゃ話は早いですね。郵船会社に就職できるように私が斡旋してあげましょう」
「そんなことお願いできるんでしょうか」
「海は大丈夫ですよね……はじめのうちは船酔いしたりするかもしれませんが?」

思わぬ展開に意表を突かれ、しばし考え込んだあと、おもむろに彼は答えた。

「ええ、船に乗った経験はほとんどないんですが、環境適応力はあるほうですのでしばらくすれば慣れると思います」
「そうですか、じゃ、さっそく近日中に手続きをとることにしましょう。実際に船員として乗船してもらうのは年が明けてからになるとは思いますが」
「願ってもない話ですから、是非宜しくお願い致します」
「まあ、それまでの間は簡単なアルバイトか何かを紹介しますから、それで食いつなぎながら、時間のあるときに海運についての勉強でもしておいてください」

この職業斡旋所長とのなんとも不思議な廻り逢いが発端となって、石田は波瀾万丈の人生航路の直中へと船出していくことになったのだった。だが、その航路の前途に待ちうける数奇な運命に若い石田の想像が及ぼうはずはむろんなかった。当時としては高学歴といってよい旧制高校卒業者で、しかも英語とフランス語の素養が一定程度あることを知った所長は、その能力を高く評価し、台湾や中国大陸方面への航路を保有する日本近海郵船に彼の就職を斡旋した。かくして石田は、翌昭和十二年(一九三七年)に貨物船の船員となり、中国大陸という広大な大地に足跡を刻むための願ってもない糸口を掴んだのだった。

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