ある奇人の生涯

44. 軍事訓練の名のもとに

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

軍事訓練をうけていた時期の出来事などいまさら想い出すのも嫌だという表情の老翁だったが、その重い口からそれでもいくつかの話を聞き出すことはできた。意図的に記憶の古層に沈め押し込められている当時の苦い想い出をほじくりかえすのはけっして本意ではなかったが、この際やむをえないことではあった。

「それで、その軍事訓練というか、戦闘訓練はどんな様子だったんですか?」
「そうですね、まあ、たとえていうなら、泳いで太平洋を渡れって命令されているようなものでしたかね、いや、歩いて太平洋を渡れっていわれているようなものだったのかな?」
「ははははは……、それで石田さんは沖の小島くらいまではなんとか歩いて渡れるようになったとか?、でも、もっと以前にその技術を修得していたら、ナーシャさんと一緒に大連の老虎灘の小島に渡るときも服を脱いで泳いだりしなくってもよかったでしょうに!」

老翁の軽口にこちらも軽口をもって応じると、あいてはさらに切り返してきた。

「でもねえ、もしもそうだったら、あの一生一代のロマンスは起こらなかったかもしれませんね。あのとき二人とも普通の服を着たまま島に渡っていたらあんな風なことにはならなかったかもしれないでしょう?」
「でもその場合、石田さんがナーシャさんを抱きかかえるか背負うかして海面を渡ることになったでしょうから、十分ロマンスに発展する可能性はあったんじゃないんですか……、ただまあ、それは冗談としまして、戦闘訓練はそのくらい大変だったっていうわけですね」

そう言って脱線気味の話をとりあえず元に戻そうとすると、老翁も素直にそれに応えてくれた。

「まずはじめに、軍服と軍靴を着用し銃剣その他の装備を携行したまま、連日連夜行軍したり寝起きしたりする訓練を受けたのですが、いきなりの経験ですから辛くて苦しいの一語に尽きましたね。その間に靴を脱ぐことさえも許されないわけですからね」
「話には聞いていましたが、実際大変だったんでしょうね?」
「あまりに激しい訓練のせいで体調が悪くなったりすると、むやみやたらに殴られたり蹴飛ばされたりしましたね。このくらいのことに堪えられないようでは実戦では死んでしまうぞと怒鳴られ、理不尽な暴行を加えられるわけです。またたとえ指示された通りに行動したとしても、結局は訓練を受けている全員が下士官や古参兵からありとあらゆる罵詈暴言を浴びせかけられ暴行のかぎりを尽されるわけなんです。軍事訓練というよりは、軍事訓練に名を借りた古参兵らの鬱憤の発散の場とでも言った感じでしょうね」
「それでなくても反抗的だったんじゃないかと想像される石田さんなんかはずいぶんと殴られたんでしょうね」
「東北出身の古参兵がいましてね。その男からは一年間近くほとんど毎日殴られっぱなしでしたよ。『高等小学校を卒業しているのにこの程度のこともわからんのか!』って口癖のように喚きながら殴ったり蹴飛ばしたりするんですが、毎日素手で殴っていると自分の手も痛くなるものですから、厚手のスリッパで頭や両頬を力いっぱい何度も殴られたり、木刀や竹刀で打ちすえらえたりすることもしょっちゅうでしたね」
「もちろん、その間は無抵抗ですよね?」
「内心は怒り狂っているわけですが、ちょっとでも反抗的な態度を見せると、自分だけでなく他の仲間たちも際限なく痛めつけられるわけなんです。軍規では上官の命令には絶対服従しなければならないことになってましたから、事情がどうであろうとひたすら堪えるしかありませんでした」
「嫌なことを想い出させて申し訳ないんですが、殴る蹴るのほかにもいろいろと理不尽な行為にさらされたとか?」
「そうですね、懲罰に軍服を着たまま頭から水をかけられ、寒い屋外にそのまま一晩放置されるとか……雨中訓練や寒中訓練の一環だと称しましてね。あと、何時間にもわたって不自然な体勢をとり続けるように命令されるとか、動物なみの奇声を発し続けるように強制されるとか、むりやり裸にされて卑猥な行為のポーズをとり続けさせられるとか、まあ、いろんな懲罰がありましたよ」
「軍事訓練とは直接関係ないシゴキがずいぶんとあったわけなんですね?」
「もちろん、そのころ、南太平洋方面の戦線においては、すでに日本軍は私たちの受けていた軍事訓練などとはくらべものにならないほどに悲惨な状況におかれ、ほとんどの兵士たちが生き地獄そのものの世界をさまよっていたわけです。そのことを考えると文句は言えなかったのかもしれませんが、むろんそんな情報は中国の日本軍にはまだ伝わってきてはいなかったはずですしね。それに、南方戦線では上官も下士官も兵士もみな一様に生死の境をさまよい、ほとんどの兵士が戦病死し、奇跡的に生還した者も地獄の苦しみを味わったわけですが、それとはまるで状況が違っていたわけですからね」
「太平洋戦争の末期の沖縄周辺における日米両軍の激闘の模様だって中国の日本軍筋に届いていたかどうかは疑問ですよね。幹部クラスの一部上官はそんな状況を把握していたのかもしれませんが、一般の兵士にまで沖縄戦の具体的な状況が伝わるわけなどなかったでしょうから」
「私の場合は、徴兵される前にイタリア大使館秘書の仕事がなくなってしまったりしたことや、それまで付き合いのあった外国人らを介してちらほら耳にする噂などから、なんだか雲行きがおかしいなというくらいのことは感じていました。でも、南方戦線の詳細な情報や入隊後に起こった沖縄戦の模様などを耳にすることはありませんでしたね」

そこで一呼吸をおいたあと、石田翁は急に想い出しでもしたかのように、いまひとつ醜悪なある出来事についての話をしてくれた。

「入隊してから半年以上たってからのことなんですが、時々将校連中から呼ばれて彼らの話相手をするようになったんです。たぶん、どこからかそれまでの私についての情報が流れ、ほんとうは高等小学校卒じゃないことがわかってたんでしょうね。それはよかったんですが、ある夜のこと、将校たちのとことろへと行った帰り、一部の下士官や古参兵らのいる部屋のそばを通りかかったんです。すると、中から若い女の悲鳴のようなものが聞こえてきました。いったい何事だろうと立ち止った次ぎの瞬間、ドアが開いて一人の軍曹が現れ、私の顔を見ると意味ありげにニヤリと笑ったんです。相手はトイレかなにかに行こうとしたところだったようなんですが、何を思ったのかすぐさま私を部屋の中に引き入れました」
「いったい何が起こっていたんですか?」
「中には下士官や古参兵など数人の男たちがいて、どこから連れてきたのかはわかりませんが、一人の若い中国人女性を素っ裸にして、有無を言わさず次々に強姦を繰り返しているところでした。一見したところとても綺麗な中国人女性だったように記憶してますが、言葉にならない叫び声や呻き声をあげ必死に抵抗する彼女をいたぶり弄びながら、男たちはおのれの性器を丸出しにして順繰りに襲いかかっていたんです。とても直視できるような光景ではなかったので、おもわず目をそむけてしまいました。誇り高き日本軍人などとは程遠い数匹の野獣の群といったところでしたね」
「それで石田さんはどうしたんですか?」
「見るに堪えかねてすぐに部屋を出て行こうとしたんですよ。ところが、その中に例の古参兵もいましてね、その男が私の腕を掴むと、おこぼれに預からせてやるからお前もヤレっていうんです。むろん私は辞退、いや拒絶しました。すると、彼は、『これは上官の命令なんだ、新参兵の分際で上官の命令に逆らうとは何事だ!』と凄んできたんです。他の男たちはそれを聞いてゲラゲラ笑ってましたよ」
「結局、石田さんも彼らと同罪に?」

少々意地悪な質問とは思ったけれども、ここまでくるともうやむをえないと考え、そう確認してみようとした。すると、なんということを言うんだとばかりに、老翁はすぐさま首を振って、さらに言葉を繋いだ。

「直立不動の姿勢をとり敬礼をすると、『たとえ上官のご命令ではあっても、こればかりは従うわけにはまいりません。他言は致しませんからどうか私をお見逃しください』と告げたんです。すると、相手は悪意に満ちた笑みを満面に湛え、それから『お前はそれでも日本男児か?、日本男児ならちゃんとついとるべきもんがついとるんだろうが!』と居丈高に叫ぶと、私の胸ぐらを掴み、顔面を二度ほど激しく殴りつけてきました。それでも我慢して不動の姿勢をとり続けていると、今度はパンツごとズボンを引きずり下されてしまいました」
「それでむりやりその女性のところへ連れていかれたとか?」 
「いえ、さすがにその男たちの中の一人が見かねたとみえ、『こいつはたぶんインポなんだろうさ。わざわざいい思いをさせてやろうっていうのになあ。まあ、使えるような状態じゃなさそうだからもう放してやれよ』と言ったんです」
「助け舟っていうにはあんまりな言葉ですし、そもそも、そのインポっていう表現、当時の日本人の間で使用が禁止されていた敵性言語にほかならないようにも思われますけどねえ……」

冗談を言うのはいささか不謹慎な気もしたが、話の向きが向きなのでその場の雰囲気をちょっとばかり変えようかとそう茶々を入れると、老翁もそれに応じてまた軽口を叩いた。

「インポって表現はもちろん敵性言語ですから、本来なら『直立不動拒否症』だとかいったように表現すべきだったんでしょうね」
「ははははは……、いったいなんですかそれは?」
「まあ、その一時的な『直立不動拒否症』のお蔭でともかくも私はその場を逃れることができたんです」
「まさかあとになってから、やっぱりあのとき上官の命令に従っておけばよかったなどと後悔したりはしなかったんでしょうね?」
「あなたのご期待にそいたいところではあるんですが、さすがにそんなことはなかったです。私が部屋を出る時に一瞬目にしたあの中国人女性のなんとも言えない表情がいまも忘れられませんよ」
「と言いますと?」
「そうですね……、なんと言いますか、先ほども話しましたようにその中国人女性はみるからに知的な感じの美人でしたし、たぶんそれなりに育ちもよい女性だったのでしょう、さんざん強姦され人間としての誇りもなにも踏みにじられてしまったあとだというのに、彼女は毅然として男たちのほうを睨みつけていました。その目に涙のあとがあったどうかは記憶にありませんが、その表情や姿には、表面上はどんなに辱め穢されたとしてもそれだけはけっして犯されたり穢されたりすることのない、天性の誇りとも気品ともいったようなものが感じられたんですね。『どんなに辱められても私は人間なんです。そして、あながたのような野獣が私の身体をどんなに侮蔑し貶めてみても、私の心の中までは断じて穢すことはできないんです。やれるものならやってごらんなさい』と彼女の双眸が語っているように感じられてならなかったのです」
「結局、その女性はどうなったんでしょう。解放されたんでしょうか?」
「さあ、どうなったのかは私にはわかりません。もしかしたら、あのあとで処刑されたのかもしれません。もちろん気にはなっていましたけれども、そこにいた下士官や古参兵にどうなったのかなどと訊くことはできませんでしたから……」
「なんだか嫌な出来事を想い出させてしまいましたね。申し訳ありませんでした」
「……」

老翁はこちらのそんな言い訳じみた言葉には何も答えず、そのあとしばらく深い沈黙に身を委ねたままだった。

カテゴリー ある奇人の生涯. Bookmark the permalink.