この一九九四年の十月下旬、フィリピン奪回を目指す日本海軍連合艦隊は「捷一号作戦」を実行に移し、戦艦武蔵、大和、長門、金剛を中心とした海軍最強の編成艦隊を組んでレイテ湾突入を敢行した。しかし、米海軍機動部隊の猛攻撃に遭ってレイテ湾突入を阻止され、五日間ほどにわたる周辺海域での大激戦のすえに武蔵をはじめとする戦艦三隻と空母四隻を喪失した。戦艦大和は撃沈を免れたものの、主力空母四隻をすべて失った結果、この時点で日本海軍機動部隊は事実上消滅した。
このレイテ沖海戦に際しては海軍航空部隊によって神風特攻隊が編成され、劣勢となった国の運命を賭けて戦闘に初出動することになった。二五〇キロ爆弾を装着した零式戦闘機が機体もろともに敵艦隊に体当たり突入するというこの決死的攻撃は当初米軍に恐怖と戦慄をもたらしはしたものの、結果的には大勢に影響を及ぼすことはなく、日本海軍は壊滅的敗退を余儀なくされたのであった。
おなじくこの年の十一月下旬にはマリアナ海域から発進したアメリカの爆撃機B29が東京を初空襲し、以後、日本本土の各地は容赦ないB29の猛爆撃にさらされることになった。客観的に見て、もはや日本の敗戦は必至という状況に追い込まれていたにもかかわらず、日本軍部はその事実をなお隠蔽し大多数の国民の目を欺き続けていたが、さすがにこの時期とになると戦況の極端な悪化を薄々感じとりはじめた者もすくなくはなかった。石田の仕事場である上海の賭博場に日本軍傀儡政権下の中国人警察官らによる一斉摘発の手が入ったのはちょうどそのような時期のことだった。
手際よくお茶の準備をすませてキッチンから戻った石田翁は、こちらの要請に応じてその時の手入れの様子やその後の状況についてさらに詳しく語ってくれた。
「多数の中国人警察官が突然賭博場に踏み込んできましてね、有無を言わさず中国人従業員や中国人客、欧米系のお客らを次々に逮捕し連行していきました。ただ、私をはじめとする日本人従業員や日本人客には彼らは手を出しませんでした」
「そうだったんですか。じゃ石田さんご自身はとくに身柄を拘束されることもなく、無事にすんだわけですね。でも、さっき、確か『とうとう僕のところににも来たんですよ』っておっしゃってましたが、いったい何が来たっていうんですか?」
「翌日にはいわゆる『赤紙』、すなわち、徴兵令状が届いたんですね。僕は危険分子として憲兵隊などからマークされていましたから、すべては計算通りだったんでしょうね」
「現地召集だったわけですね?」
「ええ、僕は徴兵検査は丙種合格でしたから、甲種、乙種合格の人たちに比べて徴兵される可能性は本来すくないはずでしたし、たとえ徴兵されるにしても、一度本国へ強制退去させられ、本国のどこかの部隊に召集されることになるだろうと考えていたんです」
「ところがいきなり現地召集ということになってしまった……」
「全般的な状況からしていずれ徴兵令状が届いてもおかしくないとは思っていたんですが、現地召集になるとまではね……。現地召集には懲罰の意図が込められていることがすくなくなかったんですよ。かねてから僕に狙いをつけていた憲兵隊が陰で動いて、ここぞとばかりに徴兵令状を突きつけてきたのでしょう」
「なんだかんだと逃げまわっていた憎き石田達夫をいまこそ存分に懲らしめてやるってわけだったんですね!」
「もちろん軍隊は大嫌いでしたから、内心、癪で癪で仕方ありませんでしたが、そればっかりはもう逃れようがありませんでした」
「懲罰を受けたのは石田さんだけで、賭博場に出入りしていた他の日本人たちにはとくに厳しい処罰などなかったんですか?」
「いえ、そうじゃありませんでした。結構名の通った連中がお客として出入りしていたんですが、不良遊技場で不良外人との交際があったという理由で、ほとんどの者が本国へと強制退去させられたんです。その中には李香蘭や、『湖畔の宿』の歌で知られる高峰三枝子のダンナなんかも含まれていましたね。この頃になるともう、直接賭博場とは関係なくても、外国人とちょっと交流があったというだけでどんどん本国へと退去させられてましたね」
「それじゃ、もしも現地で徴兵されていなかったら、石田さんも日本へと送り返されていたわけですね?」
「間違いなくそうなっていたでしょうね」
「しかし、賭博場の手入れの翌日には赤紙が届いて現地召集とは、なんとも手際がよいというか……、憲兵隊の意図が見え見えですね。当然、憲兵隊に逆らったミサさんが石田さんと付き合っていることなんかも相手はとっくにチェック済みだったんでしょうから、何から何まですべて計算ずくだったんですね」
「その背景が実際にどんなものだったはいまさら知るよしもありませんが、徴兵の裏に一物あったことは確かでしょうね」
「それで、徴兵されて現地入隊したあとの軍隊での生活はどんなものだったんでしょう?」
さぞかし厳しい試練が待っていたのだろうと想像しながらそう尋ねると、老翁は何事かを考え込むかのようにしばし口をつぐんでから、半ば吐き捨てるように言った。
「想い出したくもないですね。くだらないとしか言いようのないものでしたよ!」
実際のところ、石田翁は終戦までの一年間ほどの軍隊生活についてはあまり多くを語りたがらなかった。正直なところ、そんな老翁にあくまでしつこく食い下がり、その時の状況を根掘り葉掘り聞きだすのもどうかという思いはした。だから、こちらもすくなからず気おくれはしたのだが、それでも、せめておおまかな様子くらいは知りたいと考えなおし、あえて質問をぶつけ続けた。すると、老翁は一度は困ったものだとでも言いたげな表情を浮かべはしたものの、なんとか言葉をつなぎながら、ある程度の状況を語ってはくれたのだった。
「上海で召集されたあとはどちらへ?」
「南京に連れていかれ、そこで新参兵としての軍事訓練を受けさせられました」
「南京事件のあったあの……?」
「そうですよ。古参兵や下士官たちは、なにかというと、チャンコロを何人やったとかいった類の自慢話なんかをしてましたね。まあ、当人たちにすれば武勇伝のつもりだったんでしょうけれどね」
「チャンコロって、当時の中国人に対して日本の軍人などが用いた蔑称ですよね?……、まだ幼なかった頃のことですが、田舎でおこなわれる宴会の席などで兵隊帰りの大人たちがその言葉を使うのを何度も耳にしたことがありますよ。当時の軍人たちが中国人大衆を人間扱いしてなかったことがよくわかるような……」
「僕は中国人たちとも親交がありましたからね。内心では、よっぽど当時の日本軍の古参兵や下士官らのほうがその蔑称に相応しいと思ってましたけれどね」
「それで、もっとも階級の低い新兵として入隊し厳しい教練を受けることになったんですよね?」
「実を言いますとね、僕は旧制高校を卒業していますから、その気なら訓練を受けたあとすぐにも下士官になることはできたんです。でも、軍隊の下士官なんかには絶対になりたくありませんでした。だから、あくまでも高等小学校卒ということで押し通したんです。そのため、それ相応の待遇のところへ配属されたわけですよ」
「でも、石田さんが高等小学校卒なんかじゃなく、旧制高校卒で知的な仕事に就いていた人間だっていうことは上官にはわかっていたんじゃないんですか?」
「はじめのうちはともかくとしても、しばらくしてからは学歴を詐称していることは相手にもわかったに違いありません。ただ、おなじ学歴詐称とはいっても、通常のそれとはまるで逆の詐称だったわけですから、上官からもそれを責められたりすることはありませんでした。むしろ面白がっていたのではないでしょうか。ずっとのちになってからのことなんですが、たまに将校らに呼ばれ、彼らの話相手をさせられるようなこともありましたから」
「でも、高学歴を隠し通したことはけっして得にはならなかったんじゃないですか?、階級社会の軍隊ではすこしでも位の高いほうがそのぶん苦労がすくなくてすんだでしょうに!」
「でもねえ、学歴をたてにすこしでも早く下士官になって楽しようなんて思ってもみませんでしたね。いまさら損得の問題として考えてみたってまるで意味のないことなんですが、まあ、結果的にはプラス・マイナス両面あったと言うべきなんでしょうかねえ」
「わざわざ一兵卒に甘んじ通したなんて、現実主義の石田さんからすると意外な感じを受けないでもないんですが……。まあ、それはともかく、そのプラス・マイナスと言いますと、いったいどのような?」
「そこまで計算していたわけじゃないんですが、あの時に学歴を正直に申告し下士官になっていたら、懲罰の意味をも兼ねて早々と最前線の激戦地に送られ、たぶん戦死してしまっていたでしょうね。僕を現地徴兵した憲兵隊のほんとうの狙いはそのあたりにあったのかもしれません」
「なるほど、そういうことですか……、それも石田さんならではの悪運の強さで?」
「ははははは……、そう言えないこともないんですが、ほんとうの悪運の強さはもっとあとになってから発揮されることになるんですよ」
「そうなんですか……。それはともかく、じゃ、下士官にならなかったことのプラス面はそうだったとして、いっぽうのマイナス面にはたとえばどういうことが?」
「そりゃもう、新兵の戦闘訓練の名目のもとに、古参兵らのストレスの捌け口として、それから一年近くというもの、連日連夜、殴る、蹴る、罵るにはじまる暴力の嵐にさらされ、とんでもない無理難題の山に苦しみ続けさせられましたよ」
老翁はそう語ったあとで、軍隊入隊時から終戦に至るまでの想い出の一端をさらに披露してくれた。