ある奇人の生涯

68. BBC海外放送の理念

日本語部員との顔合わせが終わるとレゲット部長は石田を伴って再び自室に戻った。そして、BBC日本語部の放送方針などについて一通りの説明をおこない、そのあと翌日からの石田の仕事内容に関しても具体的な指示を出してくれた。

「敗戦後の日本では国民の皆さんが苦しい日々の生活に追われ、BBCの日本語放送を聴くどころの騒ぎではないのかもしれません。でも、これからさきは短波受信機も徐々に増え、BBC放送を聴いてくれる人々の数もどんどん増加していくものとおもわれます。そう考えてみますと、日本語放送のほうも従来通りのやりかたですませるわけにはいきません。そこで私は、日本語部長になるとすぐに放送のオープニング・ミュージックから変えていくことにしたのです」

「そうだったんですか。そう言えばオープニング・ミュージックはすっかり変ったんだそうですね」

「日本語放送開始当時は『ルール・ブリタニカ』が用いられていました。でも、この曲はもともと異民族から祖国ブリテン島を守るという筋の愛国劇のテーマ曲として作られたものですから、その歌詞も他民族からみるとかなり過激な内容になっています。戦時中ならそれでもよかったかもしれませんが、平和が訪れたいま、そんな曲を日本向け放送のオープニングに使うことは適切でありません。すくなくとも、この曲の背景を知っている日本人には快くは思われないでしょう」

「そうでしょうね。数はかぎられているでしょうが、そう感じる人もあるかもしれませんね」

「そこで私は自分なりにいろいろと検討した結果、『ルール・ブリタニカ』のかわりに古いイギリスの海の歌『ポーツマス』を用いることにしたのです。この曲は慎み深く静かな響きのものですがメロディもはっきりしており、その奥底にはイギリス国民の力強さを感じさせるものが流れてもいるんです。また、この曲と組み合わせてビッグ・ベンの鐘の音もオープニングに導入することにしました」

「なるほど……。それじゃ、今日ブッシュハウスやこの日本語部を訪ねる前にビッグ・ベンに寄り道してきたのは、たまたまだったとはいえ部長の方針にかなっていたことになりますね」

「ははははは……、ビッグ・ベンが苦笑してるかもしれませんよ。明日から音がちょっと狂ったりしてきましてね……」

レゲット部長はそこでいったん言葉を切ると一息つき、それからまたおもむろに話しはじめた。

「BBCの海外放送は、ニュースとニュース以外の各国語部門独自の文化番組からなっています。まず、ニュース番組ですが、こちらは海外放送の全部門において共通になっています。BBCの英文ニュースを各部局所属の部員にそれぞれの言語へと翻訳してもらい、それをその日のアナウンス担当者に読み上げてもらっています。もちろん、翻訳原稿にはイギリス人校閲者によるチェックがはいりますけれどね」

「そうですか、それじゃ英文ニュースの日本語への翻訳の仕事が私の当面の業務に?」

「もちろん翻訳業務もアナウンス業務もそして文化番組制作も、石田さんにはすべてのことをやってもらうつもりでいます。世界で起っている重要な事柄を正確かつ正直に人々に伝えることは我がBBC、なかでも海外放送部門の伝統的な任務です。その時点ではたとえイギリスの国家利益にとって好ましくなかったり不都合だったりするニュースだったとしても、それを極力事実に即して正確に伝えるべきだというのがBBCの基本理念です。それが一時的には国家に不利益をもたらすにしても、長期的にみた場合には、必ずや利益になるはずだからです」

「イギリス政府の資金でBBCは運営されているわけですから、そんなBBCの伝統が確立されるまでにはずいぶんとご苦労があったのでしょうね?」

「もちろんです。今日のところは詳しいことは省きますが、政府筋からの厳しい批判やクレームにさらされたことは過去一度や二度ではありません。たとえば、英国首相のチャーチルとBBCとはずっと犬猿の仲でもありました」

「そうだったんですか。戦時中、大本営発表をそのまま国民に垂れ流し放送してきた日本の放送局などとは大きな違いなんですね」

「なにが事実に即した客観的報道であるかということは現実にはなかなか難しい問題なのですが、いずれにしろBBC独自の判断でニュースの内容は決定されます。もちろん、BBCだって誤りをおかすことはありますが、その場合には、誤りが明らかになった段階で素直に非を認め誤りを訂正します。その時々で最善を尽した上で誤りが生じるのはある程度やむをえません。それを怖れていたらなにも報道できなくなってしまいます」

「おっしゃることはよくわかりました。とにかく、相当に慎重さを要するということなんですね」

「美とおなじように客観性というものもまたそれぞれの人の見方によってすこしずつ異なります。たとえば、放送を聴く人のなかには特定のニュースの裏に暗に隠された主観的意図があると感じたりする者もあったりします。その要因となっているのは、多くの場合ニュースの文中にまぎれ込む情緒的な含みをもつ言葉なんです」

すくなからず緊張して耳を傾ける石田にレゲット部長はさらにたたみかけるように言った。

「事実のままにニュースを伝えるには、なによりもまず論評を避けるように細心の注意を払わなければなりません。そもそも、法的にBBCはニュースに関しては独自の見解を発表することを禁じられています。したがって、あるニュースについてなんらかの見解を報道する場合には必ずその見解の出所を明示しなければなりません。したがって、我々BBCがニュースにおいて伝えるものは、すくなくともいったんどこかBBC以外のところで外に出されたものでなければなりません。ただ、ジャーナリストなら誰でも自覚しているように、それら両者を分かつ境界線というものはかならずしも明瞭ではありません。したがって、ニュースを報道するという任務はけっして容易なことではないのです」

「確かにおっしゃる通りですね。ニュースの原文を日本語に翻訳する場合でも、またそれをマイクに向かって読み上げる場合でも、その点には十分に気をつけるようにしたいと思います」

「またニュースを正確に伝えるということに関しては、いくら神経をつかってもつかいすぎるということはありません。できるかぎり細かく原文や翻訳文の的確さを検討するということに尽きるでしょう。たとえば、『英雄的な防衛者』といったような表現を用いたとすると、『英雄的』という形容詞のもつ含みのために、無意識のうちに我々BBCが特定の陣営に好意的であるかのような感じを抱かせることになってしまうかもしれません」

「なるほどそういった問題もあるんですね。これまでそんなことなど深く考えたこともありませんでしたけれども……」

「あるいはまた、『否定する』とか『言う』とかいったような言葉のかわりに『反駁する』とか『主張する』とかいったような強い含みの言葉などを使う場合も同様のことが起るでしょう。『野党はたった5議席しかとれなかった』というような表現中の『たった』とか『しか』とかいう用語も同じような事例にはいるでしょう。たいていの場合、この種の評論的な用語は不必要かつ過剰な装飾的修辞効果をもつにすぎません。ただまあ、我々だって人の子ですから、そこまで配慮するようにしていてもなお不完全さを避けることはできません。そのような場合には臨機応変に対処するしかないでしょう」

レゲット部長のそんな説明を聞きながら、石田はニュースひとつを報道するにあたっても、これほどまでに厳格な指針をもつBBCの理念の高さと伝統の奥深さにひたすら舌を巻くばかりであった。そして、報道というものが何たるかをここにいたってはじめて痛感させられるばかりであった。

レゲット部長は、そんな石田に向かって今度は日本語放送に対する自分の思いを述べはじめた。

「ニュースについてはこれまで説明してきた通りでよいのですが、問題はニュース以外の文化番組のほうなんです。私はそう遠くないうちに日本が急速に復興して世界の先進国となり、それに伴いイギリスと同様の悩みをもつようになるだろうと確信しています。日英両国の間には際立った相違点もありますが、また共通点もすくなくないんです。そのためにも、日本語放送の文化番組において、私たちは親しい友人に語りかけるような雰囲気をつくりださなければならないと考えています」

「とおっしゃいますと?……」と戸惑うように石田はそう相槌をうった。

「どんな親しい友達でも失敗談はみな隠して自慢話ばかりをされたら最後には飽きあきし、嫌になってしまうことでしょう。たとえば、ある人が、家を建て増ししようとしている友人に自分の経験談を話すことになったとしてみましょう。その場合、『外壁のモルタルにはこのメーカー製のものを使ってみたんだが、それはいまでもびくともしないんだよ。しかしながら、北側の壁を上塗りする時によく乾いているかどうかを十分に確かめないで作業を進めてしまったために、近頃プラスターが剥げ落ちはじめて困ってるんだよ』といったような具合に話してやれば、材料は何を使えばよいのかとか、あらかじめどんなところに注意しなければいけないかとかが相手にもわかりますよね」

「確かにそうですね……」

「それと同様に、いまでは友好国となった日本向けの放送においては、イギリスがどんなところで問題解決に失敗したのか、また、今後、どのようにしてその失敗を切り抜けようとしているのかなどといったようなことについても正確かつ正直に伝えるようにしたほうがよいと思っているのです」

「いやぁ……、ほんとうに驚きました。そこまで深く考えたうえで日本語放送に携わってくださっているとは!……、BBCの日本語放送を聴いている人々はほんとうに幸せですね」

それは石田の偽らぬ気持ちであった。ジョン・モリス・ジェネラルマネージャーやレゲット部長がそんな細かなところにまで配慮しながら日本語放送部の運営にあったっているとはそれまで想像もしていなかったからだった。

「それからですね、文化番組においては、それがどんな内容のものであっても、日本人スタッフ自身が直接に体験取材したものを自分の言葉で述べ表わすようにすべきだと思っています。たとえば、イギリスの国民健康保険制度についてイギリス人が書いた原稿を日本文に翻訳して放送してみてもおもしろくなんかありません。自分で実際に病院へ行って見聞したことをもとに放送原稿を作成したほうがずっとおもしろいでしょう?……、もちろん、その制度の善し悪しや現在の状況などについてはイギリス国内の英文資料をもとに詳しく調べるようにしなければなりません。でも文化番組を活きいきとしたものにするためにも、できるかぎりスタッフの皆さんの印象を大切にしたいですね」

「レゲット部長のおっしゃることはよくわかりました。明日から私もご期待に添うことができるように力を尽すつもりです」

「自分で直接体験したことを伝えるということになれば、放送する場合の態度もアナウンスの声も違ってきます。放送原稿を書くということはひとつの創造的作業にほかなりません。放送人というものには単に翻訳をおこなったり翻訳されたものを読み上げたりする以上に高いレベルの見識が必要です。すなわち、常に創造的なレベルに自らをおくように心がけるのでなければなりません。放送人にそんな心構えがあってこそ、放送は聴く者の心の奥深くにまで伝わっていくことが可能になるのだと思われます」

レゲット部長はそこまで話し終えると結びの言葉を探し出しでもするかのように一呼吸おき、最後に一言付け加えた。

「石田さん、以前から私はいまお話ししたようなことを一日も早く実現したいと考えてきました。でも、実を言うとその理想の実現はこれからなのです。現在のスタッフはもう長く日本を離れていたり、日本での生活経験がずいぶんと昔のことだったりしているので、その日本語は古くなってきています。また、日本語や英語が話せるというだけで必ずしも特別な分野について専門的な知識をもっているわけでもありません。そのため、何が日本向け放送番組に適しているかを自分で的確に判断しそれを現代的な日本語で表現するという作業は、正直なところ、これまでのスタッフにとってはなかなか難しいことなのです。そんなわけですから、私は石田さんにおおいに期待しているようなわけなのです。BBC日本語部長として、私はそれが他の部局の模範となるくらいに日本語放送の質的な向上をはかりたいと考えているのです」

そう話を結ぶレゲット部長の言葉に、石田はあらためで自らに課せられた任務の重さを痛感せずにはおられなかった。

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