ある奇人の生涯

66. 意外な場所での日本語会話

最後に案内されたのは、階段側から見て一番手前の部屋だった。その部屋の中にいたのはミセス・クラークと山本二三一の2人だった。レゲット部長はクラークと山本を紹介しながら、明日からその部屋の2人と一緒に仕事をしてもらうことになる旨を石田に伝えた。面白かったのは、この部屋に入った途端にレゲット部長が日本語を使いはじめたことだった。しかも、その日本語はなかなかに見事なものだった。当然の成り行きとして4人の会話は日本語でおこなわれることになった。はるばるロンドンのBBC海外サービス部にやってきたその日、そこのスタッフ4人で日本語の会話をすることになろうとは想いもよらぬことであったが、ほかの3人はむしろそうすることを楽しんでいるかのようにさえ感じられた。

レゲット部長は日本での生活が長かったとはいえ、日本を離れてもうかなり時間が経っていたし、ミセス・クラークも英国での生活が長くその日本語は時代的にみてもいささか古いものになりかけていた。また1910年カナダ生まれの山本は日系二世で、その年の初めにBBCに採用されたばかりだったが、日本で長年生活した経験はなかったため、両親譲りのその日本語にはなにかと不自然なところがあった。だから彼ら3人には、ごく最近まで東京近辺で暮らし、モダンな日本語を話す石田からすこしでも最新の日本語の知識や日本についての情報を得ようという思いがあった。それはまた、世界に冠たるBBC海外サービス部に籍を置く者ならではの心構えであるともいえた。

「明日から私たちと一緒に働いてもらうことになっている石田達夫さんを紹介します。石田さんは昨日ロンドンに着いたばかりで、まだ西も東もさっぱりわからないそうです。西も東もわからない人がBBCのホステルからブッシュハウス、さらにはこの日本語部まで歩いてやってきたなんて奇跡としか考えられないのですが、それはともかく、石田さんが仕事に慣れるまでいろいろと皆さんで助言などをしてあげてください。また、石田さんのほうは、日本についての知識にカビが生えてしまっているかもしれない、私をはじめとする日本語部スタッフの皆さんに、最近の日本の状況や現代的な日本語などについていろいろと教えてあげてください。鬼退治は困りますが、カビ退治は大歓迎です」

「鬼退治」という一語を暗に自分の姿に重ねながら、レゲット部長はユーモアたっぷりに石田のことを紹介した。一つひとつの言葉の発音や抑揚などにはすくなからず外国人特有の訛りや癖がありはしたが、全体としてその日本語はなかなか見事なものだった。

「新任の石田達夫です。どうかよろしくお願い致します。西も東もわからなかった私は、ホステルからこちらへと向かう途中、てっきりビッグ・ベンをブッシュハウスだと思い込み、すぐそのそばまで行ってしまいました。間違いに気づいてすぐに引き返したんですが、このぶんですと、明日はこの日本語部に出勤してくるつもりでバッキンガム宮殿に迷い込んでしまうかもしれません。そんなことがないように、皆さんどうかよろしくご指導ください。なお、カビ退治のことなんですが、僕のほうこそ新種のカビにおかされてしまってますから、皆さんにその悪いカビが感染してしまわないかと気がきでなりません。一番よい感染防止法は、毎日を休日にしてくださって、私を日本語部から完全隔離してしまうことなんですが……。あっ、もちろんその場合も給料はしっかり頂戴致します」

レゲット部長の言葉を受けて石田がユーモアたっぷりにそう挨拶すると、たちまち部屋の中は和やかな空気に包まれた。端正そのもの顔に魅惑的な微笑を湛えながら先に話しかけてきたのは、ほかならぬミセス・クラークであった。

「はじめまして、アイコ・クラークと申します。石田様には伊藤愛子と私の旧日本名を名乗ったほうがよろしゅうございますでしょうか。まずはBBC日本語部へようこそお出であそばされました。ジョン・モリス・ジェネラルマネージャーから石田様のことはいろいろとお伺いしておりましたから、ご到着を心からお待ち申し上げておりましたのよ。こうしてようやくお会いできてほんとうに嬉しゅうございますわ」

おのずから育ちのよさを物語るミセス・クラークの鄭重このうえない口調の語りかけに、石田は一瞬どぎまぎして即座の応答に窮する有様だった。豊かな黒髪をなびかせ、すらりとした肢体をさりげなく誇示するかのように立つその人物は、噂にたがわぬ美しい女性であった。才媛とうたわれ、また類まれなる美貌でも知られた彼女は、生粋の日本育ちであるにもかかわらず英国人でも舌を巻くような見事な英語をも使いこなし、この頃既にロンドン社交界の花形のひとりになっていた。

「戦時中のことですが、BBCの日本語放送が始まったとき、クラークさんは最初のアナウンサーを務めた人でもあるんですよ。もちろん、いまも、アナウンスの仕事をやってもらっています。そのほか、英文ニュースの日本文への翻訳作業などもクラークさんの業務のひとつです。彼女はまた、ロンドン大学の東洋・アフリカ研究所で学生たちに日本語を教えてもいます」

しばし返答に戸惑う石田の様子を目にしたレゲット部長は、そう言葉をはさんでその場をとりもった。

「東京の英国大使館員の方々や先刻お会いしたジョン・モリスさんなどからクラークさんのご活躍ぶりについてはいろいろと伺っています。なるべく早く仕事に慣れるように努めるつもりですが、新米の身なのでわかなないところも多かろうかと存じます。どうかよろしくご指導ください。ほんもののお米なら新米のほうが古米よりも美味しくていいのですが、仕事の世界となりますと新米のままではとても使いものにはなりませんから……。一日も早く古米になれるように精一杯がんばります」

そんな石田の言葉にクラークはすかさず応えた。その言い回しにはいささか皮肉と自嘲の響きが込められているようでもあった。

「私たちはおなじ古米でももはやカビの生えた古米なんでございますの……。でも私どもの身体に生えた古い日本カビは容易なことではとることができませんでしたの……。なにしろ効き目のあるカビとり剤そのものがございませんでしたでしょ、そんなわけですから石田様にはこの際大いに新風を吹き込んでもらうことを期待しておりますわよ」

ミセス・クラークはそう言って、悪戯っぽくウインクしながら彼の顔を見やった。

「新米の分際で大先輩のクラークさん相手にそんなだいそれた役柄を演じることなんか僕にできるわけがありませんよ」

するとそこに、機を窺っていた日系二世の山本二三一が割って入った。石田よりも6歳年長だけのことはあって、彼はさすがに落ち着いた雰囲気の人物だった。

「私は山本二三一です。英語で言いますと、マウンテン・ブック・トゥー・スリー・ワンですね。どうせなら、マウンテン・ブック・ワン・トゥー・スリーにしてほしかったんですがね」

「山本さんでいらっしゃいますか。どうかよろしくお願い致します。旧日本海軍にマウンテン・ブック・ファイブ・テン・シックスという有名な海軍大将がいました。彼は戦死してしまいましが、山本さん、数の大きさではあなたのほうが上ですね!」

「えーっと……?」

石田のそんな応答に一瞬戸惑い顔になった山本にミセス・クラークがすぐに助け舟を出した。

「山本五十六海軍大将のことでわすよ。飛行機で移動中、南太平洋上空で米軍機に撃墜されて死亡したあの!」

「ああ、なるほど、そういう意味ですか。それからついでにもうひとつ……、石田さん、シンマイっていったいなんのことなんでしょうか?」

「シンマイは英語になおせばニュー・ライス、すなわち、収穫されたばかりの新しいお米のことをいいます。ただ、その日本語にはもうひとつ別の意味があります。新しい職場で働きはじめたばかりで、まだ仕事の内容も仕事のやりかたもわからないニュー・フェイスのことを新米というんです。いまの私みたいな人間のことですね」

石田は山本に向かってそう丁寧に説明した。

「そうですか、だからレゲット部長やクラークさんはオールド・ライスということなんですね!」

「オールド・ライスにあたる古米という言葉をいま私は冗談で使ってみたんですが、実際には、長年経験を積み仕事に熟練した人を表すのにその言葉が用いられることはありません。その場合には古参とか古株とかいった表現を用いるのが普通です」

「では、レゲット部長やミセス・クラークは古参とか古株とかいうことになりますね?」

「それじゃまるで部長や私はくたびれ果てたオジイチャンやオバアチャンみたいじゃございませんこと?、カビが生えたなんていうようななまやさしいものじゃなくって、ぼろぼろになって朽ち果てる寸前みたいな感じじゃございませんこと?」

半ばちゃかすような調子ですぐにそう口をはさんだのはミセス・クラークだった。レゲット部長も我が意を得たりと言わんばかりの表情を浮かべながら、一言付け加えた。

「だから日本語って難しいんですよ……、ねっ、皆さん!」

レゲット部長のその言葉で新米や古米がらみの話がいったん落ち着くと、ミセス・クラークは真剣な表情になって石田に東京の状況を問いかけてきた。

「石田様、東京はアメリカ軍による空爆で壊滅的な状況になってしまったと聞いておりますけれど、実際にはどんな状況だったのでございましょうね?」

「私も終戦直後までは上海にいましたので、実際に東京空襲がおこなわれるのを目にしたわけではないのです。ただ、1946年に日本に引き揚げ、そのあとすぐ上京して目にした東京の有様は悲惨なものでした。その時たまたま皇居のお堀端でジョン・モリスさんとめぐり逢うことになったんですが……」

「そうでございますってねえ……、ジェネラル・マネージャーからそのことは伺っておりますわ」

「クラークさんは東京のどちらのご出身なんでしょう?」

「私は京橋生まれで、東京女学館を卒業するまでずっと京橋で育ちました。父がちょっとした商いをやっていたものでございましたから」

「そうだったんですか。日本橋、京橋一帯から浅草方面まで一面焼け野原になってしまっていましてね。皇居前近くから焼け残った浅草の浅草寺あたりの建物が見えるくらいでしたよ。それで、ご両親はご無事で?」

「焼けだされはしたようでございますけど、幸い父母は無事でございましたわ」

「そうですか、それはなによりでした。それで、東京の現状なんですが、日比谷や銀座、日本橋、京橋周辺でなんとか戦火をまぬがれたビルのほとんどは進駐軍に接収されてしまっています。焼け跡に急ごしらえの粗末な家々、いわゆるバラックが無数に立ち並び、人々はそこに住みながら必死になって窮乏生活に耐えています。アメリカからの食料援助や闇米その他の闇物資に頼ってなんとか日々を食いつないでいる有様です。でも庶民はなかなか逞しいですよ。物がないならないなりに、助け合ったり工夫したりしながらしたたかに生きてますからね」

「石田さん、そのヤミゴメってなんのことですか?」

闇米という言葉を解しかねた山本はあらためてそう尋ねてきた。レゲット部長もミセス・クラークもいまひとつその言葉の意味がピンときてはいない様子だった。

「戦時中から日本では厳しい食料統制がおこなわれてきましたが、戦後は配給制度がいちだんと強化され米穀類などの食料品の自由流通は法的に禁止されています。でも、官憲による厳しい取締りの目をかいくぐって米その他の物資が高値で売り買いされているんです。闇米っていうのはその種の米のことなんです。正直言うと私も闇米や闇物資に手を出していました。背は腹にかえられないというわけで……。程度の違いこそあれ、その点ではいまの日本国民はみんなおなじですよ。なにしろ取り締まる側の人間だって、ほとんどが裏で闇米に手と出している有様でしたから」

「じゃ、現実問題として東京には以前の面影を留めるものはほとんど残されていないのでございますわね……」

そう言うミセス・クラークの表情は見るからに哀しげだった。

「それでも国会議事堂とか絵画館、上野の博物館、明治神宮、浅草寺、柴又の帝釈天、ニコライ堂、東京駅などといった建物は残っていますよ。それに終戦から4年たったいまでは銀座一帯もかなり復旧し戦前の姿をそれなりには取り戻してはきました。大学などの建物も結構焼けずに残っているところが多いみたいですし……」

「それを伺っていくらかは安堵致しましたわ。それじゃ日本に戻ってもすこしくらいは昔の記憶をたどり、かつての東京の姿を懐かしむことはできますわね」

「そうですね。東京を立つ前、銀座周辺を歩きまわったり、そこで偶然会った友人と裏通りのカフェに入って歓談したりしたんですが、雰囲気は昔の銀座のそれにかなり近くなってきてますね。ただひとつ大きな違いは、どこもアメリカ兵を主体とした進駐軍兵士、いわゆるGIで溢れかえっていることでしょうか」

石田は久々に銀座で出逢ったミサの姿を想い起こしながらそう答えた。するとレゲット部長が頷きつつ、さらに言葉を繋いだ。

「ああ、どうやらそうらしいですね。モリスさんも確かそんな話をしてました。チューインガムやチョコレートが日本では雨霰と降っているってね……。そういえばロンドンのピカデリーサーカスあたりにもかなりの数GIがいますが、彼らもイギリスではそれほど傍若無人には振舞っていませんね。柔道の国で知られる日本がどこまでもアメリカ化されてしまうのは、私にとっても悲しいことです」

柔道を愛し日本を愛するレゲット部長ならではの言葉だったが、石田がなによりも驚いたのは彼が「傍若無人」という熟語をごく自然に使ってみせたことだった。

そのあともしばらく日本語による4人の会話は続けられた。そのお蔭で石田は正規の勤務の始まる翌日を待たずにすっかりレゲット部長以下の3人と仲良くなった。ミセス・クラークや山本二三一と机を並べて仕事をすることも決まり、その場で直ちに石田の机と椅子が用意された。ことのついでに、近いうちにBBCのホステルを出てどこかに部屋を借りたいとの相談を持ちかけると、3人はしばらく話し合ったあと、リージェント・パーク周辺で部屋を探したらどうだろうとアドバイスしてくれた。すこしだけ待っていてもらえれば自分たちで適当な部屋を紹介してあげられるかもしれないということでもあった。

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