ある奇人の生涯

127. 老翁晩年の呟きの奥に

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

一九九〇年代も終わりの頃になると、石田翁が東京まで出向くようなことはほとんどなくなった。そんなことを口にこそ出しはしなかったものの、おそろらくは体力の衰えを自覚するようになっていたのだろう。ただ、その毒舌ぶりは相変わらずだったし、大好きなガーデニング作業に精を出しながら日々自宅の周辺を動き回っていたから、傍目にはそれほど心身の衰えを感じさせなかった。

ある夏の夜に石田邸に泊まった折など、老翁は深夜パンツひとつの姿になり、屋敷の裏手の深く広大な赤松林の中を歩きに出かけたりしたものだった。鬱蒼と樹々が生い茂り昼間でさえも薄暗いその赤松林は、夜ともなると文字通り真っ暗で、むろん人の気配など皆無であった。どうしてそんなことをするのかと尋ねると、翁は、「歳をとってしまって動物的感覚が衰えてしまったので、すこしでもそんな感覚を取り戻そうというわけですよ。別な言い方をすれば、まあ、闇を貫く目にもう一度磨きをかけ、錆を落としてみようかと……」と答えたものだった。

そんな日々を送るかたわらで、老翁は気が向いたときに筆を執り、その時々の胸中の想いを断片的なメモとして書き残した。必ずしも一貫性のあるものではないし、もともと一つの詩文としてきっちり仕上げることを狙ったものでもないようだったが、当時の翁の内面を知るうえではとても興味深いものであった。それらのメモの中には、自らの悪趣味を冷静に見すえるような一文なども含まれていた。

悪趣味な理屈

他人のことを悪趣味だと言う人は悪趣味だ。
第一悪趣味には金がかかる。
そうだとすると、他人のことを悪趣味だと言ったりするのは貧乏人のひがみか?
いや、ほんとうの貧乏人は趣味の良し悪しなんかどうだっていいんだから、他人のことを悪趣味だと言う人は、中途半端な金持ちか、中途半端な貧乏人――つまり、私や貴方みたいな人間だっていうわけだ。

また、タイトルはつけられていないが、若者らに贈るつもりで書かれたと思われる短い文章や、季節の移りに老翁なりの想いを託した散文詩風の一文などもあった。

無題

若者には無限の空間がある。
遠い近いは問題ではない。たまたまそばを通りかかった車にでも、船にでも、飛行機にでも、あるいはまたロケットにまでも飛び乗ってすぐさま何処かへ行ってしまう。
目的地などもともとない。とにかくも何処かへ行けばなんとかなるのだ。

若者には無限の時間がある。
その時間は動くこともあるし止まってしまうこともあるが、そんなことは問題ではない。時計を見る人間はもう若者ではないのだから……。

無題

春はヴェールをかぶってやってくる。
夢や希望すらまだ漠としている。
人間も自然も、戸惑いながら、手持ち無沙汰に、冬の足跡を消す。
やっと春めいたと思ったら、もう夏が始まっていた。

夏だ!、太陽だ!、恋だ!……、ん?……、でそこはいったいどこだ?
旅行社のパンフレットの中だ!
空港がある、ゴルフ場がある、プール付きのホテルにはカクテルがある。
そして夏の終りの浜辺。
西瓜の食べかす、片方だけのゴム草履。
クラゲのように打ち寄せられたコンドーム。
青春たちよ、ざまあ見ろ!、ものにはみな終りがあるんだ!……とかなんとか強がる私がいちばん惨めだった。

秋を夏の狂詩曲(ラプソディ)の余韻だと考えるからわびしいのだ。
秋を冬の夜想曲(ノクターン)の前奏曲(プレリュード)だと考えるから悲しいのだ。
秋はあくまでも秋である。
秋は美しい。
世界中の形容詞を全部使っても言い尽くせないほどに秋は美しい。

残念ながら、この一連の文章には冬について書かれた部分が残されていない。老翁が意図的に書かなかったものなのか、書こうと思っていたにもかかわずそうする時間がないままに終ってしまったものなのかは、いまとなっては定かでない。同様に季節をテーマにしたものに「恋花」という七五調の短詩のような文章などもあった。

恋花

春の恋花 おだまきの 手繰りよせしか 夏の恋
夏の恋花 紫陽花の 淡き憂いに 涙して
秋の恋花 コスモスの 咲き乱れしも 束の間ぞ
冬の恋花 寒椿 ぽとりと落ちて 悲しけれ
――そして、もう春は来ない――

最後に付け加えられた「もう春は来ない」というコメントはなんとも暗示的なものであったが、それと関連するようなごく短い言葉がメモ用紙の片端に二、三書きなぐられてもいた。

三次元的な思考力しかない人間にどうして四次元の世界が理解出来るのか?

無題

星が落ちてきて蛍になった。月が落ちてきて一粒の涙になった。太陽が落ちてきたらきっと何もかもがなくなってしまうのだろう。

さらにまた、節句について述べられた、いかにも石田翁らしい皮肉のこもった短い文章も残されていた。

絶句じゃない節句

一月一日、けじめの日、今年こそはと去年(こぞ)も言い。
三月三日は雛祭り、あれ、紀子様の着てた服。
五月五日は武者祭り、口先だけの武者ぶるい。
七月七日の七夕(たなばた)さまに、たなぼた式の玉の輿。
九月九日、栗節句、バブル弾けて金ぐりつかず。
師走晦日(しわすみそか)の年の瀬は、越せない人もちゃんと越す。

英語の得意だった石田翁は、折々、英文詩を作ったりもした。それが何時作られたものなのか正確にはわからなかったが、一枚のレポート用紙にタイピングされたまま残っていた、「Shanghai Lil」というタイトルの詩などもそのひとつだった。上海時代の恋人か誰かを遠く回想しながら創作したのだろうと想像されるその切々とした詩の響きは、穂高のドラキュラを自認していた晩年の毒舌家の老翁が、実はたいへんなロマンティストでもあったことを物語っているのだった。詩の中の「上海リル」がミサさんをイメージしたものであったのか、それともそれ以外の女性の誰かをイメージしたものであったのかは、もはや確かめるすべはない。

ただ、戦後の一時代を風靡したあの歌謡曲「上海帰りのリル」の歌詞に「どこにいるのかリル、誰かリルを知らないか」とあったことを重ね合わせて想像すると、常々どこにいるのかはわかっていたミサさんのことではなかったような気がしてならない。むしろ私には、その詩文の訴え語るところから推察すると、その「上海リル」なる女性とは、大連の老虎灘の小島で若き日の翁と結ばれ、その翌日には何も告げることなく家族ごと上海へと旅立ち、ついに再会することなく終ったあのナーシャ・イワノフだったのではないかと思われた。そもそも石田翁が大連を離れ新天地上海へと旅立ったのは、すべてを承知で翁に処女の身体を許し、そして忽然と姿を隠した彼女の消息を追い求めてのことでもあった。もっとも、上海時代にはなにかと浮名を流していた翁のことだから、まったく別の女性だった可能性も捨てきれない。

My Shanghai Lil

I’ve covered every little highway
And I’ve been climbing every hill
I’ve been looking high
I’ve been looking low
Looking for my Shanghai Lil

The stars that hung high over Shanghai
Bring back back the memory of the thrill
I’ve been looking high
I’ve been looking low
Looking for my Shanghai Lil

I learned to love her
The little devil was just a butterfly
But you discover something on the level
Shining in her eyes

Oh I’ve been trying to forget her
But hat the use I never will
I’ll be looking high
I’ve been looking low
Looking for my Shanghai Lil

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