ある奇人の生涯

2. 出遇った相手は人食い老人!

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

その日碌山美術館で「文覚」や「女」をはじめとする彫刻作品を見たあと、私は中庭に出て、白塗りの大きな木製のベンチに腰をおろした。そして、ほどよく張りつめた精神をやわらかな木漏れ陽がここちよく包み暖めてくれるなかで、碌山と黒光という時代を超えた二つの魂の壮絶な愛の相克に遠く想いを重ねていた。

能力も人間としての器量もはるかに劣る私などにそんな命懸けの大ロマンがあったわけなどないのだが、身のほどにふさわしい幾つかのロマンの経験ならばそれなりになくはなかった。時代こそ違うが、すくなくとも自らのささやかな体験を重ね通し見ることによって、明治というまだ封建色の強かった時代に近代的な精神と感覚をもって生まれた二人の魂の不幸と、それゆえの愛の苦悩の深さを偲ぶくらいのことはできた。芸術史に残る一体の彫像としてお互いの魂を合体凝結させることによってしか、明治社会の執拗な呪縛を逃れ、新たな世界へと翔くことが許されなかった碌山と黒光の煩悶の一端は、おぼろげながらもわかる気がした。

彫像に修羅の涙を托しつつ
 時を旅する若き碌山

そんな短歌まがいの戯言を胸の奥で呟きながら深い想いに耽っているときに、老人は私の脇を通りかかったらしいのだ。印象に残ったと老人が言うところをみると、よぼど情ない顔でもしていたのだろう。
「穂高駅でいまさっき客人を見送って帰ろうとしたら、あなたが立ってるんで声をかけてみたんですよ」
「はあ……」

なおも戸惑う私をまえに、老人はさらに言葉を続けた。
「今日これからのご予定は? よかったらしばらく私と話でもしませんか?」
「そうですねえ。これといってとくにありません。放浪に近いことをやっていますから」
「じゃ私がこの辺でも案内してあげましょう。これも碌山美術館のとりもつ悪縁と思ってね」
「う~ん、じゃ、まあ折角ですからお言葉に甘えるとしますか……」
「気が向いたら一晩私の家に泊まってもらってもいいですよ。独り暮しですから誰にも気がねはいりません」
「そうですか、ちょっと考えてみますが、それじゃいくらなんでも御迷惑でしょうし、図々しいにもほどがあるという気がしますから……」

相手の申し出の意図を測りかねて困惑しながらも、すこし心の傾きはじめた私に向って、なんとも人を食った殺し文句が飛んできたのはその直後だった。
「遠来の客を見送ったこんな日の夜は、独り暮しの身にはいささか淋しくてねえ。そんなときには、一夜の宿を供するふりをして、道に迷ったうまそうな旅人をとって食うにかぎるんですよねえ……」

謡曲にある安達ヶ原の黒塚伝説を想わせるそんな言葉を吐いた老人は、いたずらっぽい眼で私のほうを見つめながらにやりと笑った。相手が妖艶な美女に化けていないのは残念だったが、黒塚伝説に登場する美女は鬼姿の化身で、鬼爺が美女に化けて人を食ったという話は聞いたこともないから、それはまあ無理な注文ではあったろう。相手がドラキュラなら、一応筋は通るが、すると、今度はこちらが美女に化けなければ向こうが納得するまい。ただ、残念なことに私にはその趣味はなかった。

物語の常道からはすこしばかりずれていたが、老人のその一言は私の体内に潜むある種の嗅覚を一瞬のうちに呼び覚ました。相手がただ者ではないと直感した私は、「どうご覧になってもうまそうには見えないでしょうが、よろしければどうぞ!」と切り返した。

老人の術中に自らはまるのは目に見えていたが、こちらもそれなりに人を食ってきた身なので、この際人に食われてみるのも悪くなかろうと、相手の誘いにあえて乗ることにしたのだった。

老人は駅前に駐めてあった自分の軽乗用車に私を乗せると、穂高駅からすこし離れたところにある大規模なワサビ園に向かって走りだした。そのワサビ園行きは私のほうが望んだことで老人の勧めによるものではなかったが、相手はこちらの要請に快く応じてくれた。ハンドルを握りながら、老人はジョークや洒落を次々に飛ばし続けたが、その切れ味にはどこか日本人離れした鋭さとセンスの高さが感じられた。

晩春の夕刻のこととあってワサビ園周辺には人影はまばらだった。清冽な水のながれる水路の張りめぐらされた広大なワサビ田そのものには風情を感じはしたが、観光客目当ての雑多な土産物屋やお世辞にも趣味がよいとは言えない種々の人工物、彫像群などには、言葉を失いひたすら苦笑するばかりだった。

伝説の大王窟と称する俄か造りの見るからに怪しげな洞穴や場違いの石組みのピラミッドを指しながら、「真面目に考えれば腹も立ちますが、出来そこないのジョークだと思えば結構楽しめるんですよ」といって、老人は愉快そうに笑った。

ジョークという意味での極めつけは、園内の一角にある大王神社とかいう祠の周辺の奇妙なたたずまいだった。狭いけれど曲りなりにも鳥居と祠をもつ境内には、創業者夫妻らを顕彰した何体かの銅像がものものしく立っている。そのすぐそばに仏像らしきものが並んでいるかと思えば、鳥居の左手にはちょっとした芸術作品風の「安曇野のこどもたち」という、健康そうな男女二人の児童を形どったブロンズ像が配置されていた。そして、それらすべてを嘲うかのように鳥居から数歩と離れていないところに置かれているのが、若い女性の裸体のブロンズ像だった。

「安曇野一帯には商売上手な芸術家もたくさんいましてね。芸術にかこつけて見え見えの作品を高く売りつけた結果がこの有様なんでね」
「大真面目に並べてあるぶん、よけいに笑いを誘われますね。これらの代物を憶面もなく売りつけた芸術家やブローカー連中への痛烈な皮肉を込めてのことなら、それはそれで見上げたものなんですがね」
「時々客人を案内してここを訪ねるときには、この見事なまでのアンバランスのもたらすジョークと風刺を楽しんでもらうことにしてるんです。うっかりすると折角の珍品を見落としてしまいますからねえ」
「彫像の作者たちには、いくらなんでもそれなりの自負はあたのでしょうから、この有様を目にしたらさすがに驚いたんじゃありません?」
「そんな繊細な神経でもあれば救いもあるんでしょうが、『恥は金なり』と開き直っているかもしれませんよ。どうせなら、大きなゴミ箱のそばにでも飾っておけば、もっとワサビが利くんですがね」

老人の言葉は辛辣だった。
「なにやら僕の全身にもワサビが利いてきた感じですよ。ここまでワサビが浸み透ってくると、辛過ぎて食べてもうまくありませんよね?、やっぱりこのワサビ園を訪ねてよかったなと思いますよ」

ちょっと意地悪気味な言葉を返すと、老人は愉快そうに笑ってさらにこう応えた。
「じゃ、そろそろ利き過ぎたワサビをすこしばかり洗い落しにいきましょう。実はすぐ近くにいいところがあるんですよ。ほんとうは、あなたをそこに連れていきたかったんです。利き過ぎたワサビもですが、あなたの身体についた泥のほうもしっかり洗い流してからでないと、食べられそうにないですからね」
「泥をとったらあとは、骨ばかりで、食べるところなんかありませんよ。もっとも、ちょっとやそっとでは私の泥はとれないでしょうけどね」

軽口を交わしながら、我々はワサビ田を右手に囲いこむようにしてのびる土手上の道を歩きはじめた。碌山美術館のような本物の芸術空間もあれば、このワサビ園のように珍妙な空間もある。そして、この老人のような不思議な人物も存在している。北アルプスの麓にそって長くのびる安曇野に私はある種の親しみをさえ覚えかけていた。

土手上をすこしばかり進むと何体かの道祖神が立ち並ぶ場所に出た。いまはこのあたりの土手道もすっかり整備され、ワサビ園観光コースの一部に組み入れられてしまっているが、当時はその付近まで足を運ぶ人はほとんどいなかった。老人は道祖神の前に立つと、いかにもそれらしく見えるが、これも新しく造って運び込んだ代物だと説明してくれた。道祖神はもともと古い集落をつなぐ道沿いに点在しているものだから、たしかに、地理的にみても不自然なこんな場所にそれらが数体も一緒に立ち並んでいるわけがない。近づいて石の刻面をよく観察してみると、たしかに新しい感じのものが多い。なかにはかなり古い造りのものもあったが、それだってはじめからここにあったわけではないだろう。

道祖神群の前を過ぎてすこし進むと急に左手の景観がひらけ、西方から流れてくる川が大きく北へと曲がる地点に出た。なにげなく川面に目をやった私は、次の瞬間思わず息を呑んだ。満々と水を湛えた万水川というその川の流れは深くそして速かった。北アルプスの綾線近くまで傾いた西陽に川面は美しく映えていた。眼下を流れる水は透明そのもので、三メートルほどはあろうかと思われるその水深と速い水の動きにもかかわらず、川底までがはっきりと透きとおって見えた。

水中には若緑色の美しい水草が繁茂し、下流方向に大きくたなびくようにしてゆらゆらと搖れている。水梅花とおぼしき小さな白い花が清流の中で身を清めるようにして点々と咲いていた。下流方向の両岸にはミズナラをはじめとする好水性の樹木が密生し、幅十メートルほどはある川筋全体を両側から覆い守るようにしてしなやかな枝を伸ばしていた。岸辺よりの水面にやさしく影を落とす樹々の緑も命にみなぎり、その葉の輝きは鮮烈そのものであった。

水辺に近い土手の斜面では、タンポポをはじめとする無数の黄色い花々が、野の虫たちを誘いかどわかすかのようにその鮮かな色を競っていた。上流左手の川岸に目を転じると、二、三軒の水車小屋が建ち並び、昔風の大きな木造りの水車が、時の流れに抗うかのようにゆっくりと回転していた。眼に飛び込んでくるなにもかもが美しかった。それは信じられないような光景だった。私も国内各地をずいぶんと旅しているが、人里近くにあって昔ながらの姿をいまも留める川を目にすることはめったにない。人手のほとんど加わっていない自然堤防をそなえ、いまでも日本古来の美しい姿を残す川を集落の近くに探すとなると容易なことではないに違いない。それなのに、昔の絵や写真の中にしか見ることのできないような川が突如私の眼の前に現われたのだった。

「僕はこの川が大好きでねえ、よく散策に来るんですよ。あのジョークいっぱいのワサビ園の近くにこんな川があるなんて意外でしょう?」
「そうですねえ。日本の昔ながらの風景が時間の淀みの中にたまたまとじこめられて残った感じもしますし、西洋の印象派の絵の中に見る田園風景にもどこか似たところがありますよね」
「身体の泥は落ちそうですか?、この川の水ならそれなりには泥も洗い流せるでしょう?」
「ええ、そうですね。お口に合うほどに身が清まるかどうかはわかりませんが、利き過ぎたワサビや長年の生活でしみついた泥の大半は落ちてしまいそうですね」
「すこしくらいは泥とワサビが残っているほうが独特の風味があってうまいから、ちょうどいいでしょう」

我々はそんな愚にもつかぬ会話を交しながら、万水川周辺を心ゆくまで散策した。もし自分一人だけでワサビ園を訪ねていたらこの素晴らしい風景に出逢うことはなかっただろう。私は、いまだ正体の掴めぬこの不思議な老人に内心深く感謝するばかりだった。

実をいうと、それから二、三年のちのこと、黒沢明監督の「夢」という映画を見ていた私は、ラストシーンの映像を前にして思わず声をあげそうになった。スクリーンいっぱいに広がる美しい川と水車小屋の風景は、忘れもしないこの万水川とその岸辺に並らぶ水車小屋の織りなす景観そのものだったからである。ずっとのちなってから、あらためてその老人と出逢いの際の想い出話をするうちに、その水車小屋だけは映画撮影のために黒沢監督がとくに造らせたもので、撮影終了後もそのまま残されたのだいうことが判明したのだが、いずれにしろ、それは私にとって忘れられない風景となった。

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