ある奇人の生涯

75. 紳士淑女の国の呪縛よさらば!

ロンドン入りして一ヶ月も経たないうちに石田は初のニュースのアナウンスを担当させられることなった。一応、先任のミセス・クラーク、アラブ・エミコ、山本二三一らからそれなりのアドバイスも受けていたし、それら先輩たちのアナウンスぶりをそれまで何度か目にしつつ初アナウンスの日にそなえて心の準備もしていたから、とくに動揺は覚えなかった。そもそも、何事にも動じない気質と開き直りにも近い大胆な振舞いこそが彼の身上にほかならないはずだった。

だがそれでもなお、ブッシュハウスの放送スタジオ内に設けられた所定の位置に着席し、BBCという文字の入ったマイクロフォンを目の前にすると、柄にもなく奇妙な緊張に襲われ身体の隅々までが一瞬にしてこわばってしまう感じだった。いったいどれだけの数の日本人が、またどのような地位職業の人々が短波にのってはるばるイギリスから届く自分の声に耳を傾けてくれるものなのか見当もつかなかったが、不特定多数の日本人聴衆が自分の読むニュースに強い関心を示していてくれることだけは確かだった。むろん、そんな体験は誰にでもできるようなものではなかったから、天にも昇るような気持ちがそのいっぽうにあったこともまた事実だった。

グリニッジ時間で午前11時になると同時に放送のオープニングを飾るビッグ・ベンの鐘の音が流され、ニュース放送が始まった。最初のうち石田は無我夢中で用意されたニュース原稿を読み上げていたが、しばらくすると自分でも驚くほどに気持ちが落ち着いてきた。そして10分間余のニュース放送が終わりに近づく頃には、原稿を読み上げる自分の声の調子やリズムをほぼ同時に自己確認しながらアナウンスをおこなうことができるようになった。

これといったミスなどもなく、結果的に石田の初アナウンスは大成功のうちに終わった。マイクロフォンの前から解放されたあと口の中が少々乾くのを覚えはしたが、緊張が緩んだあまりに全身がぐったりしてしまうといったようなことはなかった。それどころか、波瀾万丈の長い道のりの末に戦後初の民間日本人としてロンドンに渡り、イギリスが世界に誇るBBC海外放送部門のアナウンサーとして無事初仕事を終えることができたという達成感のためにただもう胸が熱くなるばかりだった。

ともかくこうして、英文ニュースや英文記事をもとに日本語放送用原稿をつくる業務とアナウンスの仕事には慣れたが、一人前の日本語部局員になるために彼にはもうひとつものにしなければなければならない仕事が残っていた。それはイギリスに到着早々レゲット部長から要請を受けていた日本語部門独自の文化番組づくりと、その番組の放送そのものを自らが担当するということであった。レゲット部長は先々日本語部の文化番組を、文化芸術中心、政治経済中心、音楽中心の三つの内容からなるようにしたいという構想をもっていた。そんな部長の構想を実現するために、石田はまず手始めに文化芸術面の番組づくりに携わることになった。また、すでに音楽番組を担当していたアラブ・エミコに協力し同番組の発展強化にも尽力することになった。

そんな流れの中でレゲット部長と話を詰めていくうちに、「London in these days」、すなわち、「ロンドン今日此の頃」という番組を近々立ち上げ、毎週土曜日に石田がその放送を受け持つようにしたらどうだろうとの結論に達した。そして、その番組では「旅行者の語るロンドン」ではなく、「ロンドンっ子自身の語るロンドン」を伝えるような内容構成にしようということになった。こうして石田は5月に入ってからはロンドンのあちこちを歩き回り、身分地位の高低を問わず市内様々な人物たちと直接間接に接触しながら独自の取材を続け、担当予定番組の準備を進めていくことになった。

もうロンドンにやってきてから1ヶ月ほどは経っていたが、気心の知れた一部のイギリス人相手の場合をのぞき、現地の人々に対応するとき石田は相変わらず緊張のしっぱなしであった。とくに取材その他で英国上流階級の人々と対面しなければならないようなときには、紳士的に振舞わなければならないと神経過敏になるあまり、柄にもなく自分の一挙一動がロボットかなにかみたいにギクシャクとし、なんともぎこちなくなってしまう有様だった。たとえBBC局員の身分ではあっても石田が日本人だとわかると表情を極度こわばらせたり、さりげない口調で強烈な皮肉を漏らし浴びせたりする人物があったりしたから、彼がそれほどに気をつかうのも無理からぬところだった。

だが、この世の中、なにが幸いするかわからないものである。意外なことだが、石田のそんな緊張やイギリス人に対するどこか劣等感にも近いその卑屈な思いは、予想もしないことがきっかけとなって一挙に解消されることになった。考えてみるとそれは如何にも石田らしい自己超越と問題解消の仕方ではあったが、たとえそれがどんなものであったにしろ、その契機となった出来事に遭遇、そのことを通して不必要な心労やコンプレックスを一掃し、彼本来の自信を取り戻すことができたのは幸運の一語に尽きた。石田のいう生来の悪運の強さがここでもまた一役買ったというべきだったかもしれない。

石田は時間のあるときなどによくロンドン市内の公園を散歩した。だから、ソープ・ボックスを裏返しにしただけの台の上から数々の弁舌者が通行人に向かってそれぞれ好き勝手な持論を訴えかけることのできるスピーカーズ・コーナーなどでも有名なハイドパークにもよく出かけた。その折など、彼は、この公園の片隅にあるあちこちのベンチに腰掛けてひと時を過ごしている御婦人方の姿をよく見かけた。彼女たちは必ずといっていいほど独りずつ離れ、人目を避けるようにしてベンチにすわっていたが、その身なりや雰囲気からするとみな上流階級の御婦人方であることは明らかだった。

最初のうち石田はさして気にもかげずにいたのだが、何度かそういった御婦人方の姿を目にするうちにひとつだけ不思議な共通点があることに気がついた。彼女たちは揃いも揃って英国の庶民の好物フィッシュ・アンド・チップスを手にしていたのである。北洋ダラの身とポテトを薄くスライスしたものを味よく揚げたこの食べ物はイギリスの庶民にとっては不可欠のものだったが、上流階級の御婦人方がそれを買ってきてわざわざ公園の片隅で食べるというのはどう考えてみても不自然なことに違いなかった。はじめのうちは、常々御馳走ばかりを食べている上流階級の御婦人方もたまには庶民の食べ物が恋しくなり、公園のベンチでフィッシュ・アンド・チップスの味を楽しんでいるのだろうという好意的な解釈をしていた。しかしながら、しばらくするうちに、どうやらそうではないらしいことを知って石田はすくなからず驚いたのだった。

フィッシュ・アンド・チップスを包むには強烈にスパイスのきいたニューズ・オブ・ザ・ワールド紙のような大衆紙のほうがふさわしい。御婦人方のほんとうの狙いはフィッシュ・アンド・チップスよりも売り子がそれを包んでくれるニューズ・オブ・ザ・ワールド紙のほうにあるというわけだったのだ。たまたま見かけた一人の御婦人などは、ロンドン・タイムズ紙でニューズ・オブ・ザ・ワールド紙を覆い隠ようにしながらそのゴシップ記事を読み耽っているところだった。その様子を垣間見た瞬間、石田はすべての裏事情をはっきりと読み取ることができた。

セックス、犯罪、各種ゴシップ記事や大衆小説などで溢れかえるニューズ・オブ・ザ・ワールド紙のような大衆紙が読みたくても、上流階級の御婦人方は自分の家ではその種の新聞を堂々と講読するわけにはいかない。御婦人方の家庭で講読されているのはザ・タイムズ紙に象徴されるような教養溢れる高級紙ばかりである。しかしながら、上流階級婦人であろうとなかろうと人間の本来そなえもつ欲望や本能といったものにはそう大きな違いなどあるわけがないから、御婦人方が大衆紙の記事を読みたくなるのは自然なことである。だからといって街に出て自分で大衆紙を買うのは世間体や立場上どうしても気がひける。そんな情況の中にあって、庶民の愛するフィッシュ・アンド・チップスは上流階級の御婦人方にとっても別の意味でこのうえなく有り難い存在であるというわけだった。

ハイドパークの片隅でフィッシュ・アンド・チップスの余得を楽しむ御婦人方の姿を石田は嘲笑したわけではなかった。その時彼が心中で思ったのは、「どこの国においても、またどんな階級に属していても人間というものの本質にはすこしも変りなんかないんだ。イギリス人だろうと日本人だろうと結局皆同じ人間なんだ。だから明日からはイギリス人に対して卑屈になんかならないで堂々と振舞うようにしよう。相手に地位があろうがなかろうが、また上流階級に属していようがいまいが、自分は日本人のBBC放送記者として自然体で臨むように心がけよう」ということだった。

そんな思いに目覚めながらハイドパークを歩き回るうちに、いまひとつ石田は意外な発見をすることになった。ハイドパークの奥のほうにある何本かの樹の下には、こともあろうにかなりの数の使用済み避妊器具が散乱していたのだった。間近でその光景を目にした石田は正直なにかほっとした気分になった。それらの器具が散乱する様相が汚いとか不衛生であるとかいうようなことはどうでもよかった。紳士淑女の国、マナーの国と教え込まれ、ひたすらそう信じまた信じようともしてきたイギリスに、そのようにきわめて人間的な光景が存在しているということ自体が、異常なまでの緊張の中に身をおいていたその時の彼にはこのうえない救いとなった。

タバコの吸殻一本を処理するのに戸惑い、咳をするのを躊躇い、取材の折などに吐く言葉の一語一語に神経を尖らしてきたそれまでの自分の姿を想い起し、内心彼は苦笑するばかりだった。奇しくもそれは、フィッシュ・アンド・チップスを包むニューズ・オブ・ザ・ワールド紙と樹下に散らばるコンドームとが石田にかけられた紳士淑女の国の呪いをきれいさっぱり解きほどいてくれた瞬間だった。この時を境にして石田は欧米人への潜在的なコンプレックスから解放され、真の国際人として一段と大きな成長をみせることになったのだった。

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