ある出版社から依頼されいた四百枚近くの原稿をようやく書き終えたところである。科学哲学の根底問題をテーマにした原稿だっただけに、生来たいした思考能力など持ち合わせていない身にすれば近年にないハードな仕事ではあった。それに、このところずっと、軽い駄文ばかりを書き綴る日々が続いていたので(といっても、このAICの読者の方々をおろそかにしてきたつもりはありませんので、その点は誤解なきように)、弱い脳味噌がますますふやけてしまっていて、深い思索や徹底した推敲を要する原稿などを容易に執筆できる状態ではなかった。だから、よけいに執筆作業は大変だった。
それでもなんとか脱稿にまで漕ぎつけることができたのは、ある程度中身がしっかりしさえおれば売れない本でも刊行するのはやぶさかでないとする出版社サイドの意向と、担当編集者のひとかたならぬ熱意とがあったからだった。また、今年六月にその出版社から拙訳の奇書「創造の魔術師たち」を刊行してもらった際に、次はきちっとした自著原稿を書くという暗黙の約束みたいなものが成立してしまっていたこともいまひとつの理由だった。(時間のある方は2002年6月19日付バックナンバーを参照してください)
いまどき科学哲学がらみの本を出版してくれようというのだから、ワーストセラー作家の身としては文句のいえる筋合いでもないのだが、久々に小さな脳髄をとことん酷使したこともあって、いま我が身は一種の虚脱感に襲われている。当分は根詰めて面倒な仕事など当分はする気になれない状態なのだ。
そんな気分の延長もあって、深い思索や考察のともなう数理哲学や科学理論がらみの原稿執筆はもうこのへんで最後にしたいと編集者に告げると、「いやあ、そんなこと言わないでくださいよ」とたしなめられもした。先々どうなるかはわからないのだが、目下のところ、そんな負の心理的状況に自分がおかれていることだけは間違いない。
話は飛ぶが、いま府中市の生涯学習センターでは、例年私が企画コーディネート及び司会進行を委託されている秋の講座が開かれている。朝日新聞東京本社社会部デスク、同論説委員を経て現在は朝日新聞編集員の藤森研さんにはじまった今年の講座も、十二月八日の評論家芹沢俊介さんによる最終講座で無事閉幕ということなる。前回の十二月一日は、文藝春秋社第二出版局長の平尾隆弘さんを迎えての「ベストセラーにみる社会現象」というテーマでの講座だった。週刊文春編集長、文藝春秋編集長を経て現職にある平尾さんは、当然ながらベストセラーつくりの達人の一人で、いろいろな大物作家との付き合いも長い。そんな平尾さんをもってしても、本の売れ行きを的確に予測することは至難の業であるという。
ついでだから述べておくと、いまからもう二十年以上前のこと、長年の友人でもある芹沢俊介さんから依頼を受け、ポアンカレー著の「科学と仮説」および「科学と方法」という二冊の本をテキストに、科学理論や科学哲学に関するかなりハードな連続講義をしたことがあった。芹沢さんのほか、評論家の米沢慧さんや玉木明さんが幹事を務める「類の会」という勉強会のメンバーが対象の講義だったが、当時文藝春秋社の若手中堅社員だった平尾さんもたまたまそのメンバーの一人だった。平尾さんとはその時以来の付き合いである。
大物作家とのやりとりや出版業界のあの手この手の戦略など、業界についての平尾さんの裏話は実に面白かったのだが、話を聴けば聴くほどに私などはベストセラー作家とは無縁な存在であると痛感させられるばかりであった。ここまではっきりそのことを悟ったとなると、残る道はワーストセラーに徹するしかないのだが、よくよく考えてみると、ほんとうの意味でのワースト作家になることはこれまたなかなかに難しいことなのだ。
とりあえず、その作家の本が最低一冊は出版されるのでなけれなならない。とにかく本が出版されないことには作家とはいえないからだ。本が出版されたうえで一冊も売れないというのがパーフェクトなワーストセラー作家ということになるのだろうが、作家本人が意地でも一冊くらいは買うだろうから、現実にはまずそのようなことは起こらないだろう。そうだとすれば、ワーストセラーのワーストぶりの基準としてはいったいどのようなレベルを想定しておけばよいものなのだろう。ワーストセラー作家を自認する私の場合でも、初版発行部数二千部くらいの最低ラインの仕事をしたことはあるものの、幸いというべきか、初版が売れ残ったという経験はこれまでのところいちどもない。
四年余にわたって毎週休みなく書き綴ってきた放浪記の原稿は二千数百枚にのぼっている。雑事に追われるままに、手入れもせずそのままにしてあるが、なかにはいくらかまともな文章もあることなので、すこしくらいは整理して多少はましな扱いをしてもらえる出版社を探そうかとは思っている。先日の講座終了後、平尾さんを駅まで見送りながら、もしかしたら朝日で書いた原稿を文藝春秋社から出してもらうなんてこともありかななどと悪い冗談を考えたが、表向きの両社の日常関係からすると、いくらなんでも冗談がきついというものだろう。また、たとえそんなことをしようとしても、たちまち門前払いを食ってしまうのが落ちには違いない。
昔からの知人、友人、教え子などで大新聞社や大手出版社などに勤務する者などはたくさんいるにはいるのだが、そのような個人的交際がらみのツテやコネを頼って自分の作品を刊行してもらうようなことは正直言って好きではない。ワーストセラー作家と言われようが言われまいが、あくまでも作品本位の評価をしてくれるところと仕事がしたいし、そのような相手があるならそれが名も知れぬ小出版社でもいっこうに構わない。そんなところも見つからないとあれば、ライターとしての己の力量不足と諦め、自己満足の証として原稿をそのまま山積して放っておくか、さもなければ筆を折るのみである。
2002年12月11日