初期マセマティック放浪記より

144.北旅心景・天売島へ

天売、焼尻両島へのフェリーが出ている羽幌港に着いたのは午前八時十五分頃だった。実を言うと、フェリーの出入港時刻や両島についての諸々の情報が知りたくて羽幌港にやってきただけで、そのまますぐにフェリーに乗り込もうとは思っていなかった。ところが、たまたまフェリー便の詳細を尋ねた乗船受付窓口の係員に、十五分後に出港するフェリー乗って天売島か焼尻島のどちらかに渡り、島を一周してから羽幌港に戻る日帰りコースはどうかと勧められたのである。そのフェリー便をはずすと、必然的に島に一泊せざるをえなくなるとのことだった。

天売、焼尻の両島はまだ訪ねたことのない島々だったから、当然、その勧誘の言葉に心が動いた。よーし、じゃ、とにかく、行くだけ行ってみるか!――にわかにそう決断した私は、大急ぎで車に戻ると、取材ノートをはじめとする必要最小限の携行品をナップサックに詰め込んだ。そして、大慌てで天売島行きの乗船券を買い求め、離岸寸前のフェリーに駈け込んだのだった。海鳥の繁殖地として有名なところらしいということ以外には何の予備知識も持たないままの天売島行きではあった。

この日は晴天だったが、強い西風が吹き、海はかなり荒れていた。もちろん、フェェリーはひどく揺れたが、鹿児島の離島育ちでもともと船旅に強い私は、ときおり激しく海水の降りかかるデッキに立って、久々に味わうピッチングやローリングのリズムを懐かしんでいた。天売島までは、 手前の焼尻島経由でおよそ一時間半ほどの航海だった。

激しく高巻きうねる濃紺の海水を眺めているうちに、突然、私は不思議な感動に襲われた。いくぶん黒っぽさに欠ける感じではあったが、沖の海水の色が、故郷の甑島沿岸を北上する暖流の色と似かよっていたからである。よくよく考えてみるとそれも当然のことだった。九州南方海域で黒潮本流から分岐した対馬海流は、甑島の浮かぶ東シナ海を北上、対馬海峡周辺を通過して日本海に入り、東北地方の沖を経て、はるばるこの北海道の北西部沖まで到達しているはずなのだ。とくに夏場には海流の勢いが強いから、天売、焼尻の両島はむろん、より北に位置する利尻島や礼文島にまでその流れは及んでいると思われる。

風に煽られ激しく舷側に打ちつける潮の飛沫を浴びながら、大きくうねる海面を見つめていると、あちこちに点々と浮かぶ黒く小さな海鳥の影が目にとまった。おりからの強風と荒波をものともせず、水中に潜ったり、小刻みに羽ばたきながら海面をすれすれに飛び交ったりしている。ウミウかと思ったが、それにしてはちょと体型が小ぶりな感じだった。あとでわかったことなのだが、どうやらそれらはウトウかウミスズメの群であったらしいのだ。

それらの海鳥たちのけなげな姿を眺めているうちに、それぞれの厳しい環境に適応して生きるこの地球上の命というもの不思議さといとおしさにあらためて想いが及んだ。荒海をものともしないこの海鳥たちだって、厳冬期を生きぬくのは容易ではないだろう。陸上の生き物たちがやがては土へと還っていくように、一生を終えた海鳥たちのほとんどは海へと還っていくに違いない。地上で息絶えるものもあるのだろうが、大多数の海鳥たちは海中に没していくのだろう。ある日ついに海上で力尽き、だた一羽さびしく波間に末期の姿をゆだねるであろう海鳥の運命を想うとき、懸命にいまを生き抜くその有様がいっそうけなげに、しかし切なく感じられるのだった。

フェリーはほぼ予定時刻通りに天売港に接岸した。下船してすぐ、近くのレンタ・サイクル店で自転車を借りた私は、全周十二キロの周遊路を時計回りに走り出した。だが、これでもかと言わんばかりに猛烈な向かい風が吹きつけてくるため、懸命にペダルをこいでも自転車はなかなか進んでくれなかった。おまけに強い陽射が容赦なく地上に降り注いでいたから、出発点からほどないところにある長い坂道を上りきるだけで汗びっしょりになってしまった。

坂道を上がり終えてまもないところには、なんとなくモンゴルのパオを連想させる造りの建物が立っていた。道路脇の案内表示板に「海の宇宙館」と表記されているところからすると、羽幌港で乗船直前にもらってきた観光パンフレットの中に紹介されている天売島海鳥情報センターであるらしかった。一瞬休館かと思いかけたが、よく見ると入口の重くて頑丈そうな扉がわずかだけ開いている。自然条件の厳しい北辺の離島のことだから、風雪の激しい時などを考慮してそのような構造になっていたのかもしれない。

そっと扉を押し開けて中に入ると、外観からうけるこぢんまりとした感じとは違って、内部は予想外に広かった。数学的に考えると周長が一定の平面図形の中では円の面積が最大なのだから、壁面が円形の建物の内部が広いのは当然である。だが、外側から眺めた場合、視点から円筒形の壁面に引いた二本の接線にはさまれる部分しか見えないことになるし、奥行きも認識しにくいから、どうしても実際より小さく思われるのであろう。

たまたまそうだったのだろうが、館内には女性係員が一人いるだけで他に人影は見当たらなかった。入館料三百円を払いながら、いま天売島に着いたばかりで、これから自転車で島内を一周するところだと告げると、若くて感じのいい大塚さんというその係員は、「今晩は島内にお泊まりですよね。でしたら、この海の宇宙館にはこの入場券で何度でもはいれますから……、それに……」と言葉をつなぎかけた。それをあえて遮りでもするかのように、「いや、今回は行き当たりばったりでやって来たんで、一応、日帰りのつもりなんです」と伝えると、彼女はいかにも残念そうな表情を見せた。

その理由はすぐにわかった。類まれな海鳥の繁殖地として知られる天売島は、島全体が特別天然記念物に指定されている。そして、その天売島において、最大かつ最高の見物とも言うべきウトウ帰巣の一大ページェントが繰り広げられるのは、ちょうどこの時期だというのである。繁殖期には数十万羽にのぼるといわれるウトウの大群が、オオナゴやイカナゴなどを十匹も二十匹も口にくわえたまま、日没直後の黄昏の空を背景に、海上から巣穴めがけて一斉に帰還する。その光景は壮観の一語に尽きるというのだった。

自然界の生存競争は常に厳しい。ウトウがヒナのためにくわえて戻るそれらの獲物を横取りしようと、巣穴近くにはウミネコの群が待ち構えている。せっかく持ち帰った獲物のほとんどを巣穴に入る直前に奪い盗られてしまうウトウも少なくないらしい。営巣期には、そんなウミネコの群とウトウの群との熾烈な攻防戦が、毎夕繰り返されるのだという。六月はそんな海鳥たちの様子を観察するのに絶好の時期なので、その感動的な光景を見ないで帰るなんてもったいないというのが大塚さんの暗に言わんとしたところだったのだ。

もちろん、私の心は大きく揺らいだ。ただ、その必見のドラマを見物するには一晩島内に宿泊しなければならなかった。こんなことなら、ノートパソコンを持ってくるのだったと後悔したが、むろんあとの祭りだった。旅先から書き送らねばならない原稿の絞め切りが翌朝に迫っていたからである。それでも、なんとかもっともらしい口実をつくって編集部に泣きついてみようかとは考えた。そして、一応は、これならという送稿遅延の理由をひねくり出してはみたのである。

だが、泥縄式の対応策をそこまで考え出したところで、私は決定的な誤算があるのに気がついた。日帰りのつもりで慌ててフェリーに飛び乗ったため、必要最小限のお金しか持参していなかったのだ。帰りのフェリー代を差し引くと、どう計算しても宿泊代が足らない。非常時に使うVISAカードも車の中に置いてきてしまっていたから、万事休すというわけだった。かくして、無情にもウトウ帰還の一大ページェント見物は夢とついえ去ってしまったのだった。
「土曜日なので宿は混んでいるかもしれませんが、お一人くらいなら電話すればどうにかなるとは思いますけれど……」という大塚さんの親切な言葉に、「とりあえず、島内を一周してみてからどうするか考えてみます」と答えはしたものの、自分の意思に関わりなく、すでに結論が出てしまっていたようなわけだった。まさか、「宿泊費が足りませんので貸してください」などと言い出すわけにもいかなかったから……。

それにしても、人間、妙なところで妙なことを想い出すものである。なんとその時、突然に、徒然草の中の、「少しの事にも先達(せんだち)はあらまほしき事なり」という一文が脳裏に浮かんできたのだった。長年の宿望を果たすべく石清水八幡宮詣でに出かけた仁和寺の法師が、案内不足のゆえに、極楽寺や高良神社などを本殿と思い込み、肝心の山上の本宮を参詣せずに帰ってきてしまったという逸話の最後にある、あの有名な教訓の言葉である。私の場合は少々事情が異なり、一応は先達を得ることはできたのだが、どうにもそれが遅すぎたというわけだった。

だが、懲りない私は、そこで屁理屈をつけ、いささか落胆しかけたおのれの心をいま一度奮い立たせることにした。そして、ともすると意気消沈しがちなそんな努力の中で、都合よく想いついたのが、風姿花伝ゆかりの「秘すれば花」という言葉だった。言葉遊びもいいところではあったが、その時は結構真剣だった。

芸能者が高名になり、観客の期待感が大きくなり過ぎると、どんなに素晴らしい舞台を演じても「花」、すなわち、演者の発する心身の輝きが観客に与える感動は薄れる。むしろ、まだ人々にあまり知られていない役者が、観客の想像もしなかったような最高の舞台を演じきったときこそ、役者の「花」、すなわちその存在感と技芸の凄みと華麗さは極みに達し、観客のうける感動も至上のものとなる――私個人の甚だ勝手な解釈で申し訳ないが、世阿弥は花伝書の中で「秘すれば花」の精神をそんな風に語っているようにみえる。

情報不足のまま、過度の期待を抱くこともなくこの旅の舞台にやってきた観客の私は、この際、その「秘すれば花」の精神にあやかって、自分が予想もしていなかったような「花」を秘めているかもしれない天売島という未知の役者の演技を眺めてみようと、あらためて思い立ったのだ。そして、まずはこの「海の宇宙館」からと、その展示物を一通り順に見学してみることにした。午後二時四十五分発の羽幌行きフェリーの最終便までには四時間ほどある。その時間を計算に入れながらの島巡りのはじまりだった。
2001年8月1日

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