初期マセマティック放浪記より

194.サッポロビールを注いだ相手は?

六月下旬のこと、新橋の第一ホテルで催された東京周辺在住者対象の高校同窓会に出席した。私自身はいろいろと催されるこの種の会合に積極的に参加するタイプの人間ではないのだが、たまにはいいだろうとおもい顔を出してみたのだった。会場の大広間には今年高校を卒業し大学に入ったばかりのフレッシュマンから七十を超える大先輩まで四百人近くが集まり、それなりに盛況であった。

立食パーティ形式の会場には二十個ほどの円型テーブルが配されていて、それぞれのテーブルには、たとえば第一回卒生、第十一回卒生、第二十一回卒生、第三十一回卒生といった具合に、十年違いの各年代層の会員が集まり、お互いに年齢を超えた交流がもてるような工夫と配慮がなされていた。

私が振り当てられた、第二回卒生、第十二回卒生、第二十二回卒生といった会員用のテーブルはたまたま参加者が少なく、また位置的にも会場の右隅寄りに位置していたので、他のテーブルと較べると静かで落ち着いた雰囲気だった。開会直前になって、七十歳前後かとおもわれる物静かな感じの人物が、「ここは老人がいても構わない席ですか……」と言いながら低い物腰で近づいてきて、私の隣にそっとたたずんだ。

同窓会々長による開会の辞に続き、鹿児島の母校から招待された学校関係者、さらには同窓会幹事連の挨拶が終わり、まずは皆で乾杯という段取りになった。各テーブルに冷えたサッポロビールが何本も運ばれてきたので、私はそのうちの一本を手にすると、すぐさま隣の大先輩とおぼしき人物のもつグラスにビールを注いであげた。なかば遠慮がちに私のお酌をうけてくれたその人物は、いったんグラスをテーブルにおろすと、今度は自分がビール瓶を手にとって私のグラスにビールを注いでくれた。私は下戸でアルコールはほとんどだめなのだが、とりあえず乾杯の音頭に合わせてグラスを掲げ、隣の人物をはじめとする同じテーブルの人たちとも互いにグラスを重ね、かたちだけ軽く口をつけた。

第二回卒の大先輩であるらしいその人物は、「私も今年で七十になりましてねえ……」と鄭重な口調で親しげに話しかけてきた。それから、私たち二人は、近年の母校の様子などを紹介したリーフレットに目を通しながら、しばし、たわいもない軽い会話を交し合った。ただ、その相手の自然な身振舞いの奥になんとなく洗練されたものを感じ始めていた私は、しばらくすると、この人物はどういうキャリアの持ち主なのだろうかと少々気になりだした。ただ、だからといって、「お仕事は?」だの、「これまでどんなことをなさってきたんですか?」だのと詮索意識をまるだしにして臨むのも憚られてならなかった。

ところがである。隣合っているときには見えなかったのだが、ちょっと位置が変わったときにさりげなく相手の胸のネームプレートに視線を送ると、思いがけずも「枝元賢造」という四文字の名前が目に飛び込んできた。そんな……まさか……同姓同名ということだってあるしなあ……高名な業界人としてその名前だけはかねがね耳にはしていだけれど、そもそもその人は自分の出身高校の先輩だったんだっけ?……もしそうだとすれば、それに気づいて挨拶に来る者があってもよさそうなものだがなあ――胸中で渦巻くそんな戸惑いをしばし私は御しかねていた。互いにビールを注ぎ合いグラスを重ね合わせた相手がほんとうにその人物であるとすれば、あまりにも話が出来過ぎているともおもったからだった。
  再びその人物の隣に並んで立った私は、周囲の様子を窺い、二人だけになったタイミングをみはからったうえで、思い切って小声でそっと尋ねかけた。

「あのう……もしかしたら、サッポロビールの枝元賢造さんでいらっしゃいますか?」
相手の人物は不意を突かれたようにちょっと私のほうを見ると、すぐにテーブルの上に軽く視線を落とし、しばしのあいだ黙り込んだ。十秒か十五秒くらいはその沈黙が続いたのではなかろうか。やはり人違いだったのかな、そうだとすればなんだか申し訳ないことをしてしまったかな――私の胸中にそんなおもいが湧き上がりはじめたころになってから、相手はようやく口を開いた。そして、一言だけ、「はい、そうです……」と低く囁くように言った。わずか三十秒足らずの間のやりとりだったが、元サッポロビール社長で現在では同社の名誉顧問をつとめておられる枝元賢造さんのお人柄がよく偲ばれるできごとではあった。

それにしてもなんということだろう、下戸の私がたまたま元サッポロビール社長と隣合わせ、そうとは知らずにサッポロビールを相手のグラスに注ぎ、相手からも自分のグラスにサッポロビールを注いでもらい、グラスを合わせて乾杯する――気まぐれというかなんというか、神様というものは、時になんとも味な人生の演出をしてくれるものである。

私がネームプレートのその名をかねがね耳にしていなかったら、また会場でそれを見落としてしまっていたら、サッポロビールを注ぎ合ったその人物が誰であったかなど最後まで知ることはなかったであろう。そのあと私がちょっと席をはずし旧知の後輩と話をし終えてテーブルに戻ったときには、枝元さんの姿はすでに会場から消えてしまっていた。風のようにスーッと立ち去っていったものらしい。同期の友人たちが、「この同窓会用にサッポロビールを寄贈してくれたのは枝元賢造さんらしいよ」というので、「いままで御本人がここにいたじゃない」というと、誰もが狐につままれたような顔を見せたような有様だった。

あとで拙著を一冊贈呈すると、みるからに達筆なペン字の礼状が送られてきた。鄭重な文面の隅々にいたるまで、初対面の後輩の私に対するこのうえなく温かい思い遣りと心配りに溢れていて、なんとも心嬉しいかぎりではあった。
2002年7月31日

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