初期マセマティック放浪記より

202.阿武隈洞から入水鍾乳洞へ

翌日は六時半に起床し、ただちに阿武隈山系のなかほどにある滝根町目指して走りだした。お目当ては同町にある阿武隈洞である。秋芳洞や竜泉洞をはじめ、国内にあるめぼしい鍾乳洞にはほとんど行ったことがあるのだが、阿武隈洞だけはまだ一度も訪ねたことがなかった。たまたま車中泊をした新舞子浜のあたりからはそう遠くないところのようなので、この機会に是非訪ねてみようと思い立ったようなわけだった。途中で朝食をとったりしながら夏井川渓谷伝いにくねくねと山間を縫う道路をのんびりと走ったが、それでも午前九時頃には阿武隈洞前の駐車場に到着した。滝根町に近づくと、遠くからでも石灰岩を削り取った痕跡も生々しい白く大きな岩山が見えるのだが、阿武隈洞の入口はその岩山の中腹あたりに位置している。

阿武隈洞が発見されたのは比較的最近のことのようだ。一九六九年(昭和四十四年)、石灰岩の採掘中にたまたま発見されたものらしい。国内有数の規模をもつ鍾乳洞で、公開されている部分の洞の長さが六百メートル、未公開部分の洞の奥行きは二千五百メートルにも及んでいるという。未公開部分の洞内には、天井の高さ九十メートルにも及ぶ大ホールや日本一を誇る高さ四十五メートルのフローストーンなどが存在することも確認されている。通常コース千二百円、探検コースを含めると千四百円という見学料はちょっと高いという気もしないではなかったが、その料金が適切なのか否かは実際に入洞してみてからでないと判らないので、まずは素直に料金を支払って洞内に入った。

広く大きな洞内はよく整備が行き届いており、直接間接の照明にも音声や文字による解説にもあれこれと工夫が凝らされている感じだった。白頭巾をかぶった巨大な妖怪を連想させる妖怪の塔、滝根御殿と命名された高さ二十九メートルの大ホールやそのなかで青白く輝く無数の荘厳な石柱と石筍群、針のような形の結晶が成長してできた海の珊瑚そっくりの洞穴珊瑚、さらには、洞窟壁面を流れ落ちる地下水の石灰分が再結晶し滝のような形になったフローストーンなど、洞内に見る自然の造形の妙はなんとも素晴らしいかぎりだった。

この阿武隈洞の鍾乳石の全体的な特徴はその色や形の繊細さで、なかでも上部から垂れ下がるように伸び広がるヴェール状やカーテン状の鍾乳石は他の鍾乳洞ではあまり見かけることのない珍しいものであった。クリスタルカーテンと呼ばれる薄手の垂れ幕状鍾乳石などはそれらの代表的なもので、十分に光を当てるとその内部模様などをも観察できるということであった。

各種のフローストーンや複雑な形状の石柱石筍群の立ち並ぶ竜宮殿もその名に恥じぬ華麗さを荘厳さを誇っていた。また、側面を大小無数のツララ状鍾乳石群で覆い飾られた巨大石筍などにはクリスマスツリーとか樹氷とかいった名がつけらていて、いずれも息を呑むばかりの美しさであった。

洞内通路の片隅に設けられたベンチに腰掛け、しばしこの洞窟御殿の見事な石の装飾物にみとれながら、この大鍾乳洞が形成されるまでの長いながい時間のことをおもいやった。鍾乳石や石筍がわずか一センチ伸びるのにさえも途方のない時間を要するという状況のもとで、この岩の御殿が現在のような形をとるようになるまでにかかった気の遠くなるような時間の流れにくらべ、おのれの命のなんと短く儚いことだろう。

もちろん、百数十億年という宇宙誕生以来の天文学的時間に較べればずっと短いに違いないが、それでも何千万年さらには何億年にものぼるという鍾乳洞形成までの時間の集積がいかに途方もないものであるかは、鍾乳石の先端に付着した水滴が間をおいてポトリポトリと垂れ落ちる様子を見ているとおのずから納得がいく。

かぎりなき時の滴の穿ちたるこの岩殿に命はかなむ

巨大洞窟の中で静かにしかし着実に繰広げられている壮大な時間のドラマに圧倒されながら、いったんはそんな歌を詠んだりしたものの、人間の命などというものは長ければよいというものではないとあらためて思いなおし、私はおもむろに立ち上がった。この世界の中においては、我々の短い命には短い命なりの役割と意義とがあるはずだ。そのひとつは、たとえば、この鍾乳洞の中にみるような自然の一大ペイジェントの存在を認識し、そこに秘められた大宇宙のメッセージに深い感動と共鳴を覚えることだろう。もともと暗黒に包まれた深い洞内に息づく時間の芸術というものは、たとえそれがどんなに素晴らしいものであろうとも、その素晴らしさを知覚し激しく心を揺すぶられる生命体がなかったら、所詮無に等しいに違いない。その意味では壮大な宇宙もまたおなじであるといってもよい。

柄にもなくそんな大仰なことなどを考えながら、洞内探訪コースの最後にある月の世界なるところへと出た。相当奥行きのある地底空間があって、石筍、石柱、リムストーン、鍾乳管、フローストーン、ヴェール状鍾乳石など多種多様な鍾乳石群が立ち並び、まるで月世界かなにかにもまがう不思議な雰囲気をかもしだしている。それを、夜明けから夕暮れにいたるまでの光の加減を演出できる舞台照明用の調光システムでライトアップしてあるから、なかなかに見ごたえがあった。

阿武隈洞を一通りめぐり終えた私は、これなら千四百円の入洞料もまあ仕方がないかとおもいながら外へ出た。そして、ともかくもこれで未訪問のまま残っていた阿武隈洞の探訪を実現することができたというささやかな達成感にひたりながら、なにげなく周辺の観光案内リーフレットを眺めやった。すると、「入水鍾乳洞」という変な名前の鍾乳洞の紹介記事が目に飛び込んできたのである。

なにーっ、じゅすいしょうにゅうどうだって?、まるで昔の人が身投げの場にしていた鍾乳洞みたいじゃん!――そんなおもいが一瞬脳裏をよぎったりもした。だが、その鍾乳洞の紹介文によく目を通しているうちに、どうやら「にゅうすいしょうにゅうどう」と読むらしいことが判明した。ちょっとしたケービング気分が味わえる鍾乳洞だとのことで、洞内を湧水が流れており、膝下あたりまでを水中に入れながら洞内探索をしなければならないのでそんな名がつけられているらしかった。

道内は真っ暗で狭いところがほとんどなので、自分でライトを持参するか入口で蝋燭を借りるかし、それで足元を照らしながら奥へと進まなければならないらしい。また天井が特別低くなっているところなどでは、下半身をまるごと冷たい水中につけながら、いざったり四つん這いになったりしながら移動しなければならないようでもあった。身支度に関しては、下半身は濡れても構わない短パンか海パンに草履かサンダル履き、上半身には防水の効いたアノラックか雨合羽をはおるか、さもなければ濡れてもいいシャツ類を着ておく必要があるみたいだった。

うーん、これは面白そうだなあ、ちょっと大変かもしれないけれど、またとないチャンスだからチャレンジしてみることにするか――むらむらと湧き上がるいつもなからの野次馬根性を抑え切れず、自分の歳も考えずにそう決断したようなわけだった。近頃は、何か興味深い出来事を目前にしたようなとき、「それはまた次の機会に……」などといったふうに先送りすることはしないようになってきている。それとは逆に、たぶんこれが最後の機会で、この機を逃せばもう二度とチャンスに恵まれることはないだろうと考えることのほうが多い。

どうやら私も「一期一会」という言葉のもつ重みを痛感する年頃に到達したということなのだろう。それならば、すぐにも身を慎んで放浪などはやめ、残された時間をもっと意味あることとの出逢いに費やす心がけがあるかというとそうでもない。身体の動くうちに行けるところは行っておこうと、ますます粗食と車中泊がもっぱらの経費節減の旅に身を委ねることになるのだから始末が悪い。

阿武隈洞から車で二十分ほど走ったところにある入水鍾乳洞の駐車場に着くと、すぐに濡れてもいい短パンとスニカーに履き替え、Tシャツの上に登山用のフード付きアノラックをはおり防水ライトを手にして入洞口へと向かった。洞口へと向かう道沿いにある食堂や土産物店では、下準備のない入洞希望者に、草履や合羽、照明用蝋燭などを貸し出しているようでもあった。また、入洞口脇の受付事務所に隣接して男女別の更衣室なども設けられてもいた。

予想外だったのは、洞内の見学コースがA、B、C、の三コースにわけられていて、それに応じて三段階の料金設定がなされていることだった。洞内のもっとも手前の部分だけを見学して戻るAコースは五百円、さらにその奥のカボチャ岩までを往復する片道六百メートルのBコースは七百円の入洞料になっていた。ところがBコースの終点からさらに三百メートル奥まで進む片道九百メートルのCコースだけは特別で、危険度も高いという理由から案内人付きでないと探訪を許可されないようになっていた。しかもその料金たるや、一名~五名までが四千六百円一律になっていた。五名のグループなら一人当たり九百二十円となり、Bコースより二百二十円高いだけなのだが、一人だと四千六百円をまるまる自分で支払わなければならない。

誰かCコースを希望する来訪者が他にあれば声をかけて割り勘でともおもい、しばらく受付事務所前で様子を窺っていたが、Cコースは言うに及ばず、Bコースを希望する者さえほとんど現れない有様だった。ウイークデイだったこともあって、来訪者がそう多くはなかったこともその原因だったのだろう。どうしたものかとおもいながら案内表示板の解説などを読んでみると、Bコースのカボチャ岩まででも往復はそれなりに大変で、ケービングの雰囲気だけならそれでも十分に味わうことが可能らしいとわかってきた。それならばというわけで、この際Cコースは断念しBコースで我慢しておくことにした。

一期一会の精神にのっとれば、洞内の最奥までを往復するチャンスはもうなさそうだからこの際迷わずCコースをと決断すべきところだが、そこが貧乏人の情けないところで、四千六百円が惜しくなってしまったというのが正直なところだった。一期一会の精神が金次第で左右されたというわけだからなんとも格好のつかない話である。たとえ明日食べるものがなくなったとしても今日見るべきものは見ておくという潔い心を持てる状態にまで到達しないかぎり、私の一期一会の精神は所詮贋物に過ぎぬのかもしれないと、あとになって少々反省した次第でもあった。
2002年9月25日

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