初期マセマティック放浪記より

76.万巻の書を読破するには?

「万巻の書を読破する」という言葉に象徴されているように、数多くの書物を読みこなす能力というものは、昔からたいへん重要なことだと考えられてきた。だが、もともとたいした読書能力を持ち合わせていない私などは、本を読むこと自体は嫌いでなかったにもかかわらず、一冊の本を読破するのにも頭を抱え、喘いだことも少なくない。自分の読書力のなさを常々思い知らされていた私は、あるとき、普通の能力の人間が最大限に努力したとして、万巻の書を読破するのにいったいどれくらいの年月がかかるものだろうなどという愚にもつかぬことを真剣に考えてみた。

そもそも心理学的にみると、そんな思いに取りつかれること自体が問題なのかもしれない。ある種の義務感に促され、己の能力を超えた量の読書に挑もうとする見栄張りの表層意識に対し、実質優先の潜在意識が、「もういい加減に無理なことはやめてくれ、そうでないと、それでなくても心許ない脳神経の回路がオーバーヒートしてしまう」という暗黙の警告を発しているせいだと解釈できなくもないからだ。

さて、万巻の書の読破に要する時間のことだが、いまかりに、土曜と日曜を除く毎日、一冊ずつ本を読んでいくものとしてみよう。さしあたっては本の内容やページ数は考慮にいれないものとする。一年を五十二週として計算すると、年間で約二百六十冊の本を読むことになる。これは普通の人間にすれば相当なペースであるが、たとえこのペースで本を読み続けたとしても、万巻の書を読破するには実に四十年の歳月が必要となる。なんとか自力でまともに本が読めるようになるのが十歳くらいからだとすると、万巻の書を読み終える頃には五十歳になっている計算だ。

しかも、漫画本ならともかく、ちょっとした内容の厚めの本ともなると、一日に一冊読み終えるのはきつい。まして、二・三ページめくっただけで眠気を催すような専門書や洋書となると、その道の専門家でも、週に一・二冊も通読できればよいほうだろう。そうなると、読破のペースもぐんと落ちる。読書を仕事との一環とする学者や物書き、あるいは、なんらかの理由で読書しかやることのない人ならともかく、普通の人の場合は、くる日もくる日も読書に耽ってなんかおられない。

いっぽう、学者や物書きのような人々の場合でも、実生活にそれなりの時間は必要だし、自分本来の研究を進めたり原稿執筆をしたりするためにも膨大な時間を費やさざるを得ない。くわえて、諸々の専門書の中には、通読するのに一・二ヶ月を要するようなものもザラにあることを思うと、四十年で一万巻の書物を読破することなど現実には不可能だろう。たとえ二倍の八十年をかけても、絶対に不可能とは言わないが、まずもって実現は困難だろう。ごくささやかな図書館の場合でも、普通、二・三万冊くらいの蔵書はそなえていると思われるが、生涯かけてもそれらの本すら読破できない人間の能力なんて、なんと小さなものであろう。

もっとも、世の中には一見不可能そうにみえることに挑む超人や、信じ難いような速読の達人が一人や二人はいるものだから、ギネスブックなどを調べたら、生涯に読破した本の数が十万冊以上などという怪記録が記載されていたりするかもしれない。また、「万巻の書を読破する」という言葉が生まれたのはいつの時代のどこの国のことかは知らないが、おそらくは、古い経典類にみるように、書物の多くが巻物として扱われていた遠い昔のことだろう。いにしえの巻物の文字は近頃の活字体の文字よりずっと大きかったから、一巻の書物に収められた文章の量は現代の一冊の本に収まっている文章量よりは少なかったに違いない。そんな事情からすれば、万巻の書を読破するのは昔のほうが楽だったろうし、それだけ実現の可能性も高かったという見方ができないことはない。だが、たとえそうであったにしろ、膨大な時間を要しただろうことには変わりがい。

ちゃっかりそんな計算をし終えた私は、万感の想いにひたりながら、万巻の書に挑むことをきっぱりと諦め、千巻の書に挑む程度に志しを変更した。本を読むということは大切なことだが、読んだ本の数が多ければよいというものではない。たとえ一生のうちに一冊の本しか読まなくても、行間に隠されたものをも掴み取るつもりでしっかりと読み込めば、そこから得られるものは計り知れない。その本に心から感動し、そこから学んだものを基に想像力を広げ、思索を深めることができれば、それで十分なのだと思う。個人的に向き不向きはあっても、優れた書物というものは、もともとそのような奥深さを秘めもっているものだ。

歴史のなかで蓄積された先人の知恵や教示は重要だが、ひとりの人間がそのささやかな能力で処理できる情報量には限度がある。結局、我々は、自分に適した量と内容の書物だけを読み、あとは、自分の頭と体で精一杯の思考と工夫を積み重ねていくしかない。単なる知識と人生の本質に深く関わる叡知とはもともと異なるものであって、多読によって知識を身につけることはできるが、叡知のほうは必ずしも多読によって得られるとはかぎらない。たぶん、真に必要なのは、叡知を授けてくれる一冊の本に出逢うことのほうである。

ただ、必要なときに必要な本に出逢うためには、一定量の蔵書が手近かにあったほうがよいということはあろう。なにげなく買いおいてあった一冊の本をたまたま手にし、その本から、その後の人生を大きく左右するような深い教示をうけるといったことは、誰しもがよく経験するところである。そして、そういった出逢いを起こりやすくするためには、たとえ全部を読破することはなくても、ある程度の冊数の本を常時身近に置いておくにこしたことはない。一冊の本に出逢うために百冊の蔵書が必要で、結果として残り九十九冊が無駄になったとしても、それはそれで構わないとも言える。

人間というものは厄介なしろもので、周辺から、この本は良書だからと勧められても、すぐにはそれを読む気になれないものだし、たとえ読んだとしても、勧めた人と同様の感銘を覚えるとはかぎらない。極端な場合には、どうしてこんな本を勧めてくれたのだろうと訝しくさえ思ったりもするものだ。その人の年齢、職業、育ち、現在の生活状況などによって、本に対する評価というものは大きく違ってくるものだから、そんなことが起こるのは仕方のないことだろう。他人の勧めは参考程度にとどめ、本との出逢いは、やはり、その人なりの生活を通じ、自然なかたちにでなされるのが最善のようである。

本との出逢いというと、私にも懐かしい想い出がある。たしか、高校一年生の頃だったと思う、たまたま出かけた鹿児島市内の縁日の夜店で、題名さえもよく見ぬままに一冊の文庫本を買い求めた。買った訳をあえて述べれば、古本と銘うたれていたにもかかわらず、その文庫本が真新しいままで、しかもその値段が五円という当時としても破格の安値だったからである。私はその本を持ち帰り、他の本と一緒にそのまま読まずに放っておいた。いわゆるツンドクあるいはタテトクというやつである。

それから三年余の歳月が流れ、東京に出て大学生活に入ったある日のこと、なにげなく本棚に手を伸ばし、すっかり忘れていた「愛の無常について」という角川文庫版のその本を取り出した私は、冒頭部を走り読みした途端に、すっかりその虜になってしまったのだった。いっきにその本を読み通したことは言うまでもない。天蓋孤独の境遇に加えて、まだ若く不安も迷いも多かった当時のこの身とその心を少なからずいやし、その後の人生にとって大きな示唆を与えてくれることになったその本を、私は、全文を暗記するほどに何度も何度も読み返した。そして、さらに、その筆者、亀井勝一郎の他の作品を片っ端から読み漁った。「我が精神の遍歴」や「大和古寺風物誌」などの著作もずいぶんと印象に残っている。

著者の亀井勝一郎が、小林秀雄や阿部次郎らと並ぶ当時の著名な評論家の一人であることを知ったのは、その著作を何冊か読み終えたあとのことである。むろん、この歳になれば、その本に対する受け取りかたもずいぶんと異なったものにならざるを得ないし、いま読んで自分が感動する本ということになれば、多分に違ったものになってしまうことだろう。だが、そんなことに関わりなく、「愛の無常について」という一冊の文庫本が私の青春の掛替えのない一里塚であったことだけは間違いない。

学者や物書きといった人々は、たいてい立派な本棚に大量の書を蔵している。それを目にした一般人は、その種の職業の人々が蔵書を常時利用し、そのほとんどを読破しているものと思いがちだが、まずそんなことは有り得ない。ちょっと指先を濡らしてずらりと並ぶ本の上端部をなぞると、ホコリがべったり付くものだし、そもそも仕事に必要で読む本は、机上や床に散乱しているのが普通である。ともすると、立派な書架に並ぶ蔵書は、初対面の者を心理的に圧倒し精神的に優位に立つための「虚飾性調度品」になってしまいかねない。

学生に頼んで研究室の蔵書に赤線を引いてもらったというある教授の話を昔耳にしたことがあるが、書物の利用の仕方も人それぞれである。学者の書いた専門書などを読むと、引用文献や参考文献なるものがずらずらと巻末に列挙されているものだが、あくまで「引用」や「参考」なのであって、その著作者がそれらの文献を全部読んだというわけではない。直接の引用ではなく、孫引き、ないしは、そのまた孫引きだなんていうことさえも考えられる。

本を多読するにこしたことはないけれども、ほんとうに重要なのは、読む本の量ではなく、本の質そのものであり、また、その本をどう読み取りどう活かしていくかということなのだろう。そして、そのために絶対欠かせないのは、自らの意志をもって考える能力と、自らの言葉で想像する力であると言ってよい。
2000年4月5日

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