東鳴子の古びた旅館田中温泉に一泊したあと、大間歇泉で名高い鬼首温泉を通過し、さらには落ち着いた雰囲気と静寂さで知られる秋の宮温泉を経由して秋田県の雄勝町へと走り抜けた。このときはまだ季節が早すぎて紅葉は望むべくもなかったが、秋の盛りの頃に見るこの一帯の渓谷の紅葉美は素晴らしいの一語に尽きる。知る人こそすくないが、標高八百メートルの鬼首峠を越える旧道から眺める秋の景観は文字通り息を呑むばかりである。
雄勝町からは湯沢へと向かってすこしばかり北上し、相川というところから小安温泉郷方面へと続く道に入った。相川から小安温泉郷までは二十五キロほどの道のりだった。
小安温泉郷の道の駅に立寄ると、誰でもが無料で自由にはいれる釜湯と足湯とがあった。どうせならと葦の簾を掻き分けて釜湯のある部屋を覗いてみると、一度に二人くらいは入れそうな昔風の大釜型湯船がしつらえられていているではないか。湯釜には近くの源泉から引かれてきたお湯が溢れんばかりにはられている。これを見逃す手はないと考えた私は、他に観光客がいなかったのをいいことに釜湯をながながと独占し、湯加減もほどよいそのお湯を心ゆくまで楽しんだのだった。
釜湯を出ると、すぐそばの広場の芝生に寝転がって小一時間ほど昼寝をし、そのあと歩いて十分ほどのところにある小安峡の名勝、大噴泉を訪ねてみた。小安峡の急峻な斜面をジグザクに縫う歩道をくだると、ほどなく渓谷の底部に出た。岩盤のあちこちからは高温の温泉が湧き出ており、それらが幾筋もの細流となって深い淵をなす渓谷本流へと流れ込んでいた。合流部のすこし川下にあたるところでそっと淵の水に手先をつけてみると、その表層部はほどよい温かさになっていた。
そこから上流方向へむかってしばらく進むと、ゴーゴーという音が聞えてきた。蒸気かなにかが激しく噴き上がっている感じである。ほどなく、一面にもうもうと湯煙が立ち込め、水蒸気混じりの温泉水が勢いよく噴出しているところへと出た。間歇泉と違って絶間なく大量の熱水が噴き上がり、すぐそばの淵へと流れ込んでいる。各地の温泉をずいぶんとめぐり歩いてきている私にとっても、深い渓谷の断崖から激しく湧き出るこのような大噴泉を目にするのは珍しいことだった。大噴泉を見学してからの帰り道、たまたま道路のすぐ脇に独特の形と色をしたタマゴダケが生えているのを見つけたので、それを採って車に戻った。
小安温泉郷からさらに谷沿いに遡行し、秋田と宮城の県境にあたる花山方面へと向かって進むと、大湯という新たな温泉地に差しかかった。とても落ち着いた雰囲気の宿が二軒だけ建っていて、そのすぐ近くには見るからに風情に富んだ天然露天風呂などがあったりもした。だが、ちょっと前に長々と温泉につかってきたばかりだったので、さすがにそこは周辺を一通り見学するだけにとどめ、さらに奥へと向かって再び車を走らせた。
国道三九八号伝いに花山峠を越えて宮城県側に入る前に、日本百名山のひとつ栗駒山の北西面を縫う栗駒道路への分岐点に差しかかった。そのまま通過しようかとも考えたが、せっかくのことだからと思い直し、ちょっとだけ寄り道して須川温泉までの往復を試みることにした。もう太陽は大きく西の空へと傾いていたが、眼下はるかに広がる雄大な山岳風景を楽しみながら栗駒山北面の高原地帯を疾走するのは快適このうえないことだった。一段と展望のきく途中のオープンスペースに車を駐めて休憩したおり、コンロとコッフェルを取り出してお湯を沸かし、先刻採ってきたタマゴタケ入りのインスタントスープをつくって飲んでみたが、なかなかに美味で全身が温まってくる感じだった。
一関と湯沢とを結ぶ三四二号線との合流点にある須川温泉まで行くとそこで引き返し、もう一度三九八号線に戻った。そして、そのあといっきに高度を上げ、花山峠を越えて宮城県側に入った。花山峠からすこしばかり下っていくと、左手道路脇に駐車場らしい小さなスペースがあって、その一角に湯浜温泉入口という表示板が立っているのが目にとまった。どうやら左手の深い谷の奥に温泉宿が一軒あるらしく、そこまで行くには山道を歩いて二、三十分ほどの時間を要するらしかった。
もうあたりは薄暗くなりかけていたが、その晩には東北を立って東京への帰途に着くつもりだったので、旅のフィナーレを飾る意味でももう一風呂浴びていこうという気になった。そして、タオル類のほかに帰りの暗がりに備えて懐中電灯を用意し、深いブナ林の下を縫う細く急な山道を伝って谷底の方へと下っていった。谷底を流れる渓流をいったん横切り、その渓流沿いに宿のあるとおもわれるほうへと向かう頃にはあたりはすっかり暗くなった。途中に野趣あふれる無人の露天風呂があるのを見つけたが、中をちょっと覗いただけでそのまま通り過ぎ、そこからさらに十分ほど歩くと、谷奥に一軒だけぽつんと建つ小さな温泉宿の前に出た。
突然の訪問にくわえ着いた時間が時間だったから、宿の主人はちょっと驚いたような様子をみせたが、入浴させてほしいと申し出ると相手はにこやかな笑顔でその依頼に快く応じてくれた。知る人ぞ知る山奥の秘湯という感じの温泉宿で、照明用電力などはいっさい自家発電によって供給されているようだった。玄関脇の案内書きなどからすると、どうやらすこし前まではいわゆるランプの宿であったらしい。満々とお湯を湛えた檜の湯船を独占し、鼻歌まじりで旅の疲れをのんびりと癒すことができたのは、望外とも言うべき幸せでもあった。
入浴を終え温泉宿の玄関をあとにした私には、むろんいまひとつやるべきことがあった。懐中電灯の明かりを頼りに真っ暗な山道を引き返し、先刻見かけた露天風呂のところまでやってくると、私はまた大急ぎで裸になり当然のようにその湯船に飛び込んだ。ちょっとした誤算は脱衣中急に懐中電灯の調子がおかしくなり、真っ暗闇の中で入浴せざるをえなくなったことだったが、その程度のことでいまさらジタバタするような身でもなかったので、慌てず騒がず深々と湯船につかりフィナーレの湯と洒落込んだ。懐中電灯が使い物にならなくなってしまったため、露天風呂から上がったあと勘を頼りに細い山道を辿るのは少々難儀だったものの、とくに立ち往生するようなこともなく無事車に戻り着いた。
旅の最後の一日は、はからずも温泉、温泉、また温泉、それでも懲りずにまた温泉ということになってしまったが、風情豊かな栗駒山周辺の秘湯の有様をこの目でしっかりと確かめることができたのは大きな収穫でもあった。栗駒山の南に位置する夜の花山村を走り抜けながら、この名湯秘湯地への再度の旅をぜひとも実現しようと私は胸の奥で誓っていた。
2002年11月6日