初期マセマティック放浪記より

203.入水鍾乳洞探訪記

受付事務所で入洞料を払うと、応対してくれた若い女性係員はすぐに、照明器具を持参しているかどうかを尋ねてきた。そのチェックが終わると、つづいて彼女は大きな洞内案内図を取り出し、それを指し示しながらあれこれと注意すべき事柄を説明してくれた。それによると、洞内には水温十度の冷水が流れており、足をつけると最初は冷たく感じるがしばらくすると慣れてくるということであった。さらに、冷水による足のしびれがどうしてもおさまらないような場合には、探洞を中止し引き返してほしいという補足なども付け加えられた。

また、洞内は暗く狭いところがほとんどなので岩に頭をぶつけたり足を挟んだり滑らしたりしないようにすること、天井が低く狭いため四つん這いになるか尻を床面につけるかしなければ通過できないところがあり、そこで下半身は間違いなくずぶ濡れになってしまうこと、他の入洞者とすれ違うときには互いに道を譲り合ったり助け合ったりしてもらいたいことなどの注意もなされた。

さらに、カボチャ岩のところがBコースの引き返し地点なので、案内人なしにはそこから先には進んではならないことなどもあらためて伝えられ、最後にゴム輪のついた番号札を手渡された。入洞者の数とその安全をチェックするための番号札なので、探洞を終えて外に出たら必ず管理事務所の係員に返却するようにとの指示もあった。

防水ライトを片手に照明のない暗い洞内に入ると、すぐに身震いするほどの冷気に全身を包まれた。洞外の気温が三十度を超えているのに対し、洞内の温度は年間を通して十四度と一定しており、温度較差が十五度以上もあるのだから最初そう感じるのも無理はない。もっとも、これが冬場だったら逆に温かく感じたに違いない。

しばらく進むとかなりの水量をおもわせる滝の音が響いてきた。近づいて音の聞こえてくるほうをライトで照らし出してみると、勢いよく水が流れ落ちているのが目にとまった。実際には音から想像されるほどに大きな滝ではなかったのだが、その音が洞の中空部で共鳴したり何度も洞壁で反射されたりすることによって、何倍にも大きな音になって聞えるのであろう。試しにライトを消してみると、洞内はたちまち真っ暗になり、滝の音だけが深い闇を小刻みに揺すり震わせていた。

その奥のほうにもさらにいくつかの滝があったが、それらのなかで最も大きなものは高さ六メートルもあるという不動の滝だった。通路からすこし奥まったところにあるためにライトで照らしてみてもその全貌を目にするのはできなかったが、実際に水量のほうもかなりあるようで、轟々という落水の音が洞内の重たい空気を激しく揺さぶり動かしていた。

ライトに浮かぶ洞内の鍾乳石の様子などをつぶさに観察しながら上下左右にうねる通路を奥へと辿ると、一休洞という名のついた小ホール状のところに出た。そこから先は急に通路が狭くなっている。復路にあるらしい先行入洞者の声が前方からゴワーンゴワーンと響いてきたので、ライトを消したまましばらくそこで相手がやってくるのを待つことにした。

しばらくすると、闇の奥にボーッと輝く点光が現れた。なんとそれは一本の裸蝋燭の光だった。真っ暗な鍾乳洞の奥のほうから徐々に近づいてくる蝋燭の光というものには独特の雰囲気がつきまとう。横溝正史の小説「八墓村」のクライマクスシーンではないが、実際に体験してみるとなんとも妖しく不思議な感じのするものなのだ。

ほどなく蝋燭の光は四個に増え、だんだんとその光の輪を広げながら私の佇んでいる地点へと向かってきた。闇の中からヌーッと顔を出して相手を驚かすのも悪いので、私のほうもライトを再点燈し明るく前方を照らし出した。現れたのは男女数人のグループで、いかにも疲れたと言いたげな表情の女性の姿がなんとも印象的ではあった。

四個の蝋燭とおもわれたが、実際にはそのうちのひとつはキャンプ用の小型ガス燈のようだった。そのガス燈を手にした男とすれ違いながら挨拶を交わし、ついでに、奥にまだ入洞者がいるのかと尋ねると、たぶんもう誰もいないはずだというという返答が戻ってきた。べつにそう願ったわけでもないのだが、どうやらそこから先は錆つきの目立ちはじめたおのれの身体に鞭打っての洞内単独行ということになりそうだった。ただ幸いなことに、「暗闇は幼なじみのお友達」という変わった感覚の持ち主なので、心理的な恐怖感などはまったくなかった。

急に狭くなった通路をすこしだけ進むといよいよ「ご入水」とは相成った。一瞬冷たいという感覚が爪先に走ったが、その冷たさにはすぐ慣れた。向こう脛くらいまでの深さの流水につかりながら大人ひとりがちょうど通れるくらいの通路を歩いていくと、傾斜がすこし大きくなり急に足元の水の流れが速くなった。足先で水を掻き分けながら上流に向かって進むのだが、その感触がなんとも心地がよい。この水の感触には覚えがある――そう感じた次の瞬間、冷たく澄んだ水の流れる小川で川遊びをしていた頃の懐かしい記憶が全身を貫くように甦った。

足を止め、ライトで狭い洞内の床面や左右の壁面をあらためて照らし見た私はその美しさに息を呑んだ。澄みきった水が勢いよく流れている細長い床も両方の壁面も、すべて純白の大理石の岩盤からなっていたからである。どうやらこの付近においては、細い洞が厚い大理石の岩盤層のなかを貫いているらしいのだ。ライトの光を浴びて真っ白に輝く艶やかな壁面を掌で撫でたり、流水に磨かれてキラキラ光る滑らかな床面を細々と観察したりしながら、しばし私は望外とも言うべきその自然の演出をこころゆくまで楽しんだ。

ライトを消すと洞内は漆黒の闇となり、足元を流れる水音だけが耳元に心地よく響いてきた。この鍾乳洞が発見されるまでは、このような漆黒の闇の中で、気の遠くなるほどに長い時間をかけながら流水による一大彫刻が営々と続けられてきたことなど誰も知らなかったわけである。たぶん日本国内においてだけでも、まだ一度も人目に触れたことのない美しい天然洞窟が地底の闇の奥に数多くあって、いまなお静かに眠りつづけているのだろう。狭い暗黒の鍾乳洞内にただ独りあって、それが誕生するまでの時間を想うのはなんとも不思議な気分のするものであった。

そこからさらにしばらく進むと音楽洞と呼ばれるところに出た。水深も水量もかなりあるその洞窟部は相当広くなっており、構造的にみてとても音響がよさそうだった。天井から垂れ下がる鍾乳石を軽くコンコンと叩くとよい音がしたことや、ピチャン、ピチャンと垂れ落ちる水滴の共鳴音にも美しい響きが感じられたことからすると、音楽洞という洒落た名の由来もなるほどと頷けようというものだった。この鍾乳洞の素晴らしさのひとつは、発達中の大小さまざまな鍾乳石を自由に手で触ってみることができることだろう。ケービング気分を味わいながら鍾乳洞の成立過程などを体感的に学ぶことができる点で、この入水鍾乳洞はまたとない体験学習スポットでもあるというおもいもした。

音楽洞の名にあやかって、ライトを消し真っ暗な洞内で下手な歌でも大声でがなったりすれば名歌手にでもなった気分がするのかもしれないとも考えたが、誰かあとからやってきていたりしたらいささか格好悪いので、さすがにそれだけは思いとどまった。ひとつには悪声のために洞内の岩盤が異常な振動を生じて崩壊し、出口が塞がれてしまったらたいへんだということもあったからである。

水深が膝元近くまである深水洞の丸みがかった鍾乳石は、その手触りといい色艶といいなかなかのものだったが、その深水洞あたりを境にして通路は一段と狭まり、天井も急に低くなってきた。腰をかがめ頭を低くして注意深く歩かないと、岩角で身体のあちこちをガツーンとやられてしまいそうだった。実際、気をつけて進んでいたにもかかわらず、それからほどなく右前頭部に強烈な岩石のパンチを一発見舞われるハメになった。まさに目から火花が飛び散るという感じで、その火花で洞内が明るくならないのが不思議なくらいではあった。

懐中電灯などで行く手を照らしながら中腰で前進する場合、どうしても視線が前方下側に向けられることになるから頭上の周辺の注意がついついおろそかになってしまう。自分の身体の上下左右は闇に包まれてしまっているため、十分に注意しているつもりでも岩角に頭を打ちつけてしまうのだ。実をいうと、この洞内を往復する間に三度も岩角に頭をぶつけタンコブをつくってしまった。ヘルメットでもかぶっておれば痛いおもいをしなくてもすむのであろうが、その用意のない鍾乳洞探訪者などは、一度や二度は頭をゴツ―ンやることをあらかじめ覚悟をしておいたほうがよいだろう。

頭をさすりながら、それでもめげずにどんどん奥のほうへと進んでいくと、胎内くぐりと呼ばれている極端に通路の狭まっている地点に出た。腹這いになって人ひとりがなんとかすり抜けられるくらいの岩の裂け目をライト片手に通過していかなければならない。足先からはいると下半身がぴったりと岩間に挟まって動けなくなってしまうことがあるので、必ず頭のほうからさきにはいるようにと注意のあった箇所である。できるだけ身を縮め這いずるようにしてその岩間を通り抜けたが、太った人や身体の動きがままならない高齢者などにはそれ以上の前進は困難であるに違いないともおもわれた。

右手にライトをもち左手を壁面に軽く触れながら深く腰を折って進んでいくとBコース最大の難所へと出た。第二胎内くぐりである。天井の岩盤が極端に低くなってしまっているため、四つん這いになって進むか、さもなければ胡座をかくか尻をつき膝を折り曲げるかした格好で二十メートルほどの距離をいざるように進まなければならない。だが、床面を流れる水の深さが三十センチほどはあるので、どうやっても下半身はずぶ濡れになってしまうのだ。二人の場合だと、一人がそこを通過する間もう一人が明かりで通路を照らし出すこともできるのだが、単独行とあってはそうもゆかない。

ただ幸いなことに携行していたのが防水ライトだったので、点燈したたままそれを水中に入れ、四つん這いになってその地点を無事通過することができた。もちろん、下半身はずぶ濡れになってしまったが、ある種の達成感のようなものが加わったせいか、寒さを感じるようなことはまったくなかった。

そのあとも、低く狭いながらも変化に富んだ洞内の景観を楽しみながらどんどんと進んでいくと、ついに進行方向右手に大きなカボチャ様の岩が現れた。Bコースの最終地点カボチャ岩である。カボチャ岩の向かい側はちょとした淵になっており、その地点からはさらに奥のほうへと向かってより細く狭い洞道が続いていた。立膝をつき頭を低くした状態でなければ前進できそうにない真っ暗な洞内をライトで照らし出してみたが、二、三十メートル先のところで左手上方に洞がカーブしているらしく、残念ながらそれ以上奥のほうを見通すことはできなかった。

それでもカボチャ岩から十メートル余のところまではCコースに足を踏み入れてみた。しかしながら、案内人つきで五人まで四千六百円というCコースの入洞料を払っていない身としては、それ以上の探洞を断念せざるをえなかった。心の片隅では、誰も見ていないことだからそのままCコースに突き進んでみたらどうだという声もしなくはなかったが、もし何かあったら管理者に迷惑をかけるし、そもそも違反行為はよくないことだという良心の声のほうが勝り、結局はその声に従ったようなわけであった。

洞口へと引き返すまえに、私はカボチャ岩に腰をもたれ掛けてライトを消し、文字通り一寸先も見えない闇の中でしばし瞑想に耽けることにした。それから五、六分ほど経った頃だろうか、誰かがこちらに近づいてくるけはいがした。そしてそれからほどなくして姿を見せたのは若い夫婦連れらしい一組の男女であった。二人の会話の様子からすると男性のほうは何度かこの鍾乳洞を訪ねたことがあるらしかったが、女性のほうは初めてらしく、無事に洞外に戻れるかどうか少々不安げな様子だった。

懐中電灯で照らし合いながらお互いに挨拶を交わしたあと、私は二人の持参したカメラでカボチャ岩をバックに記念撮影をしてあげた。二人はあらかじめ水に濡れないようにそのカメラを防水用パックに入れて携行してきたもののようだった。そのカメラを手にして撮影を担当する私のほうは、必然的に淵のある側に身を寄せて低く構えねばならなくなったため、どっぷりと下半身が水につかってしまう有様だった。

カボチャ岩からの復路は若い夫婦が先に立ち、私がゆっくりとそのあとを追うかたちになった。一度辿った道を引き返すだけなのでとくに大きな問題はなかったが、先行する夫婦の男性のほうが突然何かにぶつかりゴツーンという鈍い音をたてた。それに続いて「イテーッ!、イテーッ!」という悲鳴があがったことから察すると、どうやら彼は岩角にひどく頭を打ちつけてしまったようだった。そして、その声に気をとられた次の瞬間、こんどは自分の頭のほうにまたもやゴツーンという衝撃が走った。頭の芯までクラクラするような激痛に必死になって堪えながら、再度にわたる自分の不注意を悔やんではみたものの、すべてはあとの祭りであった。

入洞口へと戻る途中で、新たに奥を目指す四人の家族連れとすれ違った。まだ小学生低学年とおぼしき二人の男の子たちは、身体が小さく俊敏なだけに洞内での動きは軽やかで、未知の洞窟探検を心底楽しんでいる様子だった。あとに続く両親のほうはかなり悪戦苦闘しているようではあったが、それでもこの風変わりな鍾乳洞に対する好奇心のほうがその苦闘ぶりをはるかに上回っている感じだった。

ちょっとした冒険心のある子どもたちなら大喜びしそうだし、いつまでも想い出に残るだろうことも請け合いなので、フィールドワーク好きの家族にはこの入水鍾乳洞の探検をぜひともおすすめしたいものである。地質学の体験学習を兼ねての探洞ならばいっそう収穫は多いことだろう。

無事に洞外に出ると腕につけてあった番号札を管理事務所に返却し、水に濡れたシャツやパンツを着替えるため急いで車へと戻ったが、結果としてはなんとも充実感のある鍾乳洞探訪ではあった。洞内で頭につくった二つの大きなコブが消えるのに二、三日を要したのと、中腰の不自然な姿勢を長時間案続けざるをえなかったのが原因でしばらく腰のあちこちが痛んだのは計算外だったのだが、自ら望んで挑んだ初等ケービングの体験の代償としては、それらはやむをえないことではあったのだろう。
2002年10月2日

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