初期マセマティック放浪記より

77.川に想うこと

(その一)

川の源流は青く澄んでいて美しい。川幅こそ細く狭いけれど清冽な水は激しい流れとなって急峻な谷間を一息にかけくだる。時折そんな源流域を訪ねると、久しく忘れていたものを思いだしハッとさせられることがある。体内に澄んだ水が流れていた頃の記憶が美しく、そして、ちょっぴり恥ずかしく甦えるからだ。

しかしながら、海に近い川口の風景もまた捨て難い。流れた時間に比例する大地の涙ををいっぱいに溶かし込んでいるから、たしかにその水は濁っており、澄んだ輝きはそこには見られない。けれども、その流れはゆったりとしていて、なによりもその水面(みなも)は広くて大きい。あるときは夕陽に映え、またあるときは街の明りを映し出すその水面は、心の奥に潜んでいるもうひとつの目で見つめると哀しいまでに美しい。そこにはまた、紛れもなく、ひとつの安らぎが棲んでいる。そして、その向こうには悠久の時を湛えた大きな大きな海があって、ひたすら無言で川の流れを受け止めている。

一本の河川のどの地点に己の心の風景を求めるかは、その人の年齢や生活状況によってそれぞれに違うだろう。ある者は上流の、ある者は中流の、またある者は下流の風景が自分の現在のたたずまいにふさわしいと思うだろう。

社会という名の無数の支流をもつ川だって、純白のシブキをたてる水、青く澄みきった水、こころもち濁った水、ひどく濁った水、油を浮かべたどす黒い水と、いろいろな色の水をその流れの中に湛えている。多分、澄んだ水も濁った水もその一滴一滴にはそれなりの意味と役割とがあって、それぞれが知らず知らずのうちに作用し合い、一本の川の命をしっかりと支えているのだろう。私の体内に宿る水滴はもう清らかではなく、もしかしたら、すでに、忌み嫌われるほどに悪臭を放つ黒い滴に変わってしまっているのかもしれないが、それでもなんとか海までは流れていってみようかと思っている。

(その二)

人生という名の濁流にどっぷりとつかりながら、河口へ河口へと渦巻き流れゆく凡庸なこの身なのだが、旅先などでふと川面を眺めたりするときなどによく思うことがある。人間には三つの象徴的な生き方があるのではないだろうかと……。

まず一つは、悲喜こもごもの出来事の淀み渦巻く濁流を超然と見おろしながら、川の土手の上を下流に向かって独り黙々と歩んでいく生き方である。ただ、これは世にあって「聖人」と呼ばれる人のみの選ぶことのできる道で、崇高かつ偉大ではあるが、我々凡人には到底真似などできそうにない。

二つめは、川面に舟を浮かべてそれに乗り、自らはたまに水しぶきを浴びる程度で、直接には流れに身を沈めることのないままに、濁流の力を借りて川を下っていく生き方である。これは、実際には濁流に姿を変えた庶民によってしっかりと支えられているにもかかわらず、見た目には私利を捨て世の人々のために尽くしているように思われる人々、すなわち、諸々の真摯な宗教家や学究一筋の研究者、世の信頼厚い思想家などが邁進する道である。だが、この道も凡人にはやはり無縁であると言ってよい。たまに、濁流に揉まれて舟が転覆することもあるようだが、だからと言って、その隙を狙い不心得者が代わりにそれに乗ろうとしても、そうそう事はうまく運んではくれないものだ。

三つめは、濁流そのものに身を任せ、自らが濁りの原因そのものとなりながら、あるときは淀み、あるときは激しく奔りつゝ流れ下る生き方である。むろん、これこそが我々凡人の人生そのものと言ってよい。

我々一般の人間にはどう足掻いても逃れようのないこの三っめの生き方なのだが、濁流に身を任せるからといって、常に心身の奥まで濁りっぱなし汚れっぱなしかというと、必ずしもそうばかりではないような気がしてならない。

昔九州の片田舎に住んでいたこともあって、大雨や台風の後などに轟々と音をたてながら濁流が渦巻き流れる有様を幾度となく目にしたことがあるのだが、ある意味でそれは浄化作用をともなう実に荘厳な光景でもあった。土手をもえぐる凄まじいエネルギーで河原に積もったゴミや芥をも一気に押し流し、すべてのものを一掃してしまうその不思議な迫力は、幼い心にはとても感動的にさえ思われたものである。

さらにまた、そんなとき、濁った水を恐るおそる掬い取って観察してみると、その中に様々な色や形の無数の砂粒が含まれていたことを今もはっきりと想い出す。言うまでもなくそれらの砂粒が濁りの原因そのものだったのだが、その一粒一粒は意外なほどに艶やかで綺麗な輝きを帯びていた。なかでも、石英質の砂粒などは、どうしてこれが濁りのもとになるのだろうと首を傾げたくなるほどに美しく澄んだ光を発したりしていたものだ。

どんなに川が濁り汚れようとも、濁りのもとである一粒一粒の砂粒はそれ以上輝きを失うことはない。それと同じように、人生という濁流の中に生きる小さく愚かなこの身であっても、心の奥のささやかな一角を、あるいは魂のほんの片隅を透明な色に保つくらいのことはできるのではないかという気はしないでもない。もちろん、人間という砂粒の一つひちつが微かに放つ光の色は、すこしずつ異なっていてもよいと思う。たとえ見かけはどんなに汚れていたとしても、身体のどこかに小さな砂粒を一粒隠しておきさえすれば、大雨が降って激流が渦巻くときなどには、他の無数の砂粒と一緒になって川そのものの浄化の力となることもできるのではないだろうか……。

青春時代に私が大きな感銘を受けた歌人の会津八一は、「渾斎(こんさい)」という号を名乗り、「渾斎随筆」という随想集を著した。この斎号に、八一は「俗世に染まり切った人間」という自戒の意味を込めたのだろうが、「渾斎」という二文字を敢えて深読みすれば、「濁りて澄める」と解釈できないこともない。もしこの世に「濁りて澄める人生」などというものがあるとすれば、前述したような状況のことを言うのかもしれないと思ったりする昨今である。
2000年4月12日

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