初期マセマティック放浪記より

107.ガダニーニに手が震える!

二時間ほどでお暇するつもりでいたのだが、もうとっくに予定の時間は過ぎてしまった。私は川畠家の皆さんと談笑を続けるかたわら、ちょっと立ち上がって部屋のなかのあちこちをそれとなく眺めさせてもらった。真っ先に私の目にとまったのは、東側の壁に張られた一枚の写真だった。近づいて見ると、その写真には三人の人物が写っていた。ヴァイオリンを持って右手に立つのが当時まだ十三歳の中学生だった成道さん、左手の一人はお母さんの麗子さん、そして真中に立つ白髪の人物こそがヴァイオリン界の巨匠アイザック・スターンその人だった。

この年たまたま来日したスターンは公開レッスンの場で川畠少年の奏でるヴァイオリンの音色を初めて耳にし、その素晴らしさを絶賛したという。厳しいことで知られ、容易なことではレッスン生を褒めないスターンにその才能を認めてもらったことで、ようやくヴァイオリニストの道を歩ませる決意がついたと、後年、正雄さんは語っておられる。その巨匠スターンとの記念すべき出逢いの瞬間をおさめたのがその一枚の写真であった。トンボ眼鏡をかけちょと緊張気味の成道さんをにこやかな笑みで包みほぐすかのように立つアイザック・スターンの姿がなんとも印象的だった。若い頃に私が何度か演奏会場で目にした全盛期のスターンは、どこか近寄り難い雰囲気を湛えた人物に見えただけに、その姿は意外にさえ思われた。その隣にあるもう一枚の写真のほうには麗子さんに抱かれた幼くあどけない成道さんが写っていたが、未来の天才ヴァイオリニストの片鱗をその写真の中の姿から感じ取ることはまださすがに難しかった。

十歳になってはじめてヴァイオリンを習いはじめた成道さんは、スターンとの出逢いに先立つ三年間、鬼と化した父正雄さんの特訓に絶えぬいた。息子の将来を案じる正雄さんも必死であったから、そのレッスンは壮絶を極めたらしい。だが、「父と母の性格をしっかりと受け継いだせいで負けず嫌いだったんです」と語る成道さんは、父親との差しの戦いともいうべきそのトレーニングに敢然と立ち挑んだ。ヴァイオリンを習いはじめて一年半ほどでチゴイネルワイゼンを一通りマスターしてしまったという成道さんは、二年ほどで演奏技術的には正雄さんを追い抜いてしまったらしい。

「成道さんに追い抜かれたとわかったときのお気持ちはどうでした?」
正雄さんの顔を見ながら率直にそう尋ねると、一瞬、無言の間があったあとで、
「やはり嬉しかったですねえ……」という短い返事が戻ってきた。その時成道さんに向かって自らの心の内を言葉にこそ出しはしなかったのであろうが、それは正雄さんが鬼としての存在意義を失った瞬間でもあった。もはや自分の手には余ると悟った正雄さんは、その後の指導を他の専門家に託すことにしたという。

「近頃は親と子二人でヴァイオリンや音楽の諸問題について激論を交わすことが結構あるんですよ。二人の間にはもちろん考え方や理念の違いなどがそれなりにあったりしますから……それに、どっちもなかなか譲りませんからね」

麗子さんは正雄さんと成道さんを遠目に見やりながら、笑って私にそう囁きかけてくださった。

ドアに近い壁面には二個の小さなヴァイオリンが掛かっていた。むろん成道さんが子供の頃に使っていたヴァイオリンで、そばに近づいてよくよく観察してみると、ずいぶんと使い古されたあとがある。そのヴァイオリンを壁から外して成道さんに弾いてもらったら、いったいどんな音がでるんだろうなどと妙なことを内心で考えてみたりもした。だが、どうみてもそれらのヴァイオリンはすぐに弾ける状態にはなかったので、さすがにそんなお願いをするのは思いとどまった。それに、「弘法は筆を選ばず」という諺はあるものの、自分の身体に馴染むまでに何年間もかかるというヴァイオリンの場合には話はそう簡単ではないに違いない。

成道さんが現在使っているヴァイオリンの入った黒いケースは、同じ部屋の床の隅に置いてあった。ヴァイオリンは微妙な楽器なので、地震のときのような思わぬ振動や衝撃から守るため、床面に振動吸収用のクッションを敷きその上にケースを置いておくのだという。ヨーロッパに較べ夏場は気温と湿度がはるかに高く、逆に冬場は気温と湿度が低くなりがちな我が国では、ヴァイオリンを置いておく部屋の室温と湿度も厳重に管理する必要がある。そのため、私たちがお邪魔した部屋は、常時、ほぼ室温二十四度、湿度五十パーセントの状態に制御調整されているらしい。戸外でヴァイオリンを持ち歩く時のために、ケース内の温度や湿度をコントロールする小器具なども開発されているとのことだった。

正雄さんはわざわざケースを開き、成道さんが現在使っているヴァイオリンを取り出し私に見せてくださった。正雄さんの言葉に導かれるままに、二つ並ぶf字溝(胴体上面の細長い溝穴)の片方からそのヴァイオリンのなかを覗くと、内部底面に記されたイタリア人製作者J.Bガダニーニの署名とその製作年代を示す 1770 という数字を読み取ることができた。製作から既に二百三十年を経た名器ということになる。大変高価なものであるに違いないその名器に私も触れさせてもらったが、物が物だけに落としたら大変だと言う思いが強く働き、緊張のあまりかえって両手が小刻みに震えてしまう有様だった。

実際に間近で目にした「J.Bガダニーニ、1770」というその名器は、思いのほか小振りで、素材の木目がはっきりと見え、意外なほどに素朴な感じのするヴァイオリンであった。表面に塗られているニスは透明でしかも明るい黄土色をしており、ニスの塗りそのものもきわめて薄い。だからヴァイオリンの材質の木肌がそのまま表面に浮かび上がって見えていた。しかも、あちこちにある微かな疵や小さな木肌のさなささくれなどは素人目にもそれと識別できるほどだった。また提部やブリッジと呼ばれる二個の弦の支柱部分などに見る独特の古び具合にも、二百三十年という時の流れがはっきりと感じられた。

正雄さんや成道さんに伺ったところでは、ストラディバリウスやガダニーニといった何百年来のヴァイオリンの名器で無疵のものはほとんど存在しないのだという。万一本体が大きく割れてしまうようなことが起こったらもうどうしようもないらしいが、小さな無疵などはその時々に技術職人によって補修され、現在まで大切に伝え残されてきているのだという。そもそもヴァイオリンという楽器の胴体部は加工した素材の板をニカワで注意深く張り合わせて出来ているのだそうで、長年使っているとそのニカワが部分的に剥げ落ちてしまい接合部に隙間が生じたりするものらしい。当然、そうなると音が変わり演奏に支障が生じるから、定期的に補修専門の技術職人に依頼して早目に不良個所がないかどうかのチェックを受け、悪いところがあればただちに修理し、音を調整してもらうのだという。

名器と呼ばれるヴァイオリンの状態を的確に診断し不良個所を早期に発見補修したうえで、その楽器本来の美しい音色が出るように調整をほどこせる一流技術職人は世界でも数えるほどしかいないのだそうだ。残念ながら日本にはそのレベルの技術職人がいないので、成道さんの場合はロンドンの専門職人に依頼して補修や音の調整をおこなってもらっているという。北欧のようなところに演奏にでかけたあとすぐに夏期の日本のような気象条件の大きく異なるところに出向かなければならない時には、極端な温度や湿度の較差によってヴァイオリンが被る影響が大きいから、とくに注意が必要だとのことである。そんな場合には、必ずヴァイオリンのチェックを受けるようにしているという。

川畠さん父子からいろいろな話を伺うなかで、ヴァイオリンやビオラ、チェロといった弦楽器の胴体内には「コンチュウ」と呼ばれるものがあって、音を作り出すうえでそれがとても重要なはたらきをしているらしいということを知った。コウロギやスズムシのような昆虫がヴァイオリンの中に棲みついて音作りに貢献しているなどとは、弦楽器の構造に疎い私でもさすがに考えはしなかったが、「コンチュウ」とはいったいどんなシロモノなのだろうと不思議にはおもった。そこで正雄さんに詳しい話を訊いてみると、なんと「コンチュウ」とは「魂柱」と書くとのだそうで、ヴァイオリンの胴体内の表板(上板)と裏板(下板)との間に一本だけ支柱として配されている細い円柱のことだというではないか。正雄さんに促されてf字溝からヴァイオリンの胴内をよくよく覗いてみると、なるほど、円く細長い支柱の一部らしいものが奥のほうにちょっとだけ見えていた。

魂柱というものは必要に応じて動かせるようになっているらしい。この魂柱の位置を移動するとそれに応じて胴体の裏と表の板の張り具合や胴内空間内の空気振動が微妙に変わり、そのためにヴァイオリンの音そのものが良くも悪くも変化する。また、魂柱そのものを通じて弦の振動が胴体の表側から裏側へと伝わり、それが胴体全体の共鳴に大きな影響をもたらす。したがって、そのヴァイオリンの音色のよさを最大限にひきだすには、その時々の楽器の状態に最も適した魂柱の位置を的確に定めてやらなければならない。どんな名器でも魂柱の位置が適切でなければその楽器本来の音がでないらしい。もちろん、その微妙な調整をおこなうのも補修に携わる技術職人の仕事である。名器を扱う技量をそなえた職人なら、f字溝から専用の工具を差し込むことによって、迅速かつ的確に最も良い音の出せる魂柱の位置を定めでしまうのだという。

外国などで飛行機や列車の座席にすわって演奏旅行をするときには、成道さんは大切なヴァイオリンの入ったケースを膝の上にのせたり、そうでない場合でも両足のどこかで常にケースに触れておくのだそうだ。その理由は、常時足でヴァイオリンケースに触れてその所在を確認しておけば、ちょっとした隙などにヴァイオリンを盗まれたりする危険性が少なくなるからだという。また、飛行機の離着陸時などには、万一大きな衝撃や振動が生じた場合にそなえてヴァイオリンを宙に浮かして守ることもあるのだそうだ。

ヴァイオリンの特性についてあれこれと話が進むなかで、成道さんからいまひとつ面白いことを伺った。ヴァイオリンというものは表面に塗られたニスの色でも音質が異なってくるのだという。どちらが良いとか悪いとかいうわけではないが、一般的には明るい色のヴァイオリンは明るい感じの音が、暗い色のヴァイオリンはどちらかというと暗く沈んだ感じの音が出るのだそうだ。そのあたりの詳しい状況や理由などは素人にはいまひとつよくわからないが、実際そういうものであるらしい。

正雄さんに、「お父さんのほうはどんなヴァイオリンをお使いですか?」と少々意地の悪い質問をすると、即座に、「私のヴァイオリンは安物ですよ。成道のものとは雲泥の差があります」という答えが返ってきた。そうは言ってもプロのヴァイオリニストが使う楽器だから、むろんそれなりの値段はするに違いないが、いずれにしろ成道さんのヴァイオリンは別格なようであった。

ヴァイオリンを習っている最近の日本の子供たちのなかには、プロの演奏家のものなどよりもはるかに高価な楽器を持っている者が結構いるらしい。一億円を超えるストラディバリウスなどを手にしてレッスンを受けに来る子供などもいるというから驚きだ。名器は管理が難しく保管にもそれなりの手数がかかる。それに、ヴァイオリンというものは弾き手の全人格がそのまま反映される楽器だから、名器を手にしているからといってそれだけで美しい音色を奏で出せるということはありえないのだそうだ。弾き手が未熟な場合にはそれ相応の音しか出ないから、精神的にまだ未発達な子供たちに特別高価な楽器を持たせることはほとんど意味がないという。
2000年11月15日

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