初期マセマティック放浪記より

139.軽く誘いに乗ったばかりに!

翌朝は六時半頃に目が覚めた。近くで人の声がしたからである。身を起こして窓越しに外をのぞくと、地元のものらしい軽トラックが一台すぐそばにとまっていて、中年の男二人が山に入る準備をしているところだった。そのままもう一度眠りなおせばよかったのだが、天気がよかったこともあって、そのまま起床してしまったのが事の始まりだった。

気にするほどのことはなかったが、風邪気味でちょっと気管が収縮している感じだったので、体調の万全を期し、携行していた気管支拡張剤サルタノールを少量吸引した。そして、すぐ車外に出てうがいを済ませた。それから朝食がわりに菓子パンを一個取り出し、それを齧りながら入山準備中の男たちの様子を見守っていた。彼らは沢歩きにも適した耐水性の長地下足袋に履き替え、膝下でその上端部をしかりと止めているところだった。

岩魚釣りにでも行くのかと尋ねると、葉ワサビやゼンマイなどの山菜を採りに行くところなのだという。実際には男たちのほうが私よりも若かったのではないかと思うが、長髪にジーンズという私の姿を見て、自分たちよりもずっと年下だと考えたものらしい。彼らはうちとけた口調でどんどんきてくれ、ついには葉ワサビのあるところまで一緒に行かないかと誘いかけてきた。

その日は山形市方面に向かうつもりだったので、いったんは同行を辞退したのだが、片道一時間ほどだから是非どうだと誘ってくれた。のちの成り行きからすると彼らの意図がどのへんにあったのかいまひとつ釈然としないのではあるが、片道一時間なら向こうで一時間ほど過ごし一人だけ先に戻ってきても三時間くらいのものだろうと、その時はこちらも軽く考えた。

私の車には登山用具が一式積んである。取り敢えず急いで入山の準備をするのでちょっと待っていてくれないかというと、相手は、見るだけなんだから何も持たないでいいし、そのままの格好で大丈夫だよと、急き立てた。登山口に立っている案内板によると、彼らが入ろうとしているのは標高千メートル弱の石黒山という山で、頂上まで片道三時間、山頂には一応避難小屋もあるようだった。

結局、私はそのままでよいという男たちの言葉を信じ、誘われるままに男たちについていくことにした。食べかけのパンを半分車に残し、文字通り手ぶらの状態だった。若いからそれなりに山行を重ねてきた身としては、けっしてあるまじきことではあったのだが、その時は、葉ワサビのあるところまでちょっと沢を詰めるくらいだろうと軽く考えてしまったのだ。下手に山歩きの経験があったことがこの場合にかぎってはマイナスにはたらいたと言ってよい。

歩き始めて間もなく沢沿いの道は急に細く険しくなり、アップダウンも想像以上にひどくなってきた。ところが、このあたりの山歩きに慣れているらしい男たちは、そんなことなどお構いなしに、相当なスピードで進んでいく。ちゃんとした登山靴に履き替えず、常々履きっぱなしの相当に底の擦り減ったトレッキングシューズのままで来てしまったために、足が滑って余計にエネルギーを費やしたが、それでも遅れじと彼らのあとについていった。あちこちで倒木が道を塞いてしまっていたため、地を這うようにしてその下をくぐったり、逆にその上を強引に乗り越えたり、藪を掻き分け高巻きしたりしなければならなかった。

何を思ったのか、彼らの一人は、強い地元訛の言葉でのほうは、「山菜採りや岩魚釣りに入ったついでにこの山の頂上まで登ることがあっても、反対側には絶対降りてはいけない。死んだ人や行方不明になった人もかなりの数にのぼるから」という意味のことを話してくれた。あとになってみると、どうにも割り切れない思いがするのではあるが、その時は素直にその言葉をよそ者の私に対する忠告だと受けとめた。

進むほどに険しさをます山道を一時間近く歩いたあと小滝状の沢を横切ったのだが、その沢は折からの雪融け水で流れが激しく、靴をどっぷりと水中につけ、岩苔で足を滑らせないようにうまくバランスをとりながら、渡り切らなければならなかった。膝まで水につかっても平気な格好をしている彼らにはなんでもなかったが、それなりの装備を持っていたにもかかわらず無防備な姿のままでやってきた私はそうもいかなかった。誤って滝壷側に落っこちたら大変だから、いそうのこと裸足になりジーンズの裾をたくして渡ろうかとも思った。だが、足を拭くタオルも持っていないうえに、そんなことで先行する彼らを待たせるのもいささか気がひけたので、靴とジーンズの裾端を濡らしながらも、ジャンプ力をほどよく活かしてなんとかその急流を渡り切った。

悪いことには、そのあと細い登山道は猛烈な急坂になった。先を行く二人を追いかけ十分間ほどは体力の限りを尽してついていこうと試みたのだが、ついにそこでギブアップせざるを得なくなった。登山の最中にそのような体験をするのは文字通り初めてのことで、自分でも信じられない思いだったが、極度の疲労感で全身の筋肉がまったくいうことをきかなくなってしまった。動悸が極端にひどくなり、心拍数が異常に増加して立ち眩みを覚え、そうこうするうちに目が霞みだした。

しばらく付近の苔むした岩に腰掛けて休息し、また気をとりなおして急な隘路をゆっくり登りはじめたが、二十メートルほど歩いただけでまた身体がいうことをきかなくなった。いつもの山行の場合と違ってずっしりしたザックを背負っているわけでもないから、どう考えてもその状態は尋常ではなかった。重い荷物を背負って高山に挑むごとに登攀にともなう苦しみを何度も味わってはきたのだが、今回の場合は明かにそれとは何かが違っていた。だからといって、引き返そうにも、そんな状態では、流れの急なあの沢などをもう一度渡り、アップダウンがひどくて足場の極めて悪い沢道を辿って無事登山口に戻りつくことなどできそうになかった。

いずれにしろここは時間をかけて身体を休め、そのあと冷静に行動するしかないと思い、適当な場所を探してみた。その急な斜面一帯はブナやトチの鬱蒼と茂る樹林になっていたが、それらの樹木のほとんどは冬場に積もる豪雪の影響で、根元近くの幹の部分が大きく湾曲しており、背中をもたれかけて昼寝でもするのに手頃なものもなかに何本かあった。私はそんな若木の一本を選び、その幹に全身をゆだねかけてしばし目をつむった。身体中の力がスーッと抜け、しばし意識が空白になり、時間の流れが一瞬止まってしまったかのような感じがした。

なんとも情けない話ではあったが、怪我の功名とでもいうか、見方を変えればこれほどに贅沢な体験は望んでもそうそうできるものではなさそうだった。まだ午前八時過ぎだったし、天候もよく、大気は爽やかそのもので、暑さも寒さもまったく感じなかった。ブナやトチ、ホウなどの巨木の樹林の生み出す新鮮かつふんだんな酸素とオゾンに包まれ、私はその心身を奥底まで洗い清められているようなものでもあった。先行した二人の男たちが戻ってくる様子はまったくなかったし、あとから人がやってくる気配などもまるでなかったから、私はその場でまったく一人きりになっていた。

じっと目をつむりブナの若木の幹と一体化したかのように身を横たえる私の耳元に、遠くを流れる渓流の水音と、森に棲むアカゲラの樹木を啄ばむ音とが、不思議な和音を織りなして快く響いてきた。しばらくしてからそっと目を開けると、はるか頭上で、まだ生まれて間もないブナの若葉が瑞々しい色の緑に輝いて見えた。まだ朝日山系は初夏を迎えたばかりだった。

休息したおかげでかなり体調が落着き、思考力が甦ってきたので、そのままの態勢で大きく呼吸を整えたあと、ここにいたるまでの状況を今一度冷静に振り返ってみた。ひどい苦しさを覚え、身動きができなくなった直後、まっさきに私の脳裏をよぎったのは、「この程度のことで参ってしまうほど急激に基礎体力が衰えてしまったのか。やはり歳をとってしまったということなんだな。そうだとすると、これからは先は登山なんて無理だな」というなんとも情けない思いだった。

だが、あらためて考えてみると、すべてを歳のせいにしてしまうのはなんとも不自然な気がしないでもなかった。そこで、事の次第をあれこれと回想するうちに、突然、いくつか直接の原因らしいものが思い浮かんできた。

歩き出したのは気管支拡張剤のサルタノールを吸引した直後だった。日常的な行動をする分にはなんでもないのだが、一時的に心臓に負担がかかり心拍数も上がるサルタノールを使用後、すぐに過激な運動をした場合、相乗作用が生じて心臓に異常な動悸が生じることは考えられないことではない。また、昨夜の睡眠時間は三時間程度で、しかも、前日は午前零時半くらいに東京を出て、途中であちこち立寄りながら休むことなくこの朝日山系までやってきたわけだから、たとえ歳をとっていなくてもそれなりの疲労が蓄積されていても当然だった。

さらに悪いことに、男たちに急かされたこともあって、その朝は菓子パンを半分食べ、お茶を紙コップに一杯飲んだだけだった。また、歩き出してからもマイナスの条件が重なった。まったくの手ぶらだったとはいえ、険路を進む男たちの速度は相当なものだった。せめて十年前までくらいならその速さについていくのは何でもなかったろうが、この歳で、しかも、ちょっと気を抜くと滑ってしまいかねない底の擦り減ったトレッキングシューズのままで彼らのあとに続くには、無意識のうちにかなり無理をしなければならなかった。

もうひとつ、デッドポイントの問題もあった。若い頃から折々山に登ってきた私の場合、一番苦しくなるいわゆるデッドポイントが、歩き出して三、四十分後という比較的早い時間にやってくる。その時間帯をゆっくりと歩いてやり過ごせば、あとは身体が楽になって歩速もあがり、一定テンポで山頂まで登っていくことができる。そのデッドポイントにあたる時間帯に無理をしてしまったため、オーバーペースになってしまったのだった。

いずれにしろ、そんな幾つかの悪条件が重なって、ついには身動のきとれない状態に陥ったことだけは間違いないようであった。そもそも、誘ってくれた男たちの「そのままで大丈夫だよ」という言葉を額面通りに受け取ってしまったのが己の不覚だったのだ。

いろいろなことを連想しながら小一時間ほど身を休めていると、すっかり体調も回復してきた。ちょっと歩いてみたが、幸い身体も軽くなっており、その分だと男たちのいるところまで行くことは十分可能なように思われた。先に進んだ彼らも、あとに残してきた私のことを心配しているのではないかと思ったので、私は再び急な隘路を上へ上へと歩き始めた。まさかそのあと、そのままの姿で石黒山の頂上にまで至ることになろうとは、さすがに考えてもいなかった。
2001年6月27日

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