続マセマティック放浪記

3. まーるい目をしたカラスの子

自宅近くの中学校の裏手の道を通り駅方面へと向かっていると、前方の道路脇でなにやら黒い塊がモソモソとうごめいているのが目にとまった。近づいてみると、それは一羽のカラスだった。小振りの身体つきやあまり艶のない羽の乱れ具合からすると、まだ幼鳥のようである。すぐそばまで近寄ったらさっと飛び立つのかと思ったのだが、よちよちと歩いて身をかわそうとするだけで、その場から飛び去ろうとはしなかった。どうやらまだうまく飛べないらしかった。

どうしたのだろうと思って、1メートルほどの距離まで近づき、身をかがめてその子ガラスの顔を覗き込もうとした途端、私の頭上でけたたましい羽音と激しく威嚇するようなカラスの鳴き声が響き渡った。上空を見やると、親ガラスとおぼしき2羽のカラスがあたり一帯にこだますような大声で鳴きわめきながら飛び交いはじめたところだった。どうやら2羽の親ガラスは、私が近づくまで、道路脇の大木の上にとまって子ガラスの様子を見守っていたらしい。親ガラスのただならぬ鳴き声を聞きつけたせいだろう、ほどなく他に数羽のカラスたちが集まってきて、一斉にギャーギャーと騒ぎ立てはじめた。

その鳴き声は、「テメーッ!、その子に手なんか出したら、ただじゃおかねーぞっ!」とも、「オラオラーッ!、よけいなことなどせんではよう行かんかい!」と叫び凄んでいるようにも聞こえたし、「あんた、はやく飛び立たなきゃ駄目よ。お願いだから頑張って!」とその子ガラスを励ましているかのようにも感じられた。私がすぐには立ち去らないとみるや、1羽のカラスが低空飛行をしながら、しきりに私と子ガラスのいるすぐそばを飛び回りだした。たぶん、2羽の親ガラスのうちのどちらかだったのだろう。もし、私が犬か猫だったら、直接に襲いかかってこられていたかもしれない。

九州の田舎出身で、幼児期からカラスの生態を目にして育った私には、すぐさま事情が呑み込めた。カラスは高い樹木の上に営巣し、そこで卵を孵し産まれた雛を愛情を込めて育てるが、巣立ちの際に訪れる特別な試練は幼い子ガラスにとって想像以上に厳しいものなのだ。近頃都会ではそんな光景を目にすることは滅多にないが、巣立ちに際し、幼鳥はいったん巣から地上に舞い降りる、いや、舞い落ちる。そのあとほどなく地上から飛び立つことができるものあるが、かなりの個体差があって、飛び立てるまでにずいぶんと時間を要するものもある。ただ、いずれにしろ、自力で地上から飛び立てるようになるほかない。人間の幼児の場合とは違って、カラス子は親に羽をとってもらって地上から飛び立つというわけにはいかないからだ。それは天がカラスの幼鳥に与えた自立のための試練であり、こればかりは、親ガラスといえども、我が子の飛翔力を信じてじっと見守るほかはない。

いったん地上に舞い落ちた幼いカラスが飛び立てるようになるまでの間は無防備な状態だから、そこを犬猫その他の動物や人間などに襲われたらひとたまりもない。相当に知能も高く、相互に助け合う社会性もあり、いったん成鳥となると我が物顔で大空を飛び回るカラスだが、巣立ち直後のその一瞬だけは生涯最大の危機的状況に置かれるというわけなのだ。

その子ガラスは時折羽ばたいて飛び立とうとはするのだが、どうしてもうまくいかない様子で、民家の塀沿いにすこしばかりとぼとぼと歩き、そのあと身体を休めるかのように動きを止めた。坐り込むようにして私がその子ガラスに近くづき、じっとその顔を覗き込むと、相手もキョトンとした表情でこちらの顔にその目を向けた。子ガラスに危害を加える気配はないと親ガラスらも察知したのだろう、けたたましく鳴くのをやめ、近くの欅の木や民家の屋根にとまってじっと成り行きを見守っているみたいだった。

その子ガラスの嘴の付け根は、巣立ち直後であることを物語るかのようにまだ黄色かった。そして、童謡の歌詞にもある通りにまんまるい目をしていた。なんとか無事に飛び立てるように手伝ってやろうかとも思ったが、やはりここは自然の摂理に委ねるべきだと考え直し、そのままにしておくことにした。とくに傷ついている様子もなかったし、あたりは閑静な住宅街で人の往来も車の通行もそう多くはなかったから、放置しておいても大丈夫だろうという判断もあった。学校が終わって中学生が下校するまでにはまだ時間があるし、野良猫などはいるが、親ガラスらが見守っているからいざとなったらなんとかするだろうとも考えた。

下手に手助けなどしようとしても、子ガラスは恐怖心を抱くだろうし、親ガラスたちだってたぶん余計なことをすると思うに違いない。たとえ手助けして無事飛び立たせることに成功したとしても、人間にはわからぬなんらかのトラウマが当の子ガラスに残るようなことだって起こるかもしれない。また、子ガラスにだって幼いなりにプライドというものもあるだろう。そんなことを考えながら、結局、私は、なお試練のさなかにあるその子ガラスをあとに残して駅へと向かうことにした。そして、その道々、今一度その子ガラスのあどけない姿に思いをめぐらせた。

人間の子どもたちだって、あの子ガラス同様に成長の段階でさまざまな危険や困難にさらされる。しかし、それらの危険や困難は社会的自立のために課せられた必要最小限のハードルみたいなものである。ほっておいたらハードルに引っ掛かるかなと思っても、それが致命的なものでないかぎりは、そこでぐっとこらえて我が子の自主判断と自主行動に任せるのが初等期の子育ての知恵というものだろう。近年は、我が子のためにと先走って、子どもの成長にとって不可欠なものを含むすべてのハードルを取り去ってしまう過保護な親が多い。だが、そんな過保護ぶりは、やがて身体だけが大人で心はきわめて未成熟な自己中心的な人格を形成し、結局は親自身にもその弊害が及ぶだろうことだけは自覚しておいたほうがいい。そうなってから悩んでみてももう遅いのだ。

日常生活においてはすいぶんと人間の憎しみを買っているカラスだが、そんなカラスたちから笑われないように、我々人間も、真に子の自立を思うがゆえの愛情と、自己不安の裏返しでもある過保護のゆえの溺愛とを混同しないように十分注意すべきだろう。

なお余談にはなるが、最後にもうひとつだけカラスの話を書いておこう。いまは亡き義父が北海道に在住していた時代のこと、散歩中にたまたま傷ついたカラスの幼鳥を見つけ、家に連れ帰ってそれを飼い育てた。私が初めて目にした頃にはすっかり成鳥になっていてすっかり義父になつき、家の中は言うに及ばず、家の周辺をも勝手気ままに飛び回っていた。義父が車で外出しようとすると、目ざとくその様子を見つけたそのカラスは、すぐに飛んで来て車のフロントの上にちょこんととまった。そしてそのまま義父の行く先々まで同行したものだった。車の速度がどんどん上がっても、ほとんど翼を広げることすらなくフロント上で見事にバランスをとり、涼しい顔でどこまでもついてきた。そのありさまは近所でもずいぶんと評判になっていたようだった。

義父が長時間お客などと話し込んだりし、自分をかまってくれなかったりすると、気を引くために時折悪さをやったりもした。義父の仕事机の上に飛んで行き、開きかけの書類や書きかけの原稿を嘴で突っついてぐしゃぐしゃにしたり、インクや墨汁をこぼしたりもした。もともと知能が高い鳥だけに、家族の一員となって人間と自在にコミュニケーションがとれるようになったかわりに、まるで駄々っ子そっくりな一面などもあって周りの者が手を焼くこともすくなくなかったようだ。

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