続マセマティック放浪記

9. 若狭駈足探訪記・その1 – 青春ドリーム号に乗って

お互いもう老境に入りかかっている高校時代の同窓生七・八人が京都駅で合流し、若狭方面に旅に出かけようという話が持ち上がった。そして、若狭に詳しいお前はなんとしてもガイド兼ナビゲータを務めよというわけで、なんとか時間を調整し私もまたその一行の旅に加わることになった。かつては中年暴走族、そして今では老年暴走族を自称しつつ、なお国内各地を「多摩350・ほ・4771」(語呂合わせすると「弾意味ない。本田は死なない」)というナンバー・プレート付きの愛車WISHで走り回っている身なので、京都や若狭まで行くくらいならなんともなかった。だが今回だけは、京都駅周辺でレンタカーを借り参加者全員が同じ車に乗ってワイワイガヤガヤやりながら旅をしようということだったので、私もまた車には乗らずに待ち合わせ場所に指定されている京都駅近くのホテルまで出向くことにした。

予定では9月24日の朝九時頃に京都駅を出て琵琶湖西岸を経由して小浜市や大飯町方面に向かい、旧宿場町の熊川宿、若狭の名刹明通寺、御水送りの儀式で名高い神宮寺、小浜フィッシャーマンズ・ワーフ、竹人形文楽で知られる若州一滴文庫などをめぐり、その日の夜は丹後半島西側付け根近くに位置する木津温泉に宿泊することになっていた。また、その翌日の25日は丹後半島東側の伊根の舟屋や天の橋立を見物したあと京都駅に戻り、そこで再会を期しながら解散するという手筈であった。だが、私のほうは出発前日の23日の夜まで仕事があり、また25日にも手のはずせない用件があったので、とりあえず24日の一日だけを一行に付き合うことにしたのだった。

当初は24日の朝一番の新幹線に乗ろうかと思っていたのだが、寝坊して乗り遅れでもしたら顰蹙を買うくらいではすみそうになかったし、帰りも若狭付近を出るのが午後8時半頃になりそうだったので、結局、強行覚悟で往復ともに深夜運行の高速バスを利用することにした。できれば自宅により近い新宿駅前発のバスに乗りたいと思っていたが、全席予約済みということだったのでやむなく東京駅八重洲口まで出向き、たまたま空席のあった21時50分発の京都行きバスに乗車することにした。ところがなんと、そのバスの便名は「青春ドリーム号」だったのだ。京都まで片道5000円と、新幹線の12710円に比べればずいぶんと格安だったのはありがたかったけれど、私なんかが乗ったりしたら、「青春ドリーム号」は、「壮春ドリーム号」はおろか、たちまちにして「老春ドリーム号」に早変わりしてしまうではないか……。そんなことをしたら、青春真っ只中の若者らに申し訳ないかなあなどと考えながらも、指定された座席番号1B、すなわち一番前の通路側の席に腰をおろした。

長距離運行の深夜バスには若い頃ずいぶんとお世話になったものだが、ここ三十年ほどは利用する機会がまったくなかった。それに加えて、こちらもずいぶんと歳をとったことだから、二十代終わりの頃までとは違ってすこしくらいは疲れを感じるだろうと覚悟はしていた。ただ、そうではあるにしても、学生時代には東京から故郷の鹿児島まで片道30時間以上もかかるギュウギュウ詰めの列車に揺られて何度も往復した経験もある身だから、それに比べればたいしたことはないと少々高をくくってもいた。

だが、乗ったバスの座席の位置が悪かった。おかげで、希望に満ちみちた「青春ドリーム」どころか、悔悛と絶望に満ちた「老春ドリーム」を見ることさえもままならぬ事態に遭遇する羽目になってしまったのだった。夜行の高速バスにもいろいろあるが、東京‐京都間の料金は平均8500円ほどである。だから、私の乗ったバスの5000円という料金は超安価だったと言ってよい。料金が料金だったので、シートの狭さやある程度の不自由さは計算済みだったのだが、直面した実際の状況にはこちらの想像以上のものがあった。

前方に向かって通路左手最前列に位置する私の席だけは車の構造上の問題もあって眼前にはつかまったり身を寄せたりするようなものがなく、しかも足の置き場が狭いうえに通路との段差の関係で、ともすると右足が半分宙ぶらりんになってしまう有り様だった。それだけならまだよかったが、うしろの席の乗客に迷惑にならない程度に、ほぼ垂直に近い状態にあった背もたれを後方に倒そうとしてみたのだが、いくらレバーを引いてみてもぴくりともしないではないか。他の乗客も同じかと思って周囲を見まわすと、窓側に坐る私の臨の女性をはじめほとんどの者が思いおもいの角度にシートを倒してはやくも仮眠態勢に入ろうとしているところだった。すでにバスは動き始めており、しかも運転席と乗客席との間には黒い厚手のカーテンがおろされているため、運転手にレバーの不具合を訴えかけるわけにもいかなかった。

バスが高速道路に上がって間もなく車内灯も消灯された。個々の座席専用の小さなスポットライトがあるにはあったが、申し訳程度の明るさなので読書などできる状況ではなかったし、臨席ですでに睡眠態勢に入っている女性の寝つきの邪魔をするのも気がひけた。乗客席の両サイドのすべての窓にも黒のカーテンがおろされているので、気晴らしに外の夜景を眺めることもできなかった。こうなったらひたすら眠りについて青春の夢ならぬ「老春の夢」を見るしかないと腹を括った。しかし、ことはそう容易ではなかったのだった。

上半身がほぼ垂直になっているから、うとうとしかけると身体が前方につんのめりそうになる。前につかまるものがないから、はっとして慌てて足を踏ん張ろうとするが、もともと右足が半ば宙に浮いている有り様なので余計態勢が崩れてしまう。だからといって右手に頭をもたれかけようにも、そちら側は通路だからどうにもならない。また、左手の臨席では若い女性がシートをすこし後方に倒した状態で寝入っているから、うっかり眠りこけて自分の身体をそちら側に大きく傾けたりするわけにはいかない。かくして半跏思惟の仏像なみの格好をした難行苦行が始まった。半跏思惟(はんかしゆい)の像といえば真っ先に思い浮かぶのは広隆寺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)や中宮寺の如意輪観音(にょいりんかんのん)であるが、あんな穏やかな微笑みを浮かべる余裕などあろうはずもなかった。

東京駅八重洲口を出てから一時間半くらいした頃にバスは足柄パーキングエリアに到着した。そしてそこで20分ほどの休憩時間がとられた。それ以降は京都に着くまでの約6時間休憩の停車はないとのことだったので、真っ先にバスから降りて背伸びをしながら半ば硬直しかけた筋肉をほぐした。それから、体内に蓄積した水分の排出と、それにかわる新鮮な水分の補給とをおこない、長時間にわたってさらに続く座禅修行まがいの試練に耐える準備をした。

自分のシートに戻ったあと、あとから乗り込んできた運転手に、「どうやってもシートがうしろに倒れてくれないのですが、なんとかなりませんか?」と一応は相談を持ちかけてみた。私のその要請に応じてその運転手もシートレバーを操作し、なんとかシートを動かそうとしてくれたが、やはり結果は同じだった。運転手は出発時刻を気にするような素振りを見せながら、「お客さん、ほんとうに申し訳ありません。なんだか故障しているようですね。調整修理する時間もありませんし、連休便とあってたまたま今夜は全席埋まっていますので席を替わっていただくわけにもまいりません。恐縮でございますがご辛抱願えますか?」と懇願してきた。いまさらジタバタしても仕方がないので、「じゃ我慢することにしましょう。でもそのかわり乗車料金を半額の2500円にまけてもらうことにしましょうか?」などと軽口を叩いて、さらに続く苦行に耐える覚悟をした。

ほどなくバスはまた走り出した。眼を瞑ってなんとか眠ろうとは努めてみたが、シートに坐る姿勢が姿勢とあって妙に頭の芯が冴えわたるばかりで、青春の夢は言うに及ばず、老春の夢さえも見るどころの騒ぎではなかった。三ヶ日パーキングエリアかとおぼしきあたりで運転手の交代や時間調整が行われたようで、しばらくバスは停車していたのだが乗客の降車は許されなかったので、外の空気を吸いながら硬直した全身の筋肉をほぐすことはできなかった。京都に着く一時間ほど前になってすこしうつらうつらしたのはよかったが、ハッと気がついてみるとひどい痛みを覚えるほどに首筋が突っ張って、後頭部全体がひどく痺れる状態になってしまっていた。

飛行機ならぬ深夜バスに乗ってエコノミー症候群もへったくれもあったものではないが、ともかくも若くはない身にとってこの状態はまずいと考え、疲労してあちこち痛む身体を小刻みに動かしながら京都駅に着くまでの時間を過ごした。半跏思惟の姿や座禅の姿勢からすれば小刻みに身体を動かすことなどご法度であったが、悟りの世界などにはおよそ無縁なこの身にすれば、それはやむをえない所作ではあった。

当初の到着予定よりも20分ほど早い午前5時30分にバスは京都駅烏丸口に到着した。ほとんど睡眠をとることはできなかったので頭はいささか朦朧としかけてきていたが、約8時間におよぶ苦行から解放されたとあって、大きく背伸びをし、外気をいっぱいに吸うとすぐに気分爽快になった。まだほとんど人気のない早朝の京都駅前付近をしばし歩き回っていると、全身の血行がよくなってきたせいか、あちこちの体の痛みや痺れも治まり、頭もすっきりと冴えてきた。バスの中で「老春の夢」を見ることもできなかったのは残念だったが、この老体が若者にとっても容易ではないだろう苦行にもなんとか耐えられたのは喜ぶべきことであった。ただ、正直な感想を述べれば、自分の車で来るほうが何倍も楽ではあった。

旧友らとの待ち合わせ時刻まではまだかなり間があったので、どこかお店に入って休息しようと思ったが、まだ早朝とあって駅周辺の店はどこも閉まったまだだった。烏丸口とは反対側の八条口側に回ってうろうろしていると、たまたま午前6時オープンのマクドナルド店が見つかったので、とりあえずそこに飛び込んだ。そして、290円の早朝割引セット料金を払ってハンバーガーと飲み物を受け取り、徐々に男女の若者らで賑わいはじめた店の一隅に陣取ってそれを食べた。ほんの一瞬のこととはいえ、そのおかげで30歳ほど若返ったような気分にもなった。その点だけは「青春ドリーム号」に感謝すべきであったかもしれない。

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