続マセマティック放浪記

31. SPring-8探訪記・その二

SPring-8 に着いたのはお昼休み時だったので、まずは構内の食堂で昼食を取ることになった。食堂内は作業着姿の施設従業員で溢れ返っていたが、周辺から漏れ聞こえてくる話し声や人々の醸し出す雰囲気はあきらかに通常の職場とは違っていた。それもその筈、この研究センターで働いている人の大半は国内でも一流の科学系研究者や技術者で、事務系職員にしてもそのほとんどが相当な高学歴者ばかりなのであった。食事の相手をしてもらっている高田さんからして島根大学や名古屋大学の助教授・教授職を経て現職に就いた方であるが、この研究センターにはこのような人が少なくない。民間企業からの出向者にしても、高い能力を持つ最先端科学技術の専門家ばかりである。

SPring-8(スプリング・エイト)とは、「Super Photon ring 8-GeV(スーパー・フォトン・リング・エイト・ギガボルト)」の略称で、「八十億電子ボルトの電子加速器(電子加速リング)によって発生させた超高輝度放射光を利用する研究施設」といったような意味をもっている。昼食が終わると、この施設内に二つあるという高田さんの研究室のうちの一つに案内された。そこには高田さんの指導を受けているまだ若い研究員たちが三・四人いて、それぞれにコンピュータに向かいながら研究業務の一環らしいデータ処理に勤しんでいるところだった。

そこでお茶をご馳走になりながらしばらく高田さんと話したあと、続いて案内されたのは中央管理棟ビルの屋上であった。その屋上からはSPring-8主要部のほぼ全景を見渡すことができた。一周一・四キロメートル余あるという巨大な円環状の施設が前方の小山をぐるりと取り巻いている。まるで一昔前のSF映画「未知との遭遇」に登場する大円盤が地上に降り立っているかのような光景で、その円環状施設の反対側は小山の蔭になってまったく見えなかった。最初、私は、このユーフォーを連想させる巨大リング内で電子ビームが加速されるのだろうと思ったのだが、実際の状況はそれとは少し違っていた。

小山に向かって左手のほうには直線状にのびる建物が二棟見えた。そのうちの手前側のものは全長百二十メートル前後あり、その長い建物の先端部に接するような感じで陸上競技場のトラックを連想させるような一周四百メートルほどの長円形施設が配置されていた。あとで判ったことなのだが、その直線状の建物のほうが電子銃で打ち出した電子ビームを直線方向に1-GeVまで加速する線型加速器棟、そして陸上トラック様の長円形施設のほうが、線形加速器で1-GeVまで加速された電子ビームをさらに8-GeVまで加速してやるシンクロトロン棟なのだった。8-GeVまで電子ビームのエネルギーを高めるのがこのシンクロトロンだとすると、小山を取り巻く眼前の巨大リングの役割はどのようなものなのかという疑問が当然湧いてくる。「蓄積リング棟」と呼ばれるその巨大施設の役割は、むろん、そのあとほどなく明らかになった。なお、奥の方に見える長さ七百~八百メートルほどの長大な直線状の建物は、二年後の完成に向けて現在建設進行中のXFFL(X線自由電子レーザー)施設だということだった。

中央管理棟の屋上からかなり離れたところに、茶色いキノコの傘を連想させるような、まるく膨らんだ屋根をもつ未来風の建物が見えた。何だろうと思って高田さんに訊ねると、それは小学校だとのことであった。SPring-8で働く人々の子どもたち六十人ほどが通っているらしい。ただ、高田さんの話によれば、小学生の場合はともかく、中学生や高校生を家族にもつ家庭ともなると、教育環境の問題もあるのでどうしても別居生活状態にならざるをえないとのことだった。

中央管理棟の屋上から降りると、蓄積リング棟、すなわち巨大円盤状施設の制御室に案内された。そしてそこで初めて、その施設の機能と、それが「蓄積リング」と呼ばれている理由とを知るところとなった。特別に入室を許可された円形状の制御室には無数の制御用モニターやコンピュータが配置されていて、モニターに表示されるカラフルな各種グラフや分析データ表を眺めながら、数人の技術者が働いているところだった。高田さんを通して紹介されたそこの責任者の方から受けた説明によると、シンクロトロンで8-GeVまで加速された電子ビームは一周一・四キロメートルのこの巨大蓄積リングに導入され、ほぼ光速に近い速度でリング内を周回をしながらその状態で保存されるのだそうだ。もちろん、蓄積リング自体もシンクロトロンの一種だと考えてよい。

この蓄積リング内にごく微量のガス分子が存在しているだけでも、それに電子が衝突すると電子ビーム流全体のエネルギー総量が落ちる。そのため、この蓄積リング内の状態は常時監視され、人工衛星が飛行するあたりの宇宙空間とほぼ同程度の真空状態になるように制御されている。それでもごく僅かずつだがエネルギーロスは起るし、蓄積された電子ビームのエネルギーの一部は各種先端研究に必要な放射光(シンクロトロン放射という)となってリングの接線方向に放出されるから、蓄積された電子エネルギー量には減少が生じる。そのロスを補い電子流を一定に保つために、蓄積リングにおいても電子ビームの補充と加速が行われている。

ほぼ光速近くにまで加速された電子ビームを蓄積リング内に閉じ込め周回運動させるには、偏向電磁石でその軌道を曲げてやることが必要だが、その際に赤外線からX線にいたる領域の光が混在した強力な白色光が放出される。超高速で運動する電子の軌道を物理的に曲げてやると、雲状に電子を取り巻く仮想光(まだ光になっていない光子)の一部が剥ぎ取られ、現実の光となって曲線軌道の接線方向に飛び出していく。それが放射光と呼ばれるものである。

原理的には同じだが、より高輝度で拡散しにくい放射光を得るためには、アンジュレータ(Undulator)やウイッグラー(Wiggler)という、強力な電磁石を多数規則的に配列した特殊装置が用いられる。アンジュレータは、蓄積リングから取り出した電子ビームを磁力によって周期的に小さく蛇行させ、蛇行の都度発生する放射光を相互に干渉させることにより、極めて明るい特定波長の放射光を得る装置である。また、いっぽうのウイッグラーは、電子ビームを複数回大きく蛇行させることにより、一段と明るく波長の短い白色放射光を得る装置である。太陽光や従来のX線発生装置から得られる光の一億倍もの高輝度をもつSPring-8の放射光は実に多様な先端科学の研究に用いられている。

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