続マセマティック放浪記

5. あるオークションの風景・前編

長年付き合いのある知人からオークション見学に行かないかと誘われた。オークションの光景は映画やテレビドラマなどで折々目にしたことはあるが、これまで実際にオークションの現場に臨んだことはなかった。そもそも、そんな場所は自分には無縁なところだという思い込みがあった。ところが、先日、ある有名なオークションの会員であるその知人から、一見するだけの価値があるから是非ともと勧められ、それならとばと、生来の野次馬根性の赴くままにあとからついて行くことにしたのだった。

日本でもっとも伝統と信用のあるとかいうそのオークションの会場は、品川のお台場にある国際展示場正門前駅から数分歩いたところにあった。オークションの会員に同伴するかたちをとれば会員でない者でも入場できるとあって、ジーンズにTシャツを着たみすぼらしい風体の私でもなんなく中に入ることができた。知人のほうはオークションを主催する側の責任者とも親しいとみえて、しばしにこやかに挨拶を交わしながら歓談していた。

当初は、高価な品物も数多く登場するオークションだというから、会場に姿を見せるのは身なりも振舞いもそれなりの人品卑しからぬ人々ばかりなのだろうと考えていた。人品卑しく身なりも振舞いも下賎な私などは、場違いだったのではなかろうかといささか緊張したりもした。だが、その懸念はすぐに薄らいだ。ネクタイとスーツで身を固めた男性や品のよいドレス姿の女性なども見かけられたが、ほとんどの人々は私とたいして変わらないラフでごく庶民的な姿格好をしていたからだった。なかには何人か小型のザックを背負った姿のお客もみかけられた。

知人に先導されて初めに足を運んだのはオークション出品物の下見室だった。オークション会員には美術展の出展作品写真資料集そのままの出品物のカタログがあらかじめ無料送付される。知人が出品物の写真を掲載したカタログを持参していたので、さっそくそれを見せてもらったが、なかなか立派なものであった。各出品物の写真には番号がつけられ、オークションの際の目安となるおおまかな予想落札価格も付記されている。真贋の判別が定かでないものや、なんらかの事情で予想落札価格がつけにくいものには「成り行きまかせ」という表記がなされていた。どうやらその品物に関しては自己責任のもとに競り落としてほしい、品物の真贋やその落札価格に問題があってもオークションの主催者側は責任をとらない、というのが「成り行きまかせ」という一風変わった表記の伝えんとするところであるらしかった。

二日間にわたるこの折のオークションの出品物は茶道や華道さらにはそれらに関係する置物や書画類が中心で、出品物の点数は千二百点ほどにのぼっていた。そして、それらの物品中には数百万円、さらには一千万円を超える予想落札価格のつけられているものもあり、百万円前後の出品物なら枚挙にいとまがないくらいであった。知人の話によると、何千万円もするような出品物が登場するオークションもすくなくないとのことであった。相当広い下見室にはそれらの出品物がナンバー付きですべて順々に配列展示されており、オークションの参加者はあらかじめ関心のある品物を直接手にとって眺めたり確認したりできるようになっていた。それは出品物を確実に落札してもらうために必要な配慮ではあるのだろうが、オークション初見参の私のような素人の目にはなんとも驚くべき光景だった。

実をいうと、年間二万円ほどの会費を払って私の知人がこのオークションの会員になっているのは、オークションに出品したり出品物を購入したりするためというよりも、このオークション会場ならではの雰囲気を楽しむためであるらしかった。毎回のオークションに先だって会員に届けられる出品物の立派な写真つきカタログの価値だけでも年会費と相殺されるくらいなのだそうだが、素人にとってのこのオークション参加の醍醐味はなんと言っても下見室での高価な出品物の事前鑑賞にあるらしかった。ちょっとした美術館に出かけても何百円かの入館料はとられる。ところが、会員になっておりさえすれば同伴者ごと無料で逸品のずらりと並ぶ下見室に入ることができる。しかもこの下見室では、通常なら触れることなど絶対に許されない品々を直接自分の手で撫でたり持ち上げたりしながら鑑賞することができるというわけだった。

百万、二百万という予想落札価格のついた著名な書家や画家の筆になる掛け軸類、同じく高額の価格のついた置物類などを文字通り手に触れるようにして眺めながらも、私にはそんなことをしている自分の姿がなんとも信じ難いものに思われてきてならなかった。中には数千円から一万円程度の予想価格のついた出品物もあったが、ほとんどの物は安くても数万円以上のようであった。数千円程度のものから数千万円にもおよぶ品物までを扱うそのオークションのシステム自体が私にはとても興味深いものに思われてならなかった。知人の話によると、それなりの審査はあるものの、基本的にオークションへの出品は誰にでも可能だとのことであった。

こんな世界もあるのかとしばし奇妙な感慨に耽っていると、先導役の知人が、順々に見ていてもきりがないから今回のオークションの目玉のひとつである楽焼きの茶碗を見にいこうと誘ってくれた。もちろん、異存などあろうはずもなく、私はすぐにその誘いに乗った。茶碗の展示してあるそのコーナーには十数個ほどの各種茶碗が並べられていたが、いずれも百万円を超える名器ばかりだった。そして、それらの中でひときわ異彩を放っているのが楽焼きの初代楽長次郎の作であるという赤茶碗だった。そのほかにも楽焼き代々の名工の手になる茶碗が何個か並んでいたところからすると、それら楽焼きの蒐集家がいて、何らかの事情でその所蔵品をオークションに出品したもののようであった。

問題の楽長次郎作の赤茶碗は、他の茶碗と同様にその本体だけがごく自然な感じで並べ置かれていたが、なんとその予想落札価格は七百五十万円から一千万円ということであった。先客が一人あってその茶碗を直に手に取ってその色艶や感触を確かめたり、逆さまにして台座の裏を眺めたりしているところだったが、その様子たるやなんとも手馴れたもので、驚くほどに無造作だった。下見室には何人かの管理担当者がいたが、下見をするお客の様子を遠くからさりげなく見守ったり、お客の要請に応じて出品物の説明にやってきたりするだけで、近づいてきて出品物の取り扱いに注意をするよう促したり、不慮の事態に備えて警戒感をあらわにしたりするようなことはなかった。

先客が下見を終えたのに続いて我々もその赤茶碗に触らせてもらうことにした。まず知人がその茶碗を両手でそっと持ち上げ、全体を撫でまわすようにしながら、「これがねえ……」という驚きとも感慨ともつかぬ呟きを漏らした。そして、私のほうをみやりながら驚き呆れたような笑みを浮かべた。知人が手にした茶碗をもとの場所におろしたあと、かわって私がそれを両の手のひらで包み込むようにして持ち上げた。七百五十万円以上もする名茶碗を直に手にして眺めるなど後にも先にもこれ一度きりのことに相違ないと思うにつけても、全身に走る緊張はひとしおだった。

手にした茶碗は想像していたよりも軽い感じであった。肉薄な作りになっているのがその理由のひとつではあったのかもしれない。全体的には赤というよりは濃く艶やかな橙色をしており、飲み口の部分などには地肌の粗いところなどもあった。素人の身ゆえにそんなことをしてみても特別何かが分かるわけでもなかったが、せっかくの機会なので茶碗をそっとひっくり返し台座の裏側を眺めたりもしてみた。はじめのうちは「誤って落しでもしたら我が人生はそれで終わりだな」といったような思いが脳裏をよぎったりもしていたが、慣れというものはおそろしいもので、だんだんと図々しくなり、しまいには七百五十万円ならぬ七百五十円の茶碗を手にしているような気分になってきてしまった。

その赤茶碗の芸術的素晴らしさがほんとうに理解できたかというと、「うーん?……」というのが正直なところであった。「猫に小判」まではいかなかったとしても、「チンパンジーに福沢諭吉」くらいのことではあったかもしれない。そのほかの茶碗にも何百万円という予想落札価格がつけられていたが、楽長次郎の作品を手にしたあととあっては、それらに触れてみるにあたって特段の感慨や畏怖の念の湧いてこようはずもなかった。そして、初見参の私でもそうなのだから、日常的にこの種の高価な出品物に見なれているオークション関係者らの感覚にいたっては推して知るべしだろうな、という思いがしてきてならなかった。あとで気がついたのだが、茶碗類が展示してあるそのコーナーの一角には白い手袋が置かれていた。茶碗に触る時には事前にそれを手にはめてという主催者側の配慮ではあったのだろうが、下見客のほとんどの者は直接その手で触っていたし、その様子を目にしている係員のほうも警告を発したり注意を促しにやってきたりたりするようなこともなかった。

いつしかすっかりその場の雰囲気に慣れてしまった私だったが、知人に導かれ、ある古びた細長い木箱の前に立った時にはまたすくなからず緊張を覚えもした。先刻の楽長次郎の赤茶碗のそれを超える一千万~一千二百万円というその予想落札価格に、下賎なこの身のほうがまたまた圧倒されてしまったというのが実際のところだったかもしれない。その細長い小振りの木箱の中身は、なんと千利休の愛用した竹の茶匙であるらしかった。もちろん、その蓋つきの箱には古びた織紐が掛けられており、その紐を解いて箱を開かなければ中に収められた茶匙を目にすることはできなかった。その場の雰囲気に慣れ、かなり図々しくは振舞うようになっていた我々といえども、さすがにその箱を手にして掛けられた紐を解くとなると、いささか躊躇せざるをえなかった。

手を出しかねて立っていると、そこに骨董関係の業者らしい中年の男性がやってきて無造作にその箱の紐を解き、蓋を開いて中に収められていたもうひとつの内箱を手際よく取り出した。どうやら、外箱は本来の箱を守るために後世になって誰かが造り足したもののようだった。我々二人の見守る前で男は続いてくすんだ色で「千利休云々」と墨書された内箱の蓋を開き、中から艶やかに光る細長い茶褐色の竹筒を取り出した。そしてさらにその竹筒の蓋を開けて、黒褐色に輝く古びた細い竹の茶匙を引き出した。見るからに細くて軽そうなその茶匙を利休が実際に使っていたのかと思うと、そしてまた、ただこれだけの簡素な一本の竹の匙に一千万円を超える値段がつくのかと思うと、ただもう不思議な気がしてくるばかりだった。

男はこの種の道具類に精通しているらしく、箱の文字は利休の息子が書いたのでしょうと我々に説明もしてくれた。畏れ多いことではあったが、その男の言葉に誘われるままにほんのちょっとだけ問題の茶匙に触らせてもらった。触った瞬間に自分の指先を通して利休の魂のせめて一千万分の一でもが伝わってくればよいとも期待はしたが、その茶匙の予想落札価格に驚き呆れているような身ではそれも無理だなと諦めるしかなかった。「茶の湯とはただ茶を立てて飲むと知るべし」という利休の教えに忠実に従うなら、「茶匙とはただ茶を掬うものと知るべし」ということになるのだろうが、そうもいかなくなっているのがこの世の現実のようである。利休の霊もどこかで苦笑していることだろう。

くだんの男はまたもや手際よく茶匙を竹筒に収めてそれを内箱に入れ紐を掛けた。そしてその内箱を外箱に収納して蓋を閉め元通りに紐を掛けた。かくして、一千万円を超えるオークション物件のいささか不謹慎な下見は無事終了した。それにしても千利休が用いたというその茶匙はどういう変遷の末に、どのような事情のもと、どんな人物の手を経てこのようなオークションの会場に登場することになったのだろう。その歴史的プロセス自体がひとつのミステリーであるように私には思われてならなかった。

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