続マセマティック放浪記

26. 筑紫哲也さんの想い出

去る十一月七日に筑紫哲也さんが他界してからというも、生前の業績を称えるさまざまな報道がなされてきている。いまさらここで筑紫さんの足跡をあれこれ紹介してみたところで、諸々の著名人の追悼文や発言の後追いをするのが関の山だから、そんなことをする気など毛頭ない。そのかわりに、ちょっとした筑紫さんにまつわる想い出だけを書いておくことにしたい。

作家の水上勉先生がまだご健在の頃、若狭大飯町の若州一滴文庫では例年「幻夢一夜」と称される特別な催物が開かれていた。そんな折には水上先生のお人柄を慕う各界の著名人らが応援に駈けつけ、一滴文庫内「車椅子劇場」の舞台に立って、全国各地から集まる多くの観客を魅了したものだが、筑紫哲也さんはそんな常連有名人の一人だった。劇場での公演が終わって観客が皆立ち去ったあと、「萱葺き」と呼ばれる建物内の広い座敷では、関係者が集まって打ち上げの宴を催すのが常であった。座敷の一角にある囲炉裏端に座を構える水上先生を囲むようにして他の者が二重三重に坐り、無礼講でワイワイ・ガヤガヤとやったものなのだが、そんな時の筑紫さんの姿は、テレビで見る時のそれとは違って実にリラックスしたものだった。

私自身も一滴文庫の催物があるごとに若狭まで駈けつけ、催物のお手伝いをしていたので、必然的に「萱葺き」の座敷に設えられた打ち上げの場で筑紫さんと同席することもしばしばだった。そんな折の筑紫さんの周囲の人々に対する心遣いはこまやかそのもので、しかもそれはごく自然なものだった。その話ぶりには気取ったところや片意地張ったところなどまったくなく、さらにまた、テレビではあまり見かけないユーモアと機知に富んだ意外な一面などが見られたりもしたものだった。いずれにしろ、実に視線の低い、どこまでも謙虚なお人柄がとても印象的だった。ほんとうに強い人間というものはしなやかそのもので、よほどのことがないかぎりは、静かにそして寛容に振舞うものである。それゆえ、自分とは見解がまったく異なると感じても、多くの場合は相手の立場を認め、その主張をウイットで軽く受け流す。

たまに奥様を同伴して一滴文庫に見えることもあったが、奥様も実に物静かで控えめな方で、周囲への配慮もひとしおだったから誰もが少なからぬ好感を抱いていた。あるとき、筑紫さんに「とても気配りのある素敵な奥様ですね」と言うと、ニヤリと笑って「無言の言」でかわされてしまったが、意味ありげなその笑みの奥には、筑紫さんの温かさと同時に、このうえない冷静さ、さらには人一倍の真っ正直さが隠されていたように思われてならなかった。

筑紫さんはスーツがこのうえなくよく似合う人だったが、一滴文庫の萱葺きの間で折々見かけるセーター姿はお世辞にも格好がいいとは言い難かった。セーターがなんとなくだぶついてうまくフィットしていない感じで、その色合いも柄もいささか不似合いに思われたものだった。そんな違和感を覚えた原因のひとつは、「筑紫哲也」というジャーナリズムの先端を走る「筑紫哲也」というキャラクターが、その時だけは「弛駈志徹爺」に見えてしまったからだったろう。

知る人ぞ知るヘビースモーカーだった筑紫さんは、「幻夢一夜」の催物の舞台でのトークを終えたあとなど、あまり人目のつかないところに大急ぎでやってきては、うまそうに煙草を吸っていた。目を細めながら大きく煙を吐き出す筑紫さんのその表情をいまもありありと想い出す。そんな日々の喫煙は、致命的となった筑紫さんの病気に深く関係していたのかもしれないけれど、ご本人にすれば「まあ、しゃないか。これも運命だから・・・」ということではあったのだろう。

そう言えば、ある時、水上先生に向かって、「先生・・・先生のお名前は『ミナカミ・ツトム』なのですか、それとも『ミズカミ・ツトム』なのですか?」とずばり尋ねたのも筑紫さんだった。
それに対して水上先生は、「本来は『ミズカミ』なんですけど、まだ新米作家だった頃、周囲の人々から『ミナカミ・ツトム』と呼ばれ、どうしても「ミズカミです」とは言えんかったんですね。そいで、ずっと『ミナカミ』のままになっとったんです。ところが、原稿料その他が銀行振込みされる時代になってから、「ミナカミ・ツトム」と必要書類に記入したりするのが、どうにもシックリこんようになりまして・・・。そいで、また、本来の「ミズカミ」を名乗るようにしたわけなんです」というような答をされたものだった。

今頃は、先に天上にあって筑紫さんを出迎えた水上先生が、「やあ、筑紫さん、あなたもとうとうやってきましたね。でもまあ、ここもそんなに居心地は悪くありませんよ。ほら、私よりも先に来ていた灰谷健次郎君もあそこでああして楽しそうにやってますよ。そのうち、○○○さんや△△△さん、□□□□さんらもやって来ますよ。そうしたら、ここでまた賑やかに『天国編・幻夢一夜』でもやることにしょうか」などとにこやかに語りかけておられるのかもしれない。

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