続マセマティック放浪記

6. あるオークションの風景・後編

下見室の見学を終え、近くのレストランで昼食をとったあと、午後から開かれるオークションの会場に入った。オークション会員は会場に入る際にあらかじめ送られてきている入場証を提示し、オークションに参加に必要な個人番号の大書された柄つきの板札を受け取る。私のような同伴者にはもちろんオークション参加用の板札は渡されないが、会員である誰かのあとについて会場に入ることはできる。会場内には折りたたみ椅子が二百脚ほど並べられていたが、はじめのうちはその八割程度がうまっている感じだった。会場内の人々をざっと見回してみたが、ほとんどの者が思いおもいのラフな身なりをしており、きちんとしたスーツやドレスで身を固めている人はごく少数にすぎなかった。人は見かけによらぬものというから、このようなオークションで実際に高価な買い物をする人物というものは、見かけ上はどこにでもいるような風体をしていて当然だったのかもしれない。

会場に入ってしばらくすると、前方の壇上の中央にオークションを仕切る中年の男とその補佐役らしいもうひとりの男が現われ、またその脇の長テーブルにノートパソコンを携えた三人の若い女性係員が着席した。それらの女性係員はオークションの進行状況や落札状況を間違いのないように記録しチェックする役割を担っているらしかった。右手に配されたテーブルにも数人の男女の係員が坐っていたが、その前には一台づつ電話器が置かれていた。その様子からすると、どうやらこのオークションには電話を介して参加する常連客があるようだった。電話を前にしたそれらの係員は刻々変化する競り値の状況について連絡をとりながら、電話の向こうのお客の代理として適宜入札をおこなうもののようであった。

この日は二日間に渡るオークションの一日目で、千二百点余の全出品物のうちの半数に相当する六百点ほどが競売にかけられることになっていた。あらかじめ耳にしていたところによると、四、五時間ほどでそれら六百点余の出品物のオークションを終えるということだったが、もしそうだとすると、単純に計算しても二十~三十秒間に一点あたりのスピードで競売処理していかなければならない。ほんとうにそんなことができるものなのかと、しばし私は信じ難い思いに駆られたりもした。

知人と私とは会場のずっとうしろのほうに席をとった。そのほうが実際にオークションに参加する人々を含めた会場全体の様子が的確に掴めると思ったからだった。もともと我々にはこの日のオークションに参加する気などまったくなく、その場の雰囲気を存分に楽しむことだけが目的だったから、むしろそのほうが好都合でもあった。

定刻ぴったりにオークションは始まった。中央壇上の進行役の男は登録番号一番の品物を手はじめにオークションを開始した。会場前方の両サイドには大型の受像機が設置されていて、そのスクリーン上に大きく映し出される競売進行中の物品を、オークションの各参加者が十分に確認できるようになっていた。進行役の男は会場中によく通る大声をはりあげ、「九十万円、はい、九十五万円、九十五万円、はい百万円、百万円、はい百五万円、百十万円……」といった調子で競り値をつりあげながらオークションを進めていった。はじめのうちは全体的な進行状況がよく呑み込めなかったので戸惑いを覚えもしたが、しばらくするとオークション独特のリズムやその流れを私なりに掴むことができるようになった。

なによりも感嘆したのは、オークションを仕切る壇上の男の得意な能力であった。各々の出品物のオークションはカタログにある予想落札価格帯よりもすこし安い値段からスタートし、多数の競売参加者間の駆け引きを通して刻々とその競り値が上がっていく。会場の競売参加者がより高値でその品物を入手したい場合には自分の持ち札を軽くさっと上げるのだが、その札の上げ方はうっかりすると見逃してしまうほどに素早くそして目立たない感じである。しかも、会場のあちこちでほぼ同時あるいはごくわずかな時間差で複数の札が上げられる。その間にも数台並ぶ電話とそれを受ける係員を介して外部からも入札が行われる。壇上の男はそれらの札の動きやその入札番号を的確に認識し、会場の参加者と巧みに呼吸を合わせながら滞りなく競売を進め、最高値に至ったと判断した瞬間にハンマーを叩きハンマープライス(最終落札価格)を決めるのだ。

オークションを仕切る男に要求されるのは、刻々と変化する競り値を連呼しながら八方睨みの目で会場全体を見回して入札の有無と入札番号を瞬時に確認し、同時に耳から入る情報を把握かつ制御しつつハンマープライスを打ち出すという特異な能力なのだ。八人の人間の言うことを同時に聞き分けたとかいう聖徳太子の伝説的な能力まではともかくとしても、それに近い特殊な能力がオークショナーには必要だというわけなのだ。どうやら、その時々に会場に流れる空気を的確に読み取り、巧みなリードとテンポのよさで競売参加者の購買心理を煽りながら、ごく限られた時間内になるべく高いハンマープライスを打ち出すのがその腕の見せどころであるらしい。

信じられないことではあるが、カタログ記載の順番通りに登場する個々の出品物は、一品につき平均二十秒くらいの速度で次々に競り落とされていった。間髪を入れずにひとつの出品物から次の出品物のオークションへと移るところをみると、壇上の男はカタログの予想落札価格をあらかじめ記憶もしているらしらしかった。ただ、個々の出品物の予想落札価格帯は数千円、数万円のものから何百万円のものまでと様々で、それらが次々に登場してくるのだから、よく混乱を起こして価格を言い間違えたりしないものだとひたすら感心するばかりだった。

下見室で直に目にした楽長次郎作の赤茶碗や千利休愛用の茶匙などは翌日のオークションにかけられる予定になっていたので、残念ながらそれら逸品の競売風景を目にすることはできなかった。ただ、それでも、数十万円のものはむろん、二百万円、三百万円、四百万円、五百万円といった出品物がどんどん登場し、わずか二、三十秒間のうちに次々と落札されていった。予想落札価格に達しそうにない場合、出品者の意向で競売取り下げになるものも中にはあるようだったが、平均落札率は九十五パーセントもの高率だとのことであった。この時に目にしたかぎりでは、大半のものが予想落札価格帯の範囲のハンマープライスに落ち着いたが、予想価格よりも安値で落札されるものや逆に予想価格よりもずっと高値で落札されるものもすくなくなかった。

折々登場する「成り行きまかせ」なる出品物の競売も思いのほかスムーズに進行した。真贋の判別がつかなかったり、なにかしらの問題があったりする品物なので落札者の自己責任のもとでの購入となるとのことだったが、それらの出品物が百万、二百万といった金額でどんどん落札されていくのもいささか意外な光景だった。

なお、落札価格が五十万円以下の場合には落札価格の十五パーセントを、また落札価格が五十万円を超える場合には落札価格の十パーセントを、出品者と購入者のそれぞれがオークションの主催者に支払う取り決めになっているということだった。いずれにしろ、落札価格の二十パーセントから三十パーセントが主催者サイドの収益となるから、高額で落札してもらうほどにその利益も大きくなるわけで、そうだとすればオークションの主催者らが真剣になるのも当然のことだった。いったん落札された物品の返還は、よほど特別な理由でもないかぎり不可能なのだそうで、オークションの参加者にはそれなりの決意と覚悟が必要なのだとのことであった。

――暑い夏の日などに、手にした番号札をうっかり団扇代わりに使いなどしたら大事になってしまいかねないな。知らぬ間に入札したことになってしまって、あとで高額の落札代金を請求される羽目になったりするかもしれない。会場の熱気に耐えかね、番号札でパタパタやって入札と勘違いされた会員などは過去にいなかったのかな?――そんな愚にもつかない思いが一瞬脳裏をよぎったりもした。

会場の雰囲気や落札状況などからして、実際にオークションに参加している者の多くが業者筋の人たちであるらしいこともだんだんと分かってきた。よくよく考えてみると、そうでなければ、千二百点余にものぼる出品物の九十五パーセントが落札されるなどということはありえない話だった。会場のあちこちで同一人物が種類も価格も異なるいくつもの品物を次々に落札していく様子からしても、そのことは明らかだった。

私の席のすぐ左前のところに三十代くらいの男が坐っていた。一見したところでは、白っぽい厚手の長袖シャツと同じく白の綿のズボンとをラフに着こなしたどこにでもいそうな感じの男で、どう見ても大金持ちであるようには見えなかった。ところが、その人物は独特の動きを見せながら活発に入札に応じ、次々に品物を落札していくのだった。面白いことに落札した品物も何百万円もするものから何十万円、何万円、さらには何千円のものまでと価格帯もまちまちで、いったいこれはどういうことなのだろうと、脇から見ていてついつい首を傾げたくなるありさまだった。もちろん、落札した品物の事後処理にはそれなりの計算と裏付けとがあってのことだったのだろうが……。

オークションの成り行きを途中まで見守ったあと我々は早めに退出したが、知人の誘いのおかげで思わぬ体験をすることができ、なんとも有意義な一日ではあった。以前から「なんでも鑑定団」というテレビ番組が評判になっているが、それというのも、物の真贋の鑑定とかその価値の判定とかいう行為には、視聴者の美意識や審美眼をくすぐり目覚めさせるいっぽう、人間の物欲やそれにまつわる数々の悲喜劇を暴き相対化する働きがあるからなのでもあろう。私のような門外漢にしてみれば、今回の一連のオークションの光景にも「なんでも鑑定団」の番組と同様の面白さがあるように思われてならなかった。いささか不謹慎ではあるのかもしれないけれど……。

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