民主党の代表選がマスコミ界で大きな話題となっている。菅が勝つのか、それとも小沢が勝つのか、それは時の運のなせる業と言うほかないが、まあ、どちらが総理になったとしても、遭難寸前の日本丸の舵取りを文字通り命懸けでやってもらいたいものだ。
だが、それはさておき、いま私が深く想いをめぐらしているのは、容易ならざる決意があったであろうと推測される千葉景子法務大臣の胸の内である。先の参議院選挙で69万票余をもらいながら落選した千葉法相は、それから間もなく、2人の死刑囚の処刑執行命令書に署名した。そして、歴代法相としては初めて、それら2人の受刑者の死刑執行に立ち会った。昨今の民主党の代表選騒動の陰に隠れ、もうすっかり忘れ去られた感がしないでもないが、法相としてのそれら一連の決定に対しさまざまな批判や憶測が飛び交ったことは記憶に新しい。国会議員になる前は横浜弁護士会所属の人権弁護士だった千葉法相は、れっきとした死刑廃止論者でもあったから、そのぶん反響も大きかった。
死刑執行を承認するまで、同大臣は、一部のメディア筋などから「死刑執行承認の署名など、法相としてなすべきことをしない人物はとうてい大臣適任者とはいえない」と批判されていた。また、死刑執行承認後は承認後で、「国民の支持を失い落選した人物が保身のために任期切れ直前にその決断を下し、参議院議員の任期が終わったあとも法相を続けている」とか、「死刑廃止論者だった人物が死刑執行を承認するなんて断じて許し難い」とかいった非難の声を浴びせかけられてもいた。
いったい、千葉法相はどんな思いでその決断を下したのだろう。ほどなく法相としての任期が終わるのは確実だったのだから、たとえ死刑執行の承認もできない無能な女性法相だと罵倒されようと、死刑廃止論者としての自分の信念を貫き通せばよかったはずなのだ。それにもかかわらず、彼女が自分の信条に反する決断を下し、しかも、女性の身でありながらも残酷な処刑の現場に立ち会った裏では、人知れぬ苦悩と、それをおしてもなお訴えるべき重大な政治的な決意が激しく交錯していたに違いない。マスメディアはそんなことなどおかまいなしに、表層的な報道に終始し、法相自身もまたその決意の背景についてはいまだに何ひとつ語っていない。死刑制度存続の是非を国民に問う契機にしてもらいたいと、刑場の一般公開を指示しはしたようではあるが、彼女の真の思いがその程度のものであったとはとても考えられないのだ。
4期にわたって参議院議員を務めた千葉法相は、7月の参議院選で落選したが、その直接の原因は、小沢一郎前民主党幹事長主導による同党候補2人擁立策の影響をもろに受けたからであった。長年実績のある彼女の当選は間違いないと踏んだ支持者たちの票がもうひとりの民主党候補に流れ、結果的には69万票を集めながらも落選の憂き目を見るにいたった。ある地方において15万票余で当選した議員があることを思えば、1票格差に大きな問題があるのは確かだし、また菅首相の不用意な発言や小沢流選挙戦略の失敗にも落選の責任はあったのだが、すべては自分のいたらなさのゆえだと語り、いっさい弁明をしなかった彼女の潔さは立派であった。
参議院議員としての任期が終わる直前に死刑執行承認に踏み切ったのは、当然、それなりの理由と覚悟があったからだろう。国会議員の資格を失い、民間人として9月半ばまで法相を務めることが決まった直後の国会では、相も変わらず党利党略丸出しの無責任な議論が横行していた。そんな折にテレビに映し出された彼女の目が妙に空ろに見えたのはなんとも印象的だったのだが、それはその心中を反映してのことだったのだろう。
――私は自分の長年の信条に反して死刑執行命令書に署名しました。それは、死刑制度存続賛成、反対の両陣営から様々な批判が巻き起こることを覚悟の上での決断でした。今後の状況がどうであるにしろ、私の政治生命はすでに終わってしまっていますから、もう次回の選挙に出るつもりはありません。そんな私にしてみれば、敢えて晩節を汚すような決断をするよりも、死刑執行命令書に署名せず法相としての任期を終えるほうがずっと楽ではあります。この先、民間人に戻り、一弁護士として活動する上でもそうしたほうがよほど都合も良かったのです――
私には、千葉法相のそんな内なる声が聞こえてくるように思われてならなかった。そして、その胸中で押し殺されたさらに多くの呟き声が響き伝わってくるようにも感じられるのだった。
――菅さん!、小沢さん!……、けっして口にこそ出しませんが、私はあなたがたに真の意味で決断力のある政治をやってほしいのです。口先だけでなく、ほんとうに命懸けで国民のための政治をやってもらいたいのです。女の身の私が、しかも、死刑廃止論者だった私が長年の理念と信条を捨て、死刑執行を承認したのです。その決定の重さを自らに言い聞かせるためもあって、私は法相としてはじめて処刑現場に立会いもしたんです。政治的決断に百パーセントの正解などありませんよね。死刑制度の存続を85パーセントの国民が支持する中で法務大臣になった私は、国家を司る司法界の最高責任者としての立場と、一人の人間としての個人的な理念との板挟みになって苦しみました。しかし、最終的に私は国務大臣として、法律にのっとり厳粛な決断をするにいたったのです。菅さん!、小沢さん!、この決断は私なりのやり方でのあなた方へのメッセージなんです、換言すれば、私の人生のすべてを懸けたあなた方への最後通告なのです。あとさきを考えないその場かぎりの無責任な言葉を吐いたり、法の網目をかいくぐって陰で実権を握り、それが当然のように開き直ったりするようなことはもうやめて欲しいんです。あなたがたは、もう保身にばかり走らず、私がやったように自ら泥をかぶり、非難の嵐に耐えながらも、将来の国益と国民生活安定のために決断力のある政治を行ってください。そうでなければ、自らの理念・信条を捨て、女だてらに死刑執行を承認し、処刑現場に立ち会った私は永遠に浮ばれません。そもそも、私が政治生命を失うことになったのは、小沢さん、あなたの強引な選挙戦略の結果でもありますからね。過去の政治資金問題であなたが法的に潔白であると主張するなら、法にのっとって苦悩の決断を下した私の思いにもすこしは敬意を払い、あなたもまた苦悩多き決断をしてください――
穿った見方ではあるかもしれないが、私には千葉法相の声にならない声がそんな風に聞こえてならなかった。現実には、千葉法相自身は今後ともそんな思いをけっして口にすることはないだろうから、菅、小沢の両氏、報道関係者、さらには多くの国民にその真意を汲み取ってもらうしかない話なのではあるのだけれど・・・・・・。