拝啓
ただ荒涼としたこの生の旅路を冷たくそして激しく吹き抜ける、だがそのゆえにこそまた魂の奥底を熱く切なく揺り動かす一陣の風の中に立ちながら、ささやかなメッセージを送らせてさせていただこうとしています。
月下の氷原を独り行くがごとき寂寥の中を好んで旅し続けてきた愚かな身には、来し方と行く方という二つの無窮の闇を遠く見すえているがゆえにこそ静かなしかし消し難い炎となって燃え立ち、このたまゆらの生のひとときを照らそうとする命の脈動を人に倍してよく理解することはできるつもりです。
過去を背負わず、未来を気負わず、結局は自らのこの刹那の足取りの確かさだけを信じて独り旅行くしかない「宿命の旅人」同士ではあっても、嵐の晩などにたまたま巡り合い、一夜の心の交歓の場をもつことくらいはできるかもしれません。いえ、もしかしたら、そのような一瞬の出逢いの場のみにおいてこそ、純化された心と心は人生の荒野を照らす美しい火花を打ち放つことができるのかもしれません。そして、その火花のきらめくような輝きによってこそ、それぞれの旅人はその命の炎の揺らめきと震えるような感動の高まりを大地深くに焼き付けることができるのかもしれません。生まれ来てたちまち去り行く短くもはかないその存在の唯ひとつの証として・・・・・・。
お互い何処からともなく風に乗って現れ、ありのままの風の心と風の心でおおらかに語り合い、しばしの時を共に歩み、やがて道の分岐を示す道標が見えてきたら心おきなく風に乗ってそれぞれの道へと別れ去っていく・・・・・・そんなささやかな出逢いと別れをできるかぎり大切にしたいものです。
茜日や馬上に凍る影法師 (芭蕉)
ある種の凄みをもつこの芭蕉の句は私の大好きな句の一つですが、そこには、この一度しかない生の旅路の行く手を冷静に見すえた者のみの知る、この上なく静寂な、それでいて激しく揺らぎ立つような命の躍動が凝縮されているように思われてなりません。修錬の足らぬ私のような身には芭蕉の境地はまだまだ遠いものではありますけれども、冬の旅路に見るような夕陽にどこまでも伸びゆく互いの影を背にした二つの黒い影法師となり、時を忘れて言葉のいらない心と心の会話をすることができるなら、それはそれで素敵なことには違いありません。
なにやらとりとめのないことを書き連ねてしまいましたが、ご挨拶を兼ねた今回の拙稿の結びとして、以前に旅先で詠んだ駄作のささやかな短歌を一首添えさせていただくことに致します。
果てしなき旅の行方をさりげなく 秘めて輝く青き大気よ
草々
本田成親 拝
(追啓) 次回からは、従来の「マセマティック放浪記」のように、また気ままな文章を綴らせていただくことに致します。ご愛読を賜れれば幸いです。