いま、八ヶ岳山麓・野辺山高原のJR駅近くにある南牧村美術民俗資料館で「二人の丘」写真展(10月14日まで)が開催されている。先日野辺山高原に出かけた折、たまたまそんな写真展が開かれていることを知って、ふらりとその会場を訪ねてみた。その写真展に足を運ぶ気になったのは、ひとつには同行していた北海道育ちの家内が昔からその著名な写真家父子、なかでも父親のほうの大ファンであったからだった。ある時北海道を訪れた東京八王子出身のその写真家は、十勝岳や大雪山を背景にした富良野から美瑛一帯の雄大な景観に圧倒された。そしてそれ以来、富良野や美瑛周辺の丘陵地帯や山岳風景をモチーフにした数々の感動的な写真作品を世に送り出すことになった。もう随分以前にたまたまその作品のいくつかを目にした家内は、たちまちその写真家の世界にすっかり魅了されてしまったようである。家内がそれらの作品群の中に見出だした風景は、まだ幼かった彼女の胸中深くに焼き刻まれた北の大地の原風景にほかならなかったからでもあろう。
それら二人の写真家とは、前田真三とその子息の前田晃のことである。数々の作品賞を受賞した前田真三はすでに他界しているが、彼は生前の1987年、地元の人々の協力を得て、北海道美瑛町拓進の小学校廃校跡地に写真ギャラリー「拓真館」を設立した。「拓真館」という館名は北海道開拓時代を偲ばせる「拓進」という一帯の地名と「真三」という自らの名前とを組み合わせてつけられたものらしい。ご存知の方も多かろうが、年間数万人もの来訪者のある拓真館には前田真三がライフワークとして取り組んできた「丘」の連作を主とした作品群が常設展示されている。しかも、年中無休で入館料は無料である。またいっぽう、前田真三の故郷である東京都八王子市上恩方町の夕焼小焼館2階には「前田真三写真ギャラリー」が常設されていて、この著名な写真家のさまざまな作品を目にすることができる。
現在、野辺山高原の南牧村美術民俗資料館で催されている「二人の丘」写真展では、いま述べた美瑛町の拓真館や八王子のギャラリー収蔵の作品群から特に抜粋された作品だけが展示されているようだ。息子の前田晃のほうは、助手として父真三の写真撮影の旅に同行するうちに自らも写真家としての道に開眼し、父親譲りの豊かな感性を生かした作品をものにするようになったらしい。もちろん、前田晃にもまた、父親と同じく富良野や美瑛一帯の四季折々の丘の風景をモチーフとした作品が多い。「二人の丘」写真展では、父子それぞれの持ち前とするアングルから写し撮られた丘や山々の見事な風景写真が二点ずつセットにして並べ展示されている。
一般的に言って、風景写真というものには一見したかぎりでは思わず見惚れてしまうほどに美しいものも少なくないが、たとえそのような作品であってもほとんどのものはしばらくすると見飽きてしまう。そのあたりが、たとえ写実的な作品ではあってもそのどこかに作者なりの心象風景や人生観などが凝縮されている絵画とはいささか異なるところである。しかしながら、「二人の丘」写真展に展示されている一連の作品群はそういった私の通念を払拭してくれるに十分なものだった。
たとえば「赤光麦畑」という作品は、緩やかな起伏をもつ広大な麦畑が折からの北の大地の夕日に赤々と染まったところを写し撮ったものである。夕日そのものは写っておらず、頂に一本の独立木の立つ麦畑の丘だけが鮮明な輪郭を浮かび上がらせ、息を呑むような赤光を放ちながら、見る者にその存在感を訴えかけている。画面の半分以上を占める背景の空にはどこか波瀾の明日を思わせるような積雲や積乱雲が湧き立ち流れ、雲の切れ間は神秘的な淡紫色に染まっている。夕日そのものを被写体から外し、まったくの黒子にしてしまったのも、この写真家ならではの感性と美観のなすところなのだろう。この写真の中には、悠久の大地の静かな息づかいと広大な天空の荒々しい息吹との織り成す対照の妙と、人間と自然とが互いに向き合いたゆみなく紡ぎつづけてきた時間の綾織(あやおり)とが見事に撮りおさめられている。換言すると、それは「写真」という名の一幅の「名絵画」なのである。
おなじく麦畑をテーマにした「麦秋多彩」、「麦秋鮮烈」、「残照麦畑」などの作品も、青・赤・黄・緑・茶などの鮮やかな色の帯からなる幻想的な麦畑の風景をものの見事に捉えている。その中には人間の姿こそ見当たらないが、それでいて日々の生活を着実に営む人間の介在を不思議なほどに感じさせる力強い写真である。また、展示されている写真の風景は秋のものだけにとどまらず、春夏秋冬すべての季節にわたっている。「菜の花の咲く牧場」という作品などは、空の青さ、ゆったりと浮かぶ白雲のたたずまい、そして、その下に広がる牧場に乱れ咲く菜の花、さらにはいまにも何かを語り出しそうなこんもりとした木立と、まるで童話か御伽噺(おとぎばなし)の世界の中の光景そのままの写真である。見ているだけで次から次に想像力が広がり、楽しくそして心安らぐことこのうえなかった。
「大雪山澄明」という作品では、青白く輝く雪原と純白に氷結した木立のむこうに雪化粧した針葉樹林帯が広がり、さらにその背後はるかなところに大雪山連峰が雄大な姿をくっきりと浮かび上がらせている。冬の北海道ではきわめて珍しい抜けるような青空のもと、大気はこのうえなく透明に澄み渡り、遠くに聳える大雪山連峰の細かく複雑に入り組んだ山襞(やまひだ)のひとつひとつが驚くほどはっきりと識別できる。全体が深雪に覆われているため、日の当たる部分が白く輝き、対照的に日陰の部分が青く沈み、しかもそれぞれが微妙な濃淡をなして見えるからなのだろう。さらによく目を凝らしてみると、ゆるやかに波打つ手前の雪原にはキタキツネかエゾジカのものと思われる足跡が点々と続いているのが見て取れた。めったには目にすることのできない北の大地の一瞬の静寂を見事に捉えた風景写真なのであるが、その作品の奥にさりげなく秘められているこの稀代の写真家の孤高な人生哲学や美学のほうが私はよりいっそう感銘深く思われもした。
十勝連峰を背景にして広がる富良野周辺の丘陵地の雪景色を写した作品にもすくなからず胸を打たれた。この幻想的な作品中にも雪中をどこまでも続くキタキツネの足跡があって、どこか無言の祈りにも似た深い命のメッセージをそれらがそっと訴えかけているように感じられてならなかった。また、雪原の雪粒がいたるところで宝石のようにきらきらと光り輝やいているありさまも実に印象的だった。ただ、それにもまして私の胸に強く激しく迫ってきたのは、雪原の向こうであくまで白くそして神々しく輝く十勝岳の雄姿だった。
もう二年あまり前のことになるが、私は長年親交あったひとりの友を失った。その友は幼い頃に日々この十勝岳を眺めながら育ち、他界したいまは、生前の彼がこよなく愛したその十勝岳の南山麓端に位置する南富良野幾寅の地に眠っている。彼の死に際し、私は、「十勝岳凛と輝く大地へと君は還りぬ絶唱のはて」という追悼歌をおくりその霊を弔ったものだった。作品中の十勝岳の威容にことさら感じ入ったのは、そのような事情もあってのことだったかもしれない。ちなみに述べておくと、「幾寅」は浅田次郎原作・高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」の舞台(映画中での地名は「幌舞」)となったところである。(註:よろしければ「人間ドラマの舞台」のバックナンバー中の「第7回・南富良野町幾寅」をご覧ください)
風景写真を単なる写真の領域に留めおかず、一流画家の絵画作品にも劣らぬ心象風景の段階にまで昇華させるには、対象とする風景のある地域で実際に暮らし、その地に生きる人々と深い心の交流を結ぶ必要がある。そのえで、一瞬のシャッターチャンスを求めながら重い撮影器材を担いで足繁く狙うスポットに通いづめ、酷寒や酷暑といった厳しい自然条件と戦いながらひたすら時を待ち続けるしかない。しかも、そこまでの努力を重ねてみたとしてもこれぞというシャッターチャンスがめぐってくることはめったにない。また、たとえ、千載一遇のチャンスに恵まれたとしても、カメラを手にする人物に、大自然とそこに息づく諸々の生命に対する畏敬の念や自然美の本質を鋭く洞察する真の審美眼、さらには眼前の風景を敏速かつ的確に捉える並外れた撮影技能などがそなわっていなければ、多くの人々の感動を呼ぶような写真など撮れはしない。
この日会場で目にした前田父子の写真作品群は、そのような厳しい条件のすべてを満たしていることがおのずと窺い知られるような素晴らしいものばかりだった。いくつかの写真には写真家自らが綴った心温まる解説文なども添付されており、また、会場には生前に前田真三が愛用した各種のカメラなども展示されていて、その意味でも実に感動的な写真展であった。しかも、その写真展を訪ねた時には会場内にいるのは我々夫婦の二人だけというなんとも贅沢なありさまでもあった。私と家内とがこのうえなく満ち足りた気分で会場をあとにしたことは言うまでもない。