続マセマティック放浪記

37. 愛媛県鬼北町で「雉酒」が発売に!

愛媛県鬼北町の新町長が上京するというので、港区にある「牡丹」という日本料理店に急遽出向いた。食文化の研究家でエッセイストとしても知られる本間千枝子さんと私とはかなり以前から鬼北町の食の大使を務めている。そんな我々二人に新町長の甲岡秀文さんが新町長就任の挨拶をしたいという甲岡秀文氏の意向をうけ、「牡丹」に出向いて老舗ならではの懐石料理に舌鼓を打ちながらの初の対面を行い、相互の交流を深めようということになったからだった。

この会合には三鷹市在住で以前から鬼北町(旧広見町)の雉プロジェクトの顧問を務め、雉酒用の雉エキス抽出技術の特許権所有者でもある三嶋洋さんも出席した。その経緯の詳細は省くけれども(註:詳しくは拙稿「マセマティック放浪記バックナンバー(工学図書、または南勢出版ホームページ収録)」の160回~161回をご参照ください)、この三嶋洋さんは、鬼北町はおろか愛媛県にも四国にも直接的には縁の無い本間千枝子さんと私とを鬼北町の食の大使にしてしまった張本人である。鬼北町側は甲岡新町長と入舩秀一地域振興課長の二人だけで、我々を含め総勢五人の顔合わせとなった。牡丹というこの日本料理店が対面の場に選ばれたのは、本間さんや三嶋さんがここの経営者や料理長と懇意であるのに加えて、いまでは鬼北町の名産のひとつとなった雉肉をこのお店が懐石料理などに用いるようになったからでもあった。

四万十川の支流広見川の源流域に位置する鬼北町がまだ広見町と呼ばれていた頃にはしばしば同町を訪ねたが、多忙なこともあって最近はあまり足を運んでいない。そのため、まずはこちらも「食の大使」の役割を十分には果たしていないことのお詫びをしながらの挨拶のやりとりとなった。牡丹の料理長が腕によりをかけたという十余種類ほどの懐石料理の品々はいずれも絶品で、それらの中には雉肉やその出汁のうまみなどをも巧みに取り入れた料理なども含まれていた。その美味に気を取られるあまり、初めのうちはしばし会話が途切れたりもする有り様だった。

ただ、本間さんも私もいまではそれなりの年齢になってしまっているから、その食欲にはおのずと限界がある。若い頃なら次々に出される料理に歓喜の声をあげながら箸をつけ、皿までも食らわんとばかりの食欲旺盛ぶりを発揮したことだろうが、今となってはもうそうもいかない。ついには、美味しいけれどもとてもすぐには食べきれないという状況に至り、雉の出汁を混ぜ配した珍味の雉蕎麦が出される頃には必然的に箸の動きも鈍くなった。もっとも、そのぶん、会話のほうにはどんどんと弾みがつき、悲喜交々の話題があれこれと飛び交い始めもした。

ところで、そこまで懐石料理のメニューが進むなかで登場したのが、なんとも芳醇な香りの雉酒だった。雉酒とは知る人ぞ知る古来の美酒だが、現代人には思いのほか馴染みがない。今もなお皇室などにはそのレシピが伝わっているとの話であるが、雉肉そのものを目にする機会がほとんどない昨今にあっては、それもまた当然のことだろう。町を挙げての雉の養育に取り組み、近年、雉肉の販売出荷で全国的に知られるようになった鬼北町では、もはや幻の存在にさえなりかけた雉酒の再現研究が進められたのだった。なにかと昔の文献をあさりながら雉酒研究に取り組み、見事その再現に成功したのがほかならぬ三嶋洋さんなのである。いっぽうまた、昔、父君が特別な形をした陶製の専用容器で雉酒を楽しんでおられた情景を想い出し、たまたまご実家に残っていたというその土瓶風の器を探し出し、三嶋さんの雉酒再現に一役買ったのは本間千枝子さんであった。

細かなことを言い出すときりがないが、本格的な雉酒なるものの味わいかたについてお知りになりたいという方のために、そのおおまかなところを述べておくことにしよう。

まずは鬼北町の道の駅「森の三角ぼうし」(TEL:0895-45-3751)に電話でもして冷凍雉一羽分を入手し、その胸肉や腿肉などに適量の薄塩をほどこし火で炙り焼く。そしてほどよく焼き上がったところで、熱燗にしてからこころもち冷ました酒の中にその雉肉をいっきに浸し、十分に雉肉のエキスが酒中に染み出すのを待つ。あとはおもむろにそれを口にするだけだ。人間にとっての必須アミノ酸のほとんどが含まれているという雉肉のエキスがふんだんに溶け出したお酒は、その馥郁とした香りばかりでなく味もコクも抜群で、しかも身体にもいいことこのうえない。もちろん、エキスを抽出したあとの雉肉も食べてみるとそれなりに旨いし、雉酒に用いた部分の残りは好みに合わせいろいろと調理してこれまた美味しく食べられる。骨からも最高の出し汁が得られるから言うことない。

ただ、いまだ生産量の少ない雉肉は一般の鶏肉などよりもかなり高価なものである。また、現実に雉肉を入手して自分でそれを調理し、お酒を燗して雉酒をつくるとなるとそれはそれで面倒なことである。そこで三嶋さんらは雉肉の旨み成分を含むエキスだけを効率的に抽出する特殊な技術を開発し、その特許を取得した。そして地元の酒造業者・梅錦山川酒造店(TEL:0896-58-1211)とタイアップし、その雉肉エキスを適度にお酒に調合した新酒を売り出すことになった。又、そのブランド名は鬼北町にちなんで(鬼北雉)となった。この貴酒とでも言うべき新ブランド酒はこの十月十七日に発売が開始されている。やはり鬼北町の道の駅「森の三角ぼうし」の売店などを通じて入手できるから、天下の酒道こそは我が命脈の支えと自負してやまない御仁には、この際是非ともその絶妙な味わいのほどを体感して頂きたい。それだけでは物足らないないから実際に自分で雉肉を入手し、本格的な雉酒の味をこころゆくまで楽しんでみたいという方々があれば、むろんそれは大歓迎である。そううまく事が運ぶようなら、「食の大使」としてはともかく、「食の小使」くらいの役割は私もなんとか果たせたことになり、少しは肩の荷がおりもするからだ。

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