きたる5月4日から9日にかけて、若狭在住の画家渡辺淳さんの絵画展が銀座兜屋画廊(中央区銀座8-8-1 電話:03-3571-6331)で催される。東京での渡辺さんの絵画展開催は実に9年ぶりのことである。渡辺さんと私との運命的もいうべき出遭いやそれに続く長年の親交のありさまについては、「マセマティック放浪記」や「続マセマティック放浪記」などにおいて幾度となく書き述べてきたので、いまさらあらためてお話しする必要もないだろう。
若狭の風物をこよなく愛し、80歳近い高齢になったいまも、地元の自然をテーマにした作品制作に日々黙々と挑む渡辺さんは、大都会において鳴り物入りの個展などを開いてもらうことを必ずしもこころよしとはしていない。水上勉文学作品70点ほどの装丁画のほか、各種小説の挿絵などを手がけたことからもわかるように、その絵の素晴らしさや実力のほどは衆人の認めるところなのだが、ご当人は至って謙虚で、「自分の絵はたいしたことはない」と公言して憚らない。謙遜しているというよりは、ほんとうにそう思っているふしがあるから、話はなんとも厄介なのである。
9年前、やはり銀座の大黒屋画廊で渡辺さんの個展が開催された時も、その企画に携わる発起人からの依頼を受け、かたくなに辞退する渡辺さんの説得にあたったのは私だった。その折の絵画展は朝日新聞などでも紹介され、結果的には盛況をきわめたのだが、渡辺さんご自身は終始冷静かつ謙虚そのものだった。それから9年が経った今年、私は銀座兜屋画廊主の小澤禮子さんから、同画廊で渡辺さんの個展を開きたいのだがという相談を受けた。そして、結局、また、仲介役を引き受ける羽目になってしまったのである。
いまから40年ほど前のこと、当時すでに高名を馳せていた作家・水上勉先生の突然の来訪を受け、先生の作品の装丁挿絵を依頼されたにもかかわらず、一度は真剣に断ったという逸話の持ち主の渡辺さんのことだから、到底一筋縄ではいかない。銀座の老舗画廊兜屋のオーナーが渡辺さんの絵画展の開催を望んでいる旨を伝えると、案の定、「そら、あかへんわ!・・・…ワシみたいな、えーかげんな絵描きの絵なんか出したら兜屋さんに迷惑かけるばっかりやがな・・・本田さんやて恥かくばっかりやど!」と、つれない返事が戻ってきた。ただ、まあ、こちらにすれば、とっくにそのくらいのことは想定ずみだったから、あの手この手で執拗に食い下がり、最後には渡辺さんを根負けさせて、有無を言わさず絵画展開催を内諾させることに成功した。
兜屋画廊にその旨を伝えてから数日後のこと、上質の和紙の巻紙に墨書された一通の手紙が渡辺さんから画廊主の小澤さんのもとに届いた。だが、なんとも驚いたことに、それは、「田舎画家の自分の作品展なんかを催したら兜屋さん側に恥をかかせるだけだから、この際やはり辞退したほうがよいと思う」という内容の手紙だった。すぐに小澤さんから電話をもらった私は、その日のうちにまた渡辺さんに電話を入れ、再度の説得に取りかかった。そして、「万一、兜屋画廊さんが恥をかくようなことがあったら、私が責任を取りますから……、場合によっては腹をも切りますから!」と半ば冗談交じりに決意のほどを伝え、ようやくのこと再承諾を得たのだった。
念には念をというわけで、去る3月11日、私は小澤さんを案内して若狭おおい町川上にある渡辺さんのアトリエ「山椒庵」に出向き、絵画展開催の最後の詰めをおこなった。また、その打ち合わせの中で、大きな号数の作品が主体だった9年前の大黒屋画廊の場合とは違って、今回の兜屋画廊での絵画展では、中・小の作品を中心にした展示をおこなおうということになった。
絵画展開催案内ハガキも出来上がったいまは、さすがに渡辺さんも観念したとみえ、あちこちの知人にその案内ハガキを送り始めたみたいである。ところが、どうやらそのうちの多くに、「本田さんにそそのかされて絵画展を開くことになりました」という主旨の一文が添え書きされているようなのである。心ならずも「そそのかし犯」にされてしまった私であるが、それはそれでおおいに光栄なことだと、いまはすっかり開き直ってしまっている。また、案内ハガキの「渡辺淳・兜屋画廊絵画展に寄せて」という一文は、切腹覚悟で私が執筆したものだから、「示唆」あるいは「甘言による勧誘」の罪を問われても仕方のないことではあるだろう。
今回は「うつむく」という作品も出展される。私がはじめて渡辺さんと廻り逢ったその日、アトリエ「山椒庵」に伺った際に一目見て衝撃を受けた作品のひとつである。渡辺さんがまだ十代の終わりだった頃に、工事現場から拾ってきたセメント袋の上に描いたという伝説的な作品で、端のほうにはネズミの齧ったあとがそのまま残っている。炭焼きをしながら赤貧の生活を送っていた当時の渡辺さんには、キャンバスや油絵具は言うに及ばず、ごく普通の図画用の紙さえも買う余裕がなかった。そんな状況の中で、頭を抱えて苦悶する若者(自画像)を描いたこの作品には鬼気迫るものがある。
そのほかに、水上勉作品「秋夜」の装丁用原画なども展示される。これもまた、初めて若州一滴文庫を訪ねた折に、竹人形館の二階で目にし瞬時にして釘付けになった感動的な作品だ。月下の佐分利川(おおい町)を描いた絵なのだが、おぼろな月光に照らされた川面や河畔の草木の一本いっぽんから、不可思議な霊気が立ち昇っているかのように感じられてならなかったものである。
案内ハガキを飾っている「あおい想いに」という作品は草叢を描いた絵であるが、その中に飛翔する一匹の白い蛾の姿がある。それは、山奥で絶望的なまでに孤独な炭焼き生活を送っていた青春の日々に、光を求めてランプに集まる蛾を友にし、それらの蛾と心の会話を交しさえしたという渡辺さんの「回想の世界」の象徴だと言ってもよい。生前の水上勉先生は、自然界のさまざまな生き物や草木の一本いっぽんの声をも聞き分けることのできる渡辺さんを、常々深く称えておられた。会場には、そんな水上先生の賛辞なども掲示される手筈になっている。
なお、渡辺淳さんの経歴をより詳しくお知りになりたいと思う方は、この南勢出版ホームページ収録されている拙作の一部、「夢想一途」のコーナーにアクセスしていただきたい。そこにある「佐分利谷の奇遇」という作品の中で、渡辺淳さんのドラマティックな人生についていろいろと述べさせてもらっている。