続マセマティック放浪記

18. 講演録「地方文化にいま一度誇りを!」(その3)

例えば、私は闇が好きです。かつてほんものの闇やほんものの星空の存在していた田舎で育ったせいでもあるのでしょう……。私は日本国中を旅をしますが、残念なことに、いまほんものの闇があるところはこの国にはほとんどありません。夜北アルプスなどの高山に登ってみても、下界のほうはボーッとですが明るく輝いて見えるのです。離島などに出向いてみましても、海岸には明るいライトがついていたりするものですから、昔見えたような満天の星空ももう見えませんね。夜光虫だって見えません。どこへ行ってもその調子なんですね。

真っ暗闇や薄暗がりはいけないもので、明るいことはよいことだという考え方は絶対的に正しいことではないと思うんですが、いまでは明るいことはなによりもよいことだとする考え方が国民の間に広く定着してしまっています。そのために、黄昏時の美しさに親しむとか、澄んだ月光の輝きに感動するとか、深夜の星々の煌きに心底魅せられるといったようなことがどんどんなくなってきています。文字通り「シーン」という音が聞こえてきそうな闇などには、鈍りがちな人間の五感というものをいま一度磨き甦らせてくれるはたらきがあるんですが、そういった闇の世界にひたることのできるような空間がすっかりなくなってしまいました。

そして、困ったことには、そういう空間がなくなってしまったことによって、ある年齢以上の方は大丈夫だとしても、若い人々の場合などは、雄大な自然に接してその美しさに感動したり、自然の妙に感銘したりする能力がどんどん減衰してしまっています。

過日もある雑誌の原稿執筆の取材をするために伊豆半島の突端に出向ききました。ほんとうの取材目的地はそこではなかったのですが、その取材のついでにふと思い立って、伊豆半島の突端の石廊崎に行ったんです。ご存知の方もあるかもしれませんが、石廊崎は太平洋側で水平線に沈む夕日が見える数少ない場所の一つなのです。

ところがですね、5時半頃に石廊崎の駐車場に着いたんですが、その入口のところに「当駐車場は5時半で閉鎖します」という注意書きがあるんですね。あれ、これはどういうことなのかなと思いながらも、仕方ないですから路上駐車をしまして、それから岬の突端へと向かったんです。驚いたことに、閑散としていてあたりには誰も人がいないんです。石廊崎は曲がりなりにも国立公園の一部ですよ。しかも、2月とはいえ日曜日のことでした。それなのに、私以外にはほんとうに誰もいないんですよ。素晴らしい夕日が眺められるというのに……。いったいどうしてなんでしょうか?――昔はそんなことなかったんですよ。私は子供たちがまだ小さかった頃、わざわざ彼らを夜間に石廊崎に連れていき、岬の先端や周辺の岩場を懐中電灯を頼りにして歩かせたり、多少は危険のともなうチャレンジングな体験をさせたりもしたものです。ですから、一人で綺麗な夕日を眺めながら、これは一体どういうことなのかと考え込んでしまいました。いくら2月だといっても石廊崎のあるあたりは寒さもそうひどくはないですし、しかも好天の日曜日のことなのですからもう少し訪ねる人があってもいいのではと思ったりもしました。でも、結局、私のほかには夕日を眺めにやってきた人は誰もありませんでした。

そもそも、公共の駐車場を5時半で閉鎖するということは、「石廊崎では夕日を見るのも星空を見るのもやめてください、夜は来ないようにしてください」と言っているようなものです。多分安全上の理由など、表向きにはそれなりの理由があるのでしょう。最近はなにかというと「安全第一」という言葉が出てくるんですが、実は自然に親しむという行為には――そう、まさに、こういうときにこそ「自己責任」という言葉を使うべきだと思うんですが(笑)――ある程度の自己責任、すなわち自己リスクがともなうものなのです。自己リスクを承知で自然を探求する能力というものは、幼少時に形成されるものでしょう。そのときにふと思ったんです。これは、結局、都会暮らしをしながら子育てをしている現在の青年中年層自体が、私のような年齢層の人間と違って、適切に自然というものに接する能力をすくなからず欠くようになってしまったことによるものなのではないかと……。

それまではそんなことを深く考えてみなかったんですが、この体験をして以降は、言葉の場合と同様に、自然観というものの形成にも幼児期の刷り込み作用が大きく影響するのではないかと思うようになりました。人間というものは、幼児期における母親や家族との関係を通して悲しみというのはこういうものだ、喜びというのはこういうものだといったように、言葉の意味を内的に刷り込まれていくわけですから、幼少時におけるスキンシップは大事なわけですよね。それと同様に、自然を楽しむ能力を培うためにも、ある種の学習や刷り込み過程が必要なんじゃないかと思ったんです。そのようなプロセスが欠落してしまったら、ある年齢に達してから大自然に触れる機会があったとしても感動なんかできそうにもない。都会育ちの人の場合はとくに、そういう風になっていく危険性があるんじゃないかと思うようになりました。

素晴らしい自然が残る北海道などのように、それぞれの地域に固有な文化、なかでも豊かな自然環境の残っているようなところでは、何とかしてその環境とそこに息づく文化を守り、それらの自然や文化に心底感動できるような感性をもつ人材を育成する方策をいまから講じておかないとなりません。そうでなければ、ほんとうに手遅れになってしまい、日本の文化は形骸化してしまうことになるでしょう。

先ほどもご紹介がありましたように、私は、自分本来の専門分野とは直接関係のある学部や学科などまったくない東京芸術大学の大学院でも教鞭を執った経験があります。芸大には別に芸術関係の教科を教えにいっていたわけではないのです。もともとは、数学や物理といった論理的な学問やコンピューターサイエンスのような先端科学の根源的な領域、さらには西欧科学の根幹的なところなどをなるべく日常言語を用いて大学院生に講義をしてくれないかという依頼を受けて出向くことになったのです。その講義を通じて得た知識をもとに、学生らがヨーロッパの論理的な思考を背景にもつ芸術作品の意図を読み解いたり、得られた知見を将来の創作活動のヒントにするようなことになれば有り難いという話になりまして……、いっぽう、私のほうも、芸大のようなところで講義するのはそれなりに勉強になるかと思い、芸大に関わるようになったんです。

そうこうするうちに、あれっ、と思うようにもなったんです。確かに今の芸大生たちは、色使いにしろデッサン力にしろ技法的には高いレベルの力量を持っています。ところが、まさに木田金次郎さんがおっしゃっておられるように、表現技術はあるけれどそこから先がいまひとつなんですね。最終的には人間性の問題になるわけですから……。一人ひとりの学生が人生の中に何を見出し、自分がどういう人生哲学やどういう感動を抱きながら生きていくかということが重要になってきますよね。ところが、昨今の学生はそのような点では意外と子供なんですよね。これはちょっと問題だなと感じまして、彼ら相手にその辺のことを深く考えてみたり、自分のこれまでの人生のプロセスを語ってみたりと、当初の枠を超えたいささか奇妙な講義をやるようになったんです。

あるとき、教え子の院生のなかの一人が草履を編んでいるのを目にして、「僕も簡単な草履くらいだったら編めるよ」というと、彼らは「ええっ?」って驚いた顔をするんですよね(笑)。そこで、草履の編み方ばかりでなく、肥やしの作り方とか、種の蒔き方とか、漁労の実態とかいった様々な話をしてやると、「先生、いったいそんなことをどこで?」って不思議そうに問いかけてくるんです。私にすれば、「そういうことをする生活の場で育っただけなんだよ」と答えるしかないのですが……、また実際そうなんですけれどね。

これは芸大の学生ではなく、それ以前に関わっていた大学の学生らについての想い出話なんですがね。時間がある時などには、学生らをわざと夜中に磯辺に連れて行って歩かせたりもしました。ある夏などはゼミと称して彼らを伊豆に連れて行き、岩場で連中を泳がせてみようと画策したんですよ(笑)。「お前ら、岩場で泳ぐんだったら、浮き袋を持っていったほうがいいんじゃないか?」というと、「えーっ、冗談じゃないですよ」って一斉に返事が戻ってきたわけです。

「そもそも先生って泳げるんですか?」っていう奴もいましたっけ(笑)。それで実際にフジツボやイワガキ、海草だらけの岩場に連れて行って泳がせようとしたわけなんです。こちらは子供の頃からそんなところで泳いだり遊んだりしてきているんですが、彼らのほとんどはそうじゃないですから、岩場を素足でうまく歩くことさえもできないんです。ましてや、そんな岩場の海中で泳いだことなどないわけですから、いきおい身体のあちこちを引っかけて傷つけたりしてしまうわけです。でもそういう体験をむりやりさせることによって、彼らなりに何となく感じたり得たりするものはあるみたいでしたね。ともかく、たまにはそういう馬鹿なこともやってきたわけなんですよ。

中身のないハリボテ的な中央文化の価値観が一方的に地方に波及していることの弊害でもあるのでしょうが、自然に対する接し方の憂えるべき現状は何とかして改めていかなければなりません。多分、伊豆半島の話などを持ち出してみまして、いまではほとんどの親たちが、「あんな所にいって綺麗な夕焼け空や月光に輝く美しい海面を眺めさせるよりは、いい中学校やいい高校に受かるために塾に行ってお勉強してもらったほうがましじゃないでしょうか」と言うでしょうね。もちろん、バランスのとれた教育をおこなっている私塾もたくさんありますし、学科の授業もしっかりしており、自然観の育成にも十分な配慮をしている学校もありますけれど、そういうところはきわめて例外的な存在ですね。

すでに述べましたように私は数学を研究してきた人間ですが、私みたいなささやかな能力の持ち主でも数学の専門家としてある程度やってこられた背景には、辺鄙な田舎で育ったおかげで根源的なものに目を向ける習慣、いうなれば「原理思考」をする方法を身につけていたからだろうと思います。例えば、私はウナギ釣りの名人なんですが……(笑)。それも、ウナギの穴釣りというやつですが、それを子供の頃からやっていたわけで……、獲物の一部は自宅の食卓にものぼりましたが、もともとは小遣い銭稼ぎが目的だったんですけれどね。まずウナギの生態をじっくりと観察したうえで、川の深さとか、水量水質とか、ウナギの隠れていそうな穴だとか、どの時期にはどんな餌を使うべきだとか、仕掛にどんな工夫をするだとか、いろいろなことを総合的に考えるんです。数多く仕掛けをしたときなどには、どういう順番で仕掛を回収するのがベストだとかいったようなことも考えました。釣ったウナギを近所の木賃宿にもっていって1匹5円とか10円とかで買い上げてもらって、そのうちのいくらでお菓子を買い、残りのいくらで釣り針や釣り糸と買って設備投資をはかるとか(笑)……、まあそういった算段をしていたわけです。でもいま考えてみますと、結構凄いことをやっていたわけですよね(笑)。学校の勉強そのものは都会の人たちに比べるとひどく遅れていたわけですけれども、へんなところではずいぶんと進んでいたんですね……(笑)。

いま私は星についての本をあれこれと書いてもいますが、当時の私は、どの星がペテルギウスでどの星がリゲルだとか、どの星が何等星であるかなんていうことはぜんぜん知りませんでした。同年齢の都会の子供たちはそういうことは実によく知っていた訳ですね。ただ、田舎暮らしの私は、夜空の星の綺麗なこととか、星々がどんなふうに動くかなどということはよく知っていました。月の形や動きを見て干潮満潮の時刻やその様子を判断することもできました。貝井さんなどはその道のプロでいらっしゃるのですが、出た月の形を一目見ますとね、今日は何時ごろ潮が満ちて、また大潮なのか小潮なのか、その潮の程度はどのくらいなのかすぐにわかるんですよね。

こまごました高度な科学的知識などはまったく学んでいなかったんですが、実生活にそくした具体的な思考や知恵は懸命にはたらかせていた訳です。もちろん、いわゆる受験的な知識という点からすればひどく遅れていたわけですから、その時点で都会の人たちと同じレベルの入学試験なんか受けたとしたら惨々な結果になっただろうことは間違いありませんね。そういう想い出なんかもあるものですから、あらためて地方文化や地方での生活のもつ重要な意味をもっと深く考えていかなければならないと思うんです。最近はいろいろな場でそのようなことを訴えかけるようにもしています。

(岩内地方文化センターにて 講演:本田成親)その4に続く

カテゴリー 続マセマティック放浪記. Bookmark the permalink.