続マセマティック放浪記

19. 講演録「地方文化にいま一度誇りを!」(その4)

さきほどご紹介がありましたように、私は朝日新聞のウエッブ上の水曜欄に、石田達夫という人物を題材にして「ある奇人の生涯」という伝記小説を書いております(この連載はすでに終了しました。そのバックナンバーはこの南勢出版および工学図書のホームページに収録保管されています)。ようやく前半を書き終えまして、1ヶ月休筆したあと5月からまた後半の連載を開始しますが、東京や大連、上海が舞台だった前半と違って、後半では戦後のイギリスが主な舞台となります。この石田達夫という人物の人生は奇想天外そのものでした。彼はその人生において46回も職業を変えたんですが、社会の底辺に属する職業から社会の上位に属する職業までを幅広く体験しました。BBC極東総支配人のジョン・モリスと回り逢ったのがきっかけでBBC放送日本語部に招聘され、戦後では初めての民間日本人としてロンドンに渡ります。そして、6年間にわたってBBC放送のアナウンサーや放送記者を務めるかたわら、その間にロンドンを訪れた湯川秀樹(物理学者:1907-1981)、市川房枝(婦人運動家:1893-1981)、宮城道雄(筝曲家:1894-1956)、さらには当時皇太子だった現天皇などのような錚々たる人々を案内してまわりました。当時はまだ英国の日本大使館がしっかりし機能していなかったものですから、彼をはじめとするBBC日本語部スタッフがそんな人物たちのガイドを務めたりもしたのです。そんな経験を積んだあとで日本に帰国し、その後はほとんど社会の表には出ず、ゴースト翻訳者として有名な先生方の仕事の代行をしたりしました。大久保康雄氏や加島祥造氏(英米文学者・詩人・画家:1923~)などの翻訳の仕事も手伝ったのだそうで、手掛けた出版物は80冊位にのぼったようです。「僕は二流の一流にはなれても一流にはなれないし、また、たとえなれるとしても、一流なんかにはなりたくない」とうそぶく、そういう人物だったんですが、いまその人物の伝記小説の後半を書いているんです。

その石田氏がですね、「日本人はカントリークラブをゴルフ場だと勘違いしているんだけど、とんでもないと僕はいつも内心腹を立ててるんだよ」と言ってました。イギリスのカントリークラブというのは……、実際には貴族などがそういうクラブハウスを持っていることが多いのだそうですが……、そこは地方文化の集積点なんだとそうなのです。もちろんゴルフ場もあるけれど、それはカントリークラブのごく一部の施設であるにすぎない。カントリークラブにはその地域のいろいろな文化が集まり、やがてそこに地域文化の中核ができ、そこで生まれ育った上質の文化がだんだんとロンドンのような大都市に攻め上って、最後には英国中を席捲するようになるというのです。「質的には中央よりも地方文化のほうがはるかに上なんだよ。そしてその文化の中核になっているのがカントリークラブなんだよ。この頃の日本はまったく逆だよね。何となく訳がわからないものを中央でつくって地方に広めてくるだけでね。ほんとうの意味でのカントリークラブというものは地域文化の総合的拠点で、ゴルフ場なんかじゃないんだよ。日本人は皆勘違いしているけど、とんでもない話だよ」と彼は怒ってました。実際その通りだと思うんですよね。

イギリスと日本とは違うにしても、私たちはもっと自分たちの村や町というものを見直し、その文化に大いに誇りを持つようにしなければならないと思うんです。何度も申し上げますが、日本の筋肉をもうちょっと大事にしないといけませんよ。確かに一つ一つの筋肉というものはあまり目立ちはしません。ですが、実際に多くの筋肉が集まって人体全体が形成されるように、地方文化という多様な筋肉が集まって初めて日本の文化なるものができている訳ですね。そこのところをまずは絶対に忘れないようにしなければならないと思います。

この岩内もほんとうに素晴らしいところだと感じましたが、国内を旅してみると、幾つかそういうところはございますね。たとえば長野県の小布施、ここは葛飾北斎が晩年の一時期を過ごした場所で、北斎の作品多数収蔵している記念館などがありますが、ここは一つの理念をベースにした町づくりをやってまして、独自の知的な発展を志向しているところです。強烈な個性をもつ地元の有志の方々が先頭に立ってリーダーシップを発揮し、試行錯誤の末にああいう風になったのだろうと思います。

それから、渡辺さん貝井さんのお二人がお住まいになっておられます若狭、これもある意味ではほんとうに不思議なところです。若狭は原発銀座なんていわれるところですから、善い意味でも悪い意味でも最先端技術が存在している訳ですね。国道を挟んで山手側には明通寺をはじめとする様々な古刹や旧宿場町などに代表されるような古い伝統文化があり、海側には現代技術の産物ともいうべき原発があるんですね。貝井さんのお仕事場は原発のある地域のさらに向こうに広がる海というわけなんですが、それはともかくとしましても、若狭は新旧二つの文化がせめぎあっている空間なんですよ。

若狭にはもう何度となく出向いておりますが、そこには地方によくありがちな閉鎖性や偏狭さのようなものはまったくありません。ある種の良質な文化的風土が、換言するなら、外からその地に入ってくる者を心から温かく迎え入れてくれる土壌が、お二方がお住まいの若狭にはあるんですね。もちろん地方によってはよそ者を排除するところもあり、それはそれで一つの文化であり哲学ですからある程度やむを得ないことだとは思うんです。ですが、若狭というところは古い文化を持っていながらも、まったく風土の異なるところからやって来る人々をほんとうに温かく受け入れてくれるわけで、その結果、そこに住み着くようになる人もずいぶんと多いのです。さらに、そういう人々が地元の人と一緒になって伝統文化を守ったり、地元にはない新たな文化の血を注ぎ込んだりするということもやっているんですよね。渡辺さんがよくお描きになる名田庄村(現在の大飯町名田庄)などはその典型といえるかもしれません。そういう意味でも若狭というのは素晴らしいところですので、まだその地を訪ねたことのない方は、是非一度お訪ねて頂きたいものだと思います。

それから、私はいま、四国の広見町(現在の愛媛県鬼北町)というところの「食の大使」という妙な役柄を、本間千枝子さんという料理研究で有名な先生と二人で務めています。ひょんなことで広見町の探訪記を書くことになったんですが、それが契機となってその町を全国にアピールするためのお手伝いをするようになったのです。

実際に広見町に出向いて取材していくうちに、そこの町長と新人を含めた役場の職員、さらには一般住民が皆同等の立場で一生懸命に町の将来を考えていこうとしているんだということがよくわかるようになったんですよ。新人の若い女の子が平気で町長に向かって言いたいことを言える雰囲気があるんですね。町長自身も「私はもともと百姓でございまして」と自ら言い出すような方でして……。そしてもう一つ、いったんは大都市に出て有名な大会社や研究所などで働きながらも、そのうちに都会生活が嫌になって帰郷した方々がいて、そんな人々が町づくりの中核になっているんですね。彼らは相手が県庁の偉い役人だろうがなんだろうが平気でモノを言い、時によってはチャンバラをやったりするんですね。そういった様子を目の当りにするうちに、この町は面白いからなんとかお手伝いしてみようと考えるようになりましてね。そんなわけで「食の大使」なる任務を引き受け、同町の物産の宣伝をやったりもしているんです。四万十川の支流の源流域にある町なんですが……。

この岩内の場合などは、大火があって貴重な文化財の数々が焼失してしまったのだと伺っておりますが、それでもそんな悲惨な状況の中から立ち上がって、立派ないくつもの美術館や郷土館のようなものが建立され今日に至っているわけです。そのことは、ひとえに、この岩内の地にたいへん見識のある方々が多数お住まいであられるからに相違ありません。一つの町のもつ風土や品格というものは、そこに住んでおられる方々の精神性や思想性が如何なるものであるかをおのずから物語るものでございますから……。

木田金次郎という方も、おそらくはそういうこの地の土壌の中でお育ちになったのでしょうが、そういう意味でも、この岩内みたいなところにお住まいの方々は、その文化の優れたところをもっと力強く全国に向けて発信していただきたいものだと思うのです。常々、私自身もそう思い続けてきましたし、また、木田金次郎画伯の作品を拝見しますにつけてもそう考えるのでありますが、中央に出なければものを学ぶことができないというのは一つの幻想にすぎません。むろん中央には中央のよさもありますけれど、どこからでも情報の入手が可能なこの時代にはとくに、真剣にものごとの本質をじっと見据える態度さえそなえておれば、たとえ地方に住んでいても、都会の人間なんかすぐに追い抜き、都会人には不可能なことを成し遂げたりもできるのです。都会の人間なんて慌しいだけで、日々時間に追われてばかりいます。国の中心である都会に住んでいるプライドだけをもって、例えば企業の方であれば本社勤めをしているんだという誇りだけを生き甲斐に頑張っている訳ですが(笑)、「では、実際にそうすることに何の意義があるのですか?」といざ問われてみると、確信をもってこれがそうだと答えることのできるようなものは何も持ち合わせてないんですよ。

それに比べると、じっくり地方に腰を据えて何事かをきっちりと見据えている方々には、やっぱり底知れぬ迫力や存在感があるものです。この岩内の皆様との素晴らしい出会いもそうなんですが、私は旅をしながらそんな方々との出会いを極力大切にするようにしています。そういう意味からしましても、この岩内の地には、文化的な活動の核になって地域発展のために熱意をもって頑張ろうという方々がずいぶんといらっしゃるようですから、ほんとうに有り難くもあり、また幸いなことでもあると存じます。やはりそういう方々の尽力がないとうまくことは運びません。一定レベルまで地域文化の核が形成されるまでは音頭をとる有志の方々の存在が不可欠で、それに一般住民の皆さんが協力なさることによって、初めてその地域の文化が輝きを増していくのだと思います。渡辺さんに縁の深い一時期の「若州一滴文庫」なども、そういったプロセスを経てはじめてその存在が全国的にクローズアップされるようになったのでしょうから……。

ところで、いま、あちらにお座りの渡辺さんと貝井さんのお二人は、木田金次郎美術館の開館10周年記念行事にまさにふさわしいお二人なんです。さきほど私は、朝日新聞のある編集者から「動く国土地理院」などというニックネームをつけられたと申し上げましたが、ちょっとその言い回しを借用しますと、このお二人はまさに「動く地方文化」そのものであられるんですね、ほんとに……(笑)。

渡辺さんのほうは、若狭の山間集落――現在はかなり開けてきているんですが――にじっと視点を据えながら画業に励んでこられました。私と初めて出会ったときなどは「僕は画家なんかじゃないよ」とおっしゃっておられましたが、ご本人が本業は画家ではないとおっしゃるとしても、外から見るとそれはもう凄い画家でいらっしゃるんですよね。貝井さんは貝井さんで自分は漁師であるとおっしゃっている訳です。確かに現役の漁師ではあられるわけですが、その作品はプロの画家の作品以外の何物でもないんです。

ちょっと話を戻しますとね、芸大というところに時々講義に出向いていた関係で、いろいろな先生方から個展の招待状が届きますので、時間のあるかぎり見に行くんですが、なにかこう、激しく胸の奥から突き上げてくるような感動とか衝撃とかいったものを受ける作品って正直なところ少ないんですよ。

その点、お二人の絵はまったく違うんですね。だから私は芸大の先生方には申し訳ないと思ったんですけど、よく学生らに、「若狭に行ってみたら?」とけしかけたりもしました。下手にこんなことを言ったりすると忌み嫌われてしまうんですけどね(笑)。とくに日本の美術教育のメッカを自負する芸大のことですから、そこの教授たちの多くは、地域の生活や文化に密着した環境下で生み出された作品というものを、たとえ内心では凄いと思っても素直には評価してくれませんでしょうね。正直言ってそういうところはあるんですね。

でも、このお二人を含めて、地方にありながら、真に地に足の着いた表現活動をなさっている方というものは、そんなことには無関係で黙々と作品を制作しておられる。そしてそれが刻々と流れる時間の中でやがて凄いものになって人々に感動を与えるわけですね。

しかも、いっぱしのもの書きである私から見ましても、優れた画家の方々には、つくづく感心するほどに素晴らしい文章を書かれる人が少なくないんですね。文筆を本業とする人間というものは、ちょっと格好つけたりしながら、一ひねりも二ひねりもした表現をしようとしたりするものですから、どうしてもそこに技法的なものが入り込んでしまいます。画家の方がさらっと書かれる文章というのは、ものの本質を鋭く見抜いて、それをスパッと簡潔に文章化なさるので、人の心をストレートに打つ感動的な文章になることが多いんですね。いろいろな画家の方々の文章を拝見するにつけても、よくそのようなことを感じます。その意味では渡辺さんの文章も実に素敵ですし、貝井さんの文章もほんとうに素晴らしいんです。貝井さんのほうは魚のことをお書きですけどね。

どのような表現形態であっても、ある対象を表現する場合にはその本質を見抜くことが基本となります。もちろん、画家の方というのは対象物の奥底を直観的に見透す能力をお持ちですから、無駄のない表現でその真髄に迫ることができるという訳なんですね。

しかもですよ、このお二人、なかでも渡辺さんなどは、初めて油絵の具を買った時に油絵の具の使い方がわからなかったという方なんですよ(笑)。ただ、そのまんま溶かさないで絵を描こうとなさったとか……。それが油絵制作の出発点だったというんですから、ほんとうに凄いですよね。

そんなわけですから、このお二人などは、画家である以前に実質的な地域生活者であるということですね。芸大でもですね、もう亡くなったんですが、ひとり素晴らしい鍛金の教授がいらっしゃいました。伊藤廣利先生とおっしゃられたのですが、学生たちの信望もたいへん厚かった方で、平成天皇の即位儀式の御物などもお造りになったりしたのですが、常々、「本田先生、僕はただの鍛冶屋なんだよ」って言っておられました。そして「今の学生はすぐに芸術作品を作りたがる。鍛金で実用生活に必要な道具もまともに造れないのに、なにが芸術家だ!」と厳しいことを述べてもおられました。実生活に深く根差した精神を作品に注ぎ込むのでないと本物の作品は生まれてこないということがわかっておられる方は、もちろん芸大にもいらっしゃるわけで……。実際、芸大教授の中でも真にすぐれた方々というのは、共通してそんな一面を持っておられるようなんです。

(岩内地方文化センターにて 講演:本田成親)その5に続く

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