続マセマティック放浪記

30. SPring-8探訪記・その一

定期的に執筆を依頼されている月刊誌の編集部から、SPring-8についての原稿を書いて欲しいとの依頼があった。もともと、SPring-8について書いてみたらどうだろうかと提案していたのは私のほうだったので、その要請自体に異存はなかったのだが、なにせ、閉め切り日まで一週間しか残されていない時点での急な話だったのでいささか戸惑ってしまった。世界最先端の放射光研究施設として知られるSPring-8(Super Photon ring-8GeV)は兵庫県佐用郡佐用町にある。先方に連絡を取って取材日程を調整し、東京から往復するとなると実質的な原稿執筆に当てることのできる時間は限られてしまう。

急遽思い立ってSPring-8で専門研究に従事している理化学研究所の播磨研究所放射光科学研究センター主任研究員・高田昌樹博士の研究室に電話した。高田さんとは、昨年五月岡崎コンファレンスセンターで開催された日本学術会議に私が講師の一人として招聘された際、その懇親会で親しい間柄になった。電話に対応してくれた研究室の方によると、運良く高田さんはワーク・ショップのために上京中で、SPring-8に戻るのは二・三日後であるという。そこで直ちに携帯とメールで連絡を取り、翌日に丸の内の新日本ビル内にある理化学研究所連絡事務所でお会いすることになった。場所柄やオフィス名からするとえらく堅そうな印象を受けたのでおずおずと足を運んだが、実際にオフィスの中に入ってみるとどこか雑然とした庶民的な雰囲気なども漂っていて、いい加減な私などは正直ほっとしたようなわけだった。

待っていてくださった高田さんからSPring-8の概要について簡単なレクチャーを受け、さらには高田さんが関心を持ち現在研究を進めておられるテーマに関するお話を伺った。私が一応は数学ジャンルの専門家であることを事前にご考慮くださってのことだったのだろう、各種のデータを処理したグラフ類のほか、関数パソコン画面に物理学がらみの微分方程式やフーリエ変換などの事例もふんだんに提示しながらのなんとも興味深いブリーフィングであった。

ただ、問題だったのはその日の私のコンディションのほうであった。実を言うと、その四日ほど前から公私さまざまな仕事の処理で毎日の睡眠時間四~五時間ほどの生活が続いていた。当日も四時間弱の睡眠をとったあと早起きして自宅のある府中から丸の内まで駈けつけたので、いささか頭が朦朧としていた。だから、高田さんの説明を聞いているうちに一瞬ひどい眠気に襲われ、思わずこっくりをしそうにさえなってしまった。

幸いと言うべきか、実にいいタイミングでその窮地を救ってくれたのは、高田さんの操作するパソコン画面に浮かび上がった藤原紀香の画像だった。むろん、いま離婚騒動の渦中にあるあの女優である。高田さんは、にこやかに微笑む彼女の画像データをフーリエ変換で処理したのだという、元の画像とは似ても似つかない無機質な点や線からなる奇妙な集合体の映像を提示し、続いて無味乾燥な変換後のそのデータから紀香のチャーミングな姿を復元して見せてくれた。お蔭で私の眠気はいっきに吹っ飛んでしまった。

それは高田さんが専門とするX線回折光処理技術に関するデモンストレーション用の洒落た画像ソフトであった。高田さんは自分の専門研究を紹介する公的な場でこのデモンストレーションを行いたいと思い、藤原紀香の所属事務所に画像の使用許可を求めたという。だが、結局、断られてしまったので、ごく内輪の関係者だけに見てもらうようにしているだけなのだそうである。

SPring-8について二時間弱のガイダンスを受けたあと、高田さんから、「よかったら明朝新幹線で一緒に東京を発ち、SPring-8に向かいませんか。そののほうがいろいろと便宜を図って差し上げられると思うのですが……」との誘いを受けた。急な話でいささか戸惑いもしたが、落ち着いて考えてみると、文字通り「渡りに舟」そのままの話である。またとないこのチャンスを逃す手はないと思いなおし、その場で翌朝のSPring-8行きを決断した。

翌朝は午前七時半に東京駅で高田さんと待ち合わせ、新幹線に乗った。遠近を問わず車で走り回る習性のあるこの身にすれば新幹線乗車は久しぶりのことであったが、たまにはそれもいいものである。はじめのうちはボーッと車窓から外の風景を眺めていたが、しばらくすると、前日に続いて高田さんのレクチャーを受ける運びになった。一流の研究者というものはさすがに奥が深いし、たいていの場合はその話の内容も解かりやすい。とっておきの映像を次々にパソコンの画面で提示しながらの高田さんの話に夢中で耳を傾けるうちに、列車は姫路駅に到着した。白鷺城の異称で知られる天下の名城・姫路城が遠くから微笑みかけるようにして我々を迎えてくれた。

姫路で列車を乗り換え、そこからさらに西にしばらく進み、山陽新幹線相生駅で下車した。そこからは駅の駐車場にとめてあった高田さんの車に乗せてもらいSPring-8に向かうことになった。ほどなく車は町並みを離れて山間部へと向かい始めた。
「このあたりは近頃随分と鹿が出るんです。車にハネられるものも少なくないみたいなんです」という高田さんの言葉には、周辺の様子からしても頷けるものがあった。SPring-8の所在地は「兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1」となっている。「光都」というその風変わりな地名は、もちろん大型放射光施設SPring-8に由来しているに違いない。裏を返せば、その地名の場所には一九九七年に完成し稼働し始めたSPring-8とその関連施設しか存在していないということなのだろう。

相生駅から北に三十分前後走ったところで急に平地が開けてきた。あたりを見回すと斬新なデザインのビルや各種のオブジェが建っている。もちろんそこが光都、すなわちSPring-8の所在する場所であった。高田さんによると、この光都一帯の諸施設や諸オブジェ、さらにはそれらを繋ぐ各種道路の建設に際しては、それらの全体的なデザインを建築家の安藤忠雄氏に依託し、機能美を考慮した総合的な観点からの研究都市造りが行われたのだという。またこの地が光都に選ばれた最大の理由は、各種の震動にも耐え得る強固で安定した巨大岩盤が同地一帯に広がっているのに加え、都市部とは異なり人工的な震動にも無縁な場所だからであるということだった。超高周波の放射光を扱うSPring-8の研究システムはミクロン(千分の一ミリメートル)レベルの上下・左右方向の微震動によっても大きな影響を受けるからなのだそうである。

前方左手にSPring-8の入口を示す標識が現われた。高田さんの運転する車はそこで左折し、ゲートを通過してSPring-8の構内に入った。東京駅から約五時間の旅路だった。

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