続マセマティック放浪記

13. 若狭駈足探訪記・その5 – 若州一滴文庫

若州一滴文庫の駐車場に到着したのは五時少し前くらいだった。作家の水上勉先生の私財をもとに創立維持されてきた一滴文庫も、いまでは大飯町のNPO法人組織「一滴の里」によって運営されるようになっている。駐車場に入った車が止まるか止まらぬかのうちに、一滴文庫事務局長の中野雄さん以下四人ほとの職員の方々が姿を見せ、我々一行を取り巻くようにして出迎えてくださった。あらかじめ電話を入れ、到着は閉館直前になりそうだと伝えはしておいたのだが、まさかこんな丁重なお出迎えを受けることになるなどとは思ってもいなかったので、我々のほうは誰もが妙に照れたり恐縮したりする有り様だった。

仲間たち七人には先に入館してもらい、私だけは入口脇の管理事務所前で旧知の中野さんとしばし話し込んだ。そして、こちらの勝手な都合で予定よりずいぶんと遅れてしまったにもかかわらず、わざわざ閉館時間を延ばしまでして温かく迎えてくださったことに心からのお礼を述べた。この中野雄さん、実を言うとなかなかの文章家である。折々発行される一滴文庫の会員誌上で筆を執っておられるが、その文章は情感豊かであると同時にきわめて理知的でもあって、読む者をすくなからず唸らせる。もともとは某一流企業のきわめて有能な社員として辣腕を揮っておられたが、達観するところがあって高給厚遇のポストを自ら捨てて退社、まるで隠棲するかのようにこの若狭の和田浜近くに独り移り住んだ。そして、いまではこの若州一滴文庫で諸々の運営上の難題を一手に背負いながら、薄給をものともせず働いておられるというわけだった。眼鏡の奥に宿る柔和な瞳の輝きの奥に、はっとするような鋭い眼光が秘められているのに気づく来訪者は少ないのかもしれないが、この人が隠れた人物であることは疑うべくもない。話してみるとよくわかるが、その的確な言葉遣いやその切れ味、話題の深め方などはいずれをとっても常人離れしたところがあるのだ。

中野さんとの話が一段落したあとで私も仲間たちのあとを追いかけた。一滴文庫は本館、人形館、車椅子劇場、萱葺き屋、六角堂、それにすこし離れたところにある陶芸工房と竹紙工房とからなっている。もう閉館時間の五時を過ぎていたが、中野さんの特別な配慮で駈足状態ながら一通り施設を見学させてもらうことにした。仲間たちは本館で水上勉先生の生前のビデオを見たり、生前の水上先生に縁のあった著名な画家や書家たちの展示作品を思いおもいに鑑賞したりしていた。

本館の玄関を入ってすぐ右手の部屋は図書閲覧室兼書庫になっていて、そこには生前に水上先生が自ら求められた東西古今の書籍や諸々の作家たちからの贈呈本などが何万冊も収められている。来訪者がそれらを自由に閲覧できるようになっているこの部屋こそは、現在では広大な施設になっている一滴文庫の原点となったところにほかならない。本館には、そのほか、地元大飯町在住の画家で数々の水上文学の挿絵や装丁画を担当し、私とも個人的に親交のある渡辺淳さんの油絵作品や各種装丁原画類、かつて美山町にお住まいで文化勲章受賞者でもあった故秋野不矩さんの装丁原画類、おなじく水上文学の挿絵や装丁画を担当した司修、斎藤真一、須田剋太といった名高い画家たちの作品などが所狭しと展示されている。

また、最上階の展示室には、水上作品の原稿類の一部のほか、水上先生の各種文学賞の受賞記念品、先生と交流のあった作家や画家たちの書簡類などが展示されている。さらに、最奥の小部屋には「一滴文庫」の命名のもととなった故事にゆかりの由利滴水やその師儀山善来をはじめとする、若狭出身の高僧たちのユニークな書画類がずらりと掛け並べられている。もうずいぶんと昔のことだが、初めてこの一滴文庫の本館を訪ねた時、私は斎藤真一作の「陽のあたる道」という作品に魂の奥底を揺すぶられるような衝撃を覚えたものだった。その話は拙著「星闇の旅路」の中にある「佐分利谷の奇遇」において詳しく書き述べているが、「かなしみの赤」とも呼ぶべき、心に深々と沁みとおる不思議な輝きの赤は私にとって生涯忘れられないものとなった。

急ぎ足で本館を見学して回ったあと、本館の右隣にある人形館に入った。ここには竹人形文楽に使う様々な竹人形群が展示されている。それらの人形群は、「はなれ瞽女おりん」、「越後つついし親知らず」、「五番町夕霧楼」、「北の庄」といったような水上文学の名作をもとにした竹人形文楽の公演で用いられるものなのだが、光量を抑えた人形館の中だと個々の人形に不気味なまでの存在感が漂っているように見えるので、気の弱い人だとその場から逃げ出したくなってしまうほどである。誰からともなく、「こりゃ、一人だったら恐いかもなあ」という呟きが漏れたのももっともなことだった。

私が、「ここの竹人形は、頭部を前から見ると生きているように見えるけど、うしろ半分だけは割竹で編まれて内側が空洞になっているんだよね。これって、どんな人間でもその実体は空なのだということを暗示するために水上先生が意図的に指示なさったことなんだそうだよ。また、よく手を見てみると四本指になってるよね。これって、五本指だと舞台で光りが当たったときに指の影が六本にも七本にも見えてお化けみたいになってしまうからなんだってさ……。四本指だとごく自然に見えるんだそうなんだよ」と、この文庫の理事でもある渡辺淳さんからの受け売りの説明をすると、仲間たちはその話に耳を傾けながら、あらためて興味深そうに人形に見入ったのだった。一滴文庫事務局長の中野さんは、ここにある多数の人形や人形面群の中でどの女性の顔が一番自分の好みに近いかを品定めしたのだという。中野さんはその人形の写真を手製の絵葉書にしたものを帰り際に私に手渡してくださったのだが、その葉書の表側には、知性的ではあるがどこかつーんとした感じの細面の美人面が刷り込んであった。どうやら中野さんと私の好みとはぴったり一致しそうだったので、内心思わずにやりとしたような次第でもあった。

人形館の二階には、かつては「生きる日死ぬ日」や「秋夜」といった水上先生のエッセーの装丁原画が展示されていた。暖かいランプの光に向かって飛ぶ蛾の姿や、月下の佐分利川畔の情景を描いたそれらの原画はどちらも渡辺淳さんの作品で、一目見てそれらに深い感動を覚えたことが渡辺さんと私との劇的な出遭いの契機となったのだが、残念ながらいまは他の原画作品と入れ替わってしまっていた(当時のことはバックナンバーの「佐分利谷の奇遇」をご覧ください)。ただ、二階の奥の部屋に展示されている一滴文庫への著名な来訪者らの色紙などは以前のままであった。壁面には、瀬戸内寂聴、広中平祐、司修、筑紫哲也、倉本聡、永六輔、灰谷健次郎といった面々の色紙が掛かり、それぞれの信条を個性豊かな表現で訴えかけていた。

竹人形館を出ると、次に車椅子劇場を覗いてみることにした。もちろん、催物をやっているわけではないし、とっくに閉館時間も過ぎていたので本来なら見学するどころの騒ぎではなかったが、中野雄さんの特別な配慮により中を見せてもらえることになった。重厚な木造瓦葺きのこの劇場は三百人ほどの観客収容能力があり、竹人形文楽のほか、数々の著名人をゲストとする「幻夢一夜」など、様々な催物がおこなわれてきた。ゆるやかなスロープをもつ観客席よりも低い位置にある舞台の奥は全面総ガラス張りになっており、外側の戸を開け放つと、裏庭の美しい竹林が見えるという趣向である。竹人形文楽などがおこなわれる際には、見事にライトアップされた竹林が背景となり、舞台がいっそう映えるというわけでもあった。かつてはこの舞台に立って石川さゆりや加藤登紀子といった歌手らもマイクを度々握ったことがある。竹林のライトアップこそなかったが、ガラス越しに背景となる竹林の様子などを眺めることもできたので、皆それなりに満足した感じだった。ある有名なプロデューサーが、「この劇場には魔物が棲んでいる」という、最高の誉め言葉を吐いたことがあったくらいなのだが、水上先生が他界されて以降はその魔物があまりに跋扈しすぎたためか、ここでの催物がすくなくなってしまったのは少々残念なことである。

人形館を出ると、萱葺き屋の前を通過して裏手の山の小高いところにある竹紙工房へと向かった。萱葺き屋の前を通り抜ける時、私の脳裏を一瞬かつての懐かしい光景がよぎっていった。たとえば、筑紫哲也、永六輔、倉本聡、灰谷健次郎といった面々が水上先生を囲んで「幻夢一夜」のようなトークショウをおこなったあとなどは、関係者やスタッフ一同がこの萱葺き屋の座敷に集まって、食事や飲み物をとりながら、ワイワイガヤガヤと慰労懇親会を催したものだった。渡辺淳さんも私もその常連だったが、水上先生以下の誰もが無礼講さながらに和気藹々とそのひと時を過ごしたものだった。

竹紙工房ではこれまた旧知の西村雅子さんが我々一行の到着を待っていてくださった。西村さんは元教師で、舞鶴高専の教授をご主人にもつ方であるが、縁あって現在はこの一滴文庫で竹紙漉きに専念し、すべての製作工程をたった一人でこなしておられる。西村さんの手になる竹紙は独特の味があって実に素晴らしく、書画を好む人々から愛用されている。特別に製作される竹紙の名刺などにはなんとも言えない風情があって、名刺交換の際などには相手にとても喜ばれる。竹紙製作はもともと水上先生の発案になるもので、昔はこの一滴文庫でも先生自ら竹紙を漉いておられたようだ。

そのおおまかな工程は、細長く割って長らく水に浸しておいた竹の繊維を湯釜で煮込んだあと、流水の力で作動する石臼で搗き砕き、臼の中身が竹餅と呼ばれるペースト状に変容したところで水に溶かし、それを金網を張った一定規格の木枠で掬い上げ乾燥させるというものだ。西村さんはその一連の工程を丁寧に説明してくださった。さらに、我々一人ひとりに木枠を持たせて紙を漉かせ、それを乾燥させて後日届けてくださる配慮までしてくださっ。だが、まだ、そのあと渡辺淳さんのアトリエを訪ね、遅くならぬうちにその日の宿泊地、丹後半島西部の木津温泉まで行かなければならないとあって、紙漉きの実地体験だけは辞退せざるをえなかった。お土産に竹紙を頂戴し、竹紙工房をあとにしたのだが、帰宅時間を延ばし遅くまで我々を待っていてくださった西村さんには申し訳ないかぎりだった。

駐車場まで中野さんらのお見送りをうけた我々一行は、一滴文庫のある岡田から佐分利川の上流に向かって車で二十分ほどのところにある大飯町川上集落を目指した。そこにある渡辺淳さんのアトリエ「山椒庵」を訪ねるためだった。また、私だけはそこで一行と別れてその夜のうちに敦賀へと向かい、高速夜行バスで東京へと戻ることになっていた。

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