続マセマティック放浪記

21. 講演録「地方文化にいま一度誇りを!」(その6)

さて、もうひとかたの貝井さんとは、渡辺さんを介してお知り合いになりました。今回会場に展示されていると思いますが、「魚群」という作品などには海の男たちが三人くらい立っている姿がなんとも言い難い存在感をもって描かれています。私も甑島の半農半漁の村で育った人間ですので、少年時代には漁師の真似事らしき体験は致しました。漁師そのものの姿を肌で感じながら育っていますから、海がどういうものであるのかはある程度わかります。しかも、台風の本場育ちときていますから、荒れた時の海の凄まじさとか、その折の漁船の有様や漁労の状況がどのくらい大変なものかなどということはよくわかっております。

ですから、貝井さんの絵を初めて拝見しました時に、これは本物の漁師さんでなければ絶対に描けない絵だとすぐに思いました。カジキの絵などもありますが、ほんとうにそのヌメヌメした皮膚の感触とか、鱗の感触とか、バーッと一面に跳ね飛ぶ潮のしぶきとかが、そこまで細かくは描かれていないにもかかわらず、的確に伝わってくるんですね。大きなタッチで描いてあるにもかかわらず、そういった感触がビンビン伝わってくるというのは、やはり凄いものだとしか申し上げようがありません。

海というものは実際怖いところです。静かな時はよいのですが、荒れた時は恐ろしくそしてまた凄まじいばかりのところです。そういう凄まじい海の世界というものは、観光旅行などではおいそれと体験できるようなものではありません。それは、漁師さんのように日々海で実際に生活を送る人でなければ経験できない世界なのです。貝井さんの作品には、ほんとうに命がけでそういった荒れ狂う海に対峙した方でなければ描けない迫力が秘められていると直感しました。

漁師さんというものは口数が少なく、余計なことはおっしゃらない方がほとんどなんですよ。もちろん、これはという重要なことはズバッとおっしゃいますけど、その場合もけっして多弁ではありません。ただ、言葉こそ少ないのですが、ほんとうのところは大変に情の厚い方が多いんです。貝井さんなどももちろんそうなんですが、漁師さんというのは責任感は人一倍お強いんですね。海が大荒れの時には連帯して身を守らなければならないし、嵐の時は皆で力を合わせて船をガードしなければならない。それぞれの持ち場やそれにともなう諸々の責任がありますから、もともと漁師さんの責任感は並みたいてのものではありません。そういった意味でも貝井さんは典型的な漁師さんであられると思います。

貝井さんが今回出展なさっている「鮟鱇」の絵や漁労の情景を描いた絵、さらには先ほどお話ししました「魚群」の絵などはほんとうに素晴らしいです。それから貝井さんのご著書などの中にも出てくる「荒れ魚」、すなわち、カジキやブリなどのように海が荒れる時に捕れる魚のことなんですが、そういう魚たちとその漁に関わる人々の姿をも見事に描いていらっしゃる。貝井さんはよく「景色」という言葉をお使いになられるのですが、もちろんそれは普通にいう風景のことではありませんよ。「景色」というのは若狭の漁師さん独特の言いまわしで、「この様子だったら魚が獲れるかな」とか「今日は駄目だな」とか、「海が荒れそうだけどよい漁ができそうだぞ」とかいったような、永年経験を積んだ漁師でなければわからないようなある種の海の奥深い表情や、なんとなく漂う独特の雰囲気とかを鋭く察知して、それらを「景色」という言葉を使って言い表すわけですね。「今日は景色がいい」という時は、凄く魚が取れそうだぞということを意味するわけです。もしかしたら貝井さん特有の表現の仕方ではないかさえも思うんですが、とにかく「海の景色」という言葉には、とても魅力的で不思議な響きや、えもいえぬ存在感が漂っているように思われてなりません。

実は、貝井さんは、若い頃に随分と北海道にご縁があったそうなのです。十代の終わりの頃にはですね、巻き網船、サバの巾着網船と言うんだそうですが、それに乗って小樽、留萌、増毛などまで来ておられたのだそうです。まだお若かったその当時は、飯炊きとかいったような作業をもなさっていたようなんですが……。渡辺さんも小さい頃から絵がお好きだったようですが、同様に貝井さんも幼い時分から絵がお好きでしたようで、船が小樽などに入港すると、忙しい下働きの合間を縫ってスケッチをなさったりとか、絵を描くためにずいぶんとご苦労をなさっていたようです。

とても面白いと思いましたのは、貝井さんの本の中にもそのことが書かれているんですが、貝井さんは日記をつけておられまして、それによりますと、昭和29年の7月1日、留萌に船が仮泊した時に、貝井さんは初めて有島武郎の『生まれ出づる悩み』をお読みになったのだそうなんです。その時の本には油やら汚れやらが付着し、すっかりボロボロになってしまったのだそうですが……。もちろん木田金次郎さんは木田金次郎さんで凄い方なんですが、貝井さんはその小説の中に描かれている主人公のK――もちろん木田金次郎その人のことですね―― そのKの生き方を読みながら、同じ漁師の絵描きでも自分はそれとは少し違う方向を目指そうとお考えになられたそうなのです。

すなわち、生涯現役の漁師として実際に海に出続け、その体験を通してのみ描くことができるもの、すなわち、生涯漁師を続けていなければ描けないような絵を描こうと決意されたのだそうです。ですから、貝井さんのテーマはいつも漁師と海と船と魚ですね。木田金次郎さんの場合は非常に描画対象の範囲が広いですし、それはそれで素晴らしいのですが、それに比べると貝井さんの場合はピンポイント的ですね。そこにグーッと自分の感性を集中して独自の絵を描く道を選ばれた。まさにそのために、文字通りの漁師でなければ描けないような絵になっているんですね。まだ貝井さんの絵をご覧になっていない方は、是非とも今回展示されている作品を見ていただきたいものだと存じます。

それと、貝井さん、確か今年70歳になられたんですよね?(本人に確認)――間違いなく70歳だそうですが、なんとご本人はいまだに大敷網の若手漁師なのだとおっしゃってましてね(笑)。実際、仲間内では若手漁師なんだそうです(笑)。現在、大敷網の漁労に参加する漁師たちは高齢化しているため、貝井さんはいまだに若手なんだそうですよ。

そういう貝井さんは、大敷網……、それは大某網とも縦網とも言うそうですが……、その大敷網の仕事に関わる時以外には、タコツボ漁、コウイカの「もんどり漁」――いったん箱の中入ったら外に戻れないようにする漁法のことなのだそうですが――などに従事しておられるそうです。タコツボに関しましては、貝井家に代々伝わる一種の秘伝のような独特のタコ壷へのロープの結び付け方があるのだそうですが、そのユニークな方法を用いていまもタコツボ漁をおやりになっているということです。海中でのロープ捌きなどはさぞかし凄いものなんでしょうが、ともかくも、貝井さんという方はそんな猟師さんなんです。もちろん、画家でもあられるわけですが……。

若狭の高浜というところの漁に限ってのことだそうですが、貝井さんは、網の組み立て方、網の設置状況、魚の生態、その他のことについて細かな記録を文章とスケッチの双方を用いて残しておられます。そのこと自体がまさに地方文化そのものなんですよね。また、貝井さんのお兄さんは漁法の民俗学的研究をなさっておられるとのことで、貝井さんのような漁師の方々の記録は貴重な資料となって後世に伝えられることになるわけです。その記録は文章としても素晴らしいものですし、内容的にも大変興味深いものになっています。

貝井さんは長年日記、絵日記をつけてらっしゃる。365日休みなく、しかも克明にですよ。これはまた凄いことで、普通の人にできることではありません。私も日記をつけるにはつけていますが、不精者ですからとても毎日はつけてなんかおりません。

ちょっと脱線しますが、現役の大学教官だった頃、学生に日記をつけたほうがいいと進めたことはあります。ただ、それにはちょっと違う意図がありました。若い頃、私も、ある先生に言われたことがありました。「お前な、せめて当用日記くらいはつけとかないといけないぞ。40、50の歳になった時には、若い時のことなんかほとんど忘れてしまうからな……。せめて日記でもつけておなないと、60歳にもなる頃には過去の人生は空白だらけになって、やがてお前の人生は真っ白けになってしまうぞ!」(笑)。「ただ、なにもかも正直に書こうとすると、人間嘘を書くようになるから、そこまでやる必要はない。当用日記でいいし、それも毎日でなくていい。自分だけにわかる一行くらいの簡単なメモでいい。後日それを読めば、その時の出来事がぱっと蘇ってくるような、そういう日記をつけておけばいいんだ」と……。

その忠告を受け入れ、私も日記をつけるようにしたんです。いまになってみると、つけておいてよかったなあと感じています。もしまったく日記らしいものをつけていなかったら、相当に重要な出来事でも忘れていただろうと思います。ですから、学生にも同じことを言い残そうとしたわけです。しかも、そういう日記の書き方の場合、毎日書かく必要はなく、重要なことがあった時だけ書けばいい、2週間にいっぺんくらいでも構わないわけなんです。人に見せるためではないんですから。その点、貝井さんは毎日欠かさず日記をつけてらっしゃるんですから、しかも漁業や画業でお忙しい中でそれを実行しておられるわけですから、ただもうこれは、凄いの一語に尽きます!・・・・・・敬服の極みですね。

貝井さんはそのご著書の中などで「鉛色はぬくもりの色だ」とおっしゃっておられます。漁師にとって、鉛色をした海は魚が獲れる時の海の色で、ほんとうに暖かい海の色だというのです。我々は鉛色というとすぐに暗い色だと思ってしまいますが、鉛色の暗いの色の中に漁師のドラマは秘められているということですね。むろんそのお人柄もあってのことなのでしょうが、ご自分の生命力を暗い鉛色の海に注ぎ込むと、おのずと魚たちがそれに応えてくる世界、我々常人には到底計り知れない世界――そんな世界を貝井さんは絵筆に托そうとなさっておられるのでしょう。

ですから、貝井さんの作品の中には、じっと見ますと不安そうな漁師さんの姿があったりもします。その漁師さんの胸中には、漁場における不確定要素に対する不安とか、来るべき嵐に対する不安とかいった、いろいろな不安が渦巻いているのでしょう。逆に、とてもたくさん魚が獲れて嬉しいという、漁師さんでないとわからないような喜びの表情を描いた絵もあります。貝井さんの絵からは、魚のにおい、鱗の感触、ぬめりの感触といったものが、はっきりと伝わってきます。実際の絵は静画であるはずなんですれども、見ていると魚がバタバタと暴れまわっているような感じが伝わってきます。

木田金次郎さんの作品中にはもう一点凄い絵があります。生きている魚の絵で、昭和28年に描かれた絵だと思いますが、貝井さんの絵もそれに似た凄さがあると申し上げても差し支えないでしょう。さらにまた、貝井さんの絵からは、海や空の荒れ模様とか、何かの予兆を想わせる不穏な空気の流れとかいったものが実によく伝わってきたりもします。どう申し上げたらいいんでしょう、漁師でない者が外から見てその状況を描こうとしてもそんな絵は絶対に描けない……、貝井さんの絵を見ていますとそんな感じがしてきてなりません。

なお、木田金次郎さんの絵をじっくり拝見していて、また学芸員の岡部さんからそのお話を伺ってなるほどと僕も思ったんですが、昭和29年の岩内大火がある前後までの木田金次郎さんの絵というのは、まだ描画の際の視点を外にとったうえで描かれている感じがあります。ところが、大火で1600点の絵を焼失した後の木田金次郎さんの絵の激しさや筆のタッチの豪放さときたら、それはもう、絵の中に木田さんの魂そのものがそっくりそのまま入り込んだとしか言いようのないくらいなんですね。こんなにも変わるものかというほどに絵の質が変貌していることを考えますと、喪失感に続く何物かがああいう激しさをもたらす結果になったのでしょう。想像を絶する絶望感や失望感の中から立ち直ろうとする時にああいう独自の力強い表現が生まれ出てきたんでしょうが、まさに「生まれ出づる悩み」という言葉を超克し、「生まれ出づる喜び」へと表現が移行していったのだという感じさえも受けたりしました。

非常につまらない内容になってしまいましたが、これをもちましてお二人の画伯のご紹介を兼ねた私の下手な話を終わらせていただこうと存じます。皆様今日はほんとうにありがとうございました。

(岩内地方文化センターにて 講演:本田成親)

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