幼い頃に自分が育ったところでの講演というのはやりづらくて仕方がなかったのですけれども、依頼をうけてやむなくそこへ出向きました、そして、その時にもちょっとしたショックを受けました。講演のあと中学校の生徒らと話をしたのですが、綺麗な海に囲まれた島だというのに、彼らはほとんど海で泳がないというのですよ。学校のプールでタイムを計って泳ぐ。百メートルを何秒とか言いながら……。それにはそれなりの理由があるのはわかるのですが、せっかく豊かな海があるのに、かつて私たちが魚貝を追い求めて泳いだり潜ったりした海でまったく泳いでなんかいない。私の育った甑島の片田舎でさえそうなっているのですらから、日本全国そうなっているのは間違いありません。先程も申しましたように、学校教育などでは自然観察力を養成すべきだなどと言われていますけれど、現実には幼少期や少年期に生活を通してそういうトレーニングがなされることがなくなってしまっているんです。残念ですが、そんなこの国の現状をイヤというほど思い知らされ、大変なショックを受けました。旅先などにおいては、極力その地の子どもたちと話す機会をもつように心がけているのですが、自分も田舎育ちだったこともあって、北海道とか東北とか九州の片田舎を旅していると、田舎育ちらしい風貌や格好をしているけれど、この子には何か内に秘める素晴らしいものがあると直感することがあるんですよ、凄く……。そういう子どもたちと出会うと、話したり声をかけたりしながら「頑張れよ」の一言ぐらいは伝えたいという気持ちになったものなんですけれど、最近では、だんだんとそういうことをする機会もなくなってきたなあと痛感させられているわけなんです。小学生くらいの子どもですと、声をかける前から遠巻きに私のそばを走り去っていきますし、下手に声でもかけようものならたちまち不審者扱いされてしまいます。子どもたちにその責任があるというわけではなくて、社会構造上から生じてきている厄介な問題ではあるのですが……。
また、すこし数学に話を戻しますと、これは近年の学生の特徴でもあるわけなのですが、彼らは受験の数学にかぎるならならそれなりにはよく対応できているわけです。ですが、微分積分の概念やその定義などを面倒でも通常の言葉で説明してみなさいなどと問いかけると、途端に思考停止してしまうことが多いのです。そこで思考停止してしまうようですと、そこから先のより抽象度の高い数学理論などをマスターすることは難しくなってしまいます。大学受験に備えて数学もつの形式性だけを表面的に暗記し、ぱっぱと問題をクリアしてある段階まで到達するところまではよいのですが、形式性の背後にある表現対象や各種意味論との関連性などはほとんど理解されていないわけです。現代数学はきわめて高度な抽象概念そのものを操作の対象としているわけですが、もともと数学というのは具象抽象を問わず思考の対象物を扱うための一種の操作言語なわけです。ところが、昨今は、初等の数学教育でも悪い意味での抽象性だけが表面的浮き上がりすぎ、根源的な事象との関連性や根底的定義の重要性についての理解がおろそかになってきているように思われてんりません。
私の親しい知人に渡辺淳(すなお)さんという若狭在住の画家がいます。作家の故水上勉の作品の挿絵や装丁なども手掛けていた方です。私はここ十年ほど毎週連載執筆している朝日新聞アスパラクラブ・AICの「マセマティック放浪紀」で、最近まで「ある奇人の生涯」というドキュメンタリー作品を書いていたのですが、その作品の挿絵はこの方に描いてもらっていました。渡辺さんは子どもに絵を教えるのが大好きで、三箇所の絵画教室で子供たちの指導をやってもおられます。この渡辺さんが住んでいる場所というのは若狭でも谷の奥深いとこにある小さな集落なんですよ。渡辺さんは、自分の住むその小集落と、そこよりはかなり開けた町と、若狭のある地方都市との三箇所の絵画教室で子どもたちを教えておられるわけです。その渡辺さんが、ある時、「まったく同じやり方で同じように指導していても、子どもたちの描く絵が地域によってまるで違うんですよ。不思議なんですよね」っておっしゃったんですよね。そこで、私も子供たちが描いた絵を実際に見せてもらうと、ほんとうに違うんですよ。
どう違うかといいますとね、谷奥にある一番辺鄙な集落の子どもたちの描く絵は、形は崩れているけどダイナミックで、子どもらなりに自分の目で一生懸命対象物を観察して描き上げであるのです。同じひとつのリンゴを描かせてもいろいろなリンゴの絵が出来上がるのです。ところが都市部の子どもになるほど、「リンゴとはこんなものですよ」といったような、あまり個性の感じられない絵を描いているんです。都市部の子どもらは、リンゴというものはこんな形と色をしているからこんな風に描かなければいけない、と小さい頃から教えこまれています。自分の目で実際に観察する前から、リンゴというものの抽象概念を大人たちによって刷り込まれてしまっているわけです。他方、田舎の子どもたちは、その点まっさらに近い状態ですから、リンゴとは何かを自分の目で観察し、その特徴を一生懸命捉えようとします。この違いは想像以上に大きな影響をもたらすのです。片方の子どもらは、大人からリンゴはこういうものだよ、チューリップはこんな花だよと教えられるままにそれらの絵を描いてしまう。片方の子どもらは、リンゴやチューリップの抽象概念を教え込まれる前に、まず自分の目でそれら描画対象を観察する。それだけのことなんですが、ここまで違うものかと思われるほどに絵は違ってくるんですね。もちろん、田舎の子どもらの描いた絵のほうがはるかに素晴らしい。同じ子どもたちに仏像みたいなかねて馴染みのないものを描かせてみると、その違いは歴然としたもので、田舎の子どもらは自分の目で観察した結果をもとにダイナミックな仏像を描くことができるが、都会の子どもらの場合は、観察力不足や具象物を抽象化する能力が未熟なため、ほとんど絵にならないという状況が生じるのです。
このような事実を知った私は、その問題を科学教育の話に絡めて書いてみたことがあるのですが、その論考には九州大学数学科部長ほかの方々などがずいぶんと関心をもってくださいました。数学的な思考力なんかについても、おそらく同様のことが起こっていると思われます。はじめのうちは学習進度は遅いけれど、じっくり考えながら進みやがて深い思考力を身につけるようになる子と、最初の学習進度は速いけれど、パターン化したチューリップの絵しか描くことのできない子どもと同様に、形にはまった思考しかできなくなってしまうおそれがあると考えられます。また、これは、東京大学を辞めたあと東京芸術大学大学院の美術教育研究科というところの非常勤講師を依頼された時のことなんですが、まさか数学の専門的な講義をやるわけにもいかないので、どんな講義をお望みですかと先方の責任者にこちらのほうが質問したんです。その責任者の教授がなかなか面白い方で、「まともに数学の講義をされたら困るんですけどね。まあ、そうじゃなくて、ロジカルな考えなどをなるべく日常的な言葉に置き換えて、また数学でもコンピュータ科学でもなるべく日常言語レベルに引きおろしてそのエッセンスをいくらかでも垣間見られるような講義をやってもらえませんか?・・・・・・それぞれの専門分野を超えた学際的な型破りの講義でも構いませんから」という返事が戻ってきたんですね。それが契機となって今でも時々芸大には出向いているのですが、そんな芸大での講義を通してふと思うことがあったのです。そもそも芸大みないな大学の場合には自他ともに数学嫌いを認める学生がほとんどなのですが、実際には数学的な潜在能力をもつ学生がそれなりにいるのです。空間認識力とか各種図形的問題に対する直観力とかいった点では凄い能力をもつ学生がいるんですよ。そんな彼らに、数学の高次元空間などについてのちょっとした話などをすると、想像以上に強い興味を持って食らいついてくるのです。そこでのやりとりにはずいぶんと面白いことがあったりし、そのことは私にとって大きな発見でもありました。考えてみれば、芸術的な創作活動というものは、意識しているかどうかにかかわらず、もともと本質的な科学的思考と密接に関連しているものなのですから、当然のことなのですけれども。
とりとめものない話をしてまいりましたが、まあ、そのようなわけで、いまでは折々私なりの旅をしながら、紀行文や各種エッセイ、ノンフィクション小説みたいなものを書いているような次第です。そこで、この拙い講演の纏めとして、自分の人生観みたいなもの詠んだ下手な短歌を三首紹介させて戴こうと存じます。これら三首の短歌はすべて「かなしみ」という言葉を入れて詠んでみたものです。実を申しますと、短歌そのものは若い時代から気が折を見ては詠み続けてきたのですけれども・・・・・・。まずひとつめは次のようなものです。
天地(あめつち)にたゆたひめぐるかなしみの 流れ燃え立つ夕最上川
最上川の河口近くの河畔で、真っ赤な夕日が沈んでいくのを眺めながらこのような歌を詠みました。いろいろなところから流れ集まってきたこの世の人間の痛みや哀しみが河口近くに到り、真紅の夕日を背にして轟々と燃え立ち、海に入るのを前にしてすべてが浄化さていきつつあるような光景に・・・・・・人間の深い哀しみが最終的に浄化され天に向かって燃え立ち上っていくような光景に思われてならなかったのです。その日の最上川の荘厳な日没の有様がなんですが・・・・・・。
風眠る秋の信濃の高原(たかはら)を 行く旅人のつむぐかなしみ
二番目のこの歌は信州の美ヶ原で詠んだものです。人は誰しもがそれぞれになにかしらの悲しみを胸中に抱きながら生きているもので、美しい秋の高原を旅行く人々の姿などにはことにその悲しみが漂いあらわれていることがすくなくありません。自らを含めた美ヶ原の旅人をさりげなく見つめながら詠んだ心象風景だというふうに考えてください。
三番目の短歌は能登半島の厳門というところで詠んだものですが、この歌の内容は現在の自分の心情にもっとも近いと申し上げてよいかもしれません。
かなしみも灯る命のあればとて 夕冴えわたる能登の海うみ
私はさしたる能力も持ち合わせない人間ですから、当然生きる苦しみも痛みも悲しみあるわけです。ですけれども、近頃では、そういう痛みや悲しみがあるのも、自分がここでこうして生きているからなのだ、このささやかな命があればそこ悲しみもあるわけなのだ、だから悲しみがあるということは生きる命のあることの証にほかならないのだ、というふうに考えることができるようになりました。 実を申しますと、私がこういう歌を詠むきっかけとなったのは、若い時代に旅した奈良でのある人物との、より正確に言えばその人物の詠んだ短歌との出逢いだったのです。まだそのころは学生でしたけれどもね・・・・・・。そもそも前述した最上川の歌で「天地(あめうち)」という言葉を用いたのはその歌ならびにその歌を詠んだ人物の影響なのです。(板書) あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき この さびしさ を きみ は ほほゑむ (天地に我独り居て立つ如きこのさびしさを君は微笑む)
この歌は会津八一という歌人が奈良法隆寺夢殿の救世観音の姿を目にして詠んだものなのです。肉親縁が薄く、少年期に天涯孤独の身になってしまった私は、学生時代には生活のために夜警その他のさまざまなバイトしながら暮していました。そんな私がある時ふと思い立って貧乏旅行に出かけた先の奈良でこの歌に出逢ったわけなのです。
会津八一がこの歌で言う「さびしさ」とは、どこにでもあるセンチメンタルな淋しさなどではなく、どこから来てどこへと行くのかわからないまま最期の瞬間まで生の旅路を独り歩き続けていかなければならないという、人間の宿命ともいうべき「根源的な存在の不条理」に根差すさびしさのことなのだと思いました。「青白い月光の降り注ぐ広漠とした氷原上を、身も心も凍る寒風に晒されながら、行く手の様子も知れぬまま行き倒れ覚悟で独りどこまでも歩き続けならない孤独感と寂寥感、そしてまた、救い難い迷いと矛盾と欺瞞とに満ちみちた人生に身を委ねつつ、なんの救いもないままに独り自力で立ち続けるしかない絶望的なまでの孤立感――そんな遣り場のない人間の根源的なさびしさを救世観音は永遠の微笑み、すなわちその慈眼をもってじっと見守り包み込んでくれている」――私はそんなふうにこの歌の意味を読み取ったのでした。 「わたしにはあなたがたを助けることはできません。どんなにその生の旅路が辛いものであろうとも、詰まるところ歩いてゆくのはあなたがた自身なのですから……。でも、わたしには、あなたがたの旅ゆく姿を永遠の凝視をもって見守り続けることはできるのです。微笑みをもってあなたがたの生のすべてを肯定してあげることはできるのです。迷うこともあるでしょう。過ちをおかすこともあるでしょう。苦しむこともあるでしょう。そしてまた悲しむこともあるでしょう。人間とはもともとそういうものなのですから……。でも、それはそれでよいのではありませんか、それこそが生きるということにほかならないわけなのですから……。さあ、もう一度立ち上がって歩いて行きなさい。わたしはあなたがたをいつまでもいつまでも温かく見守ってあげますから……」
夢殿の救世観音の前に初めて立ったとき、歌人会津八一は、その口元に微笑みを湛えながら観音像がそう語り囁きかけてくるのを耳にしたに違いないと考えたのです。まだ言葉が未熟で自分の想いを的確に表現などできずにいた私は、この歌で自分の心の声を代弁してもらったような気分にもなり、すっかり感動してしまったのです。そのようなわけで、それ以来、私は自分でも素人短歌を詠むようになりました。もちろん、あくまでも我流の短歌なのですから、自分の歌を公表するということはほとんどやってきませんでしたけれども、短歌そのものを詠むことだけは続けてきたのでした。
もっと細かな事までお話しできれば良かったのですが、時間になってしまいました。数学の先生であればあるほどに、いや数学の先生であればこそ、言葉というものを大切にして戴きたいと思うのです。何度も申し上げましたが、数学の先生が心からの言葉を発してくだされば、その言葉は生徒たちにも、そしてまた社会全般にもとてもよく通ると思うのです。たとえ表現はいくらかまずくても、数学の先生なりのロジックを日常的な言葉に置き換えることを通して、生徒たちや他教科の教員たちと接して頂ければと考えます。まとまりの無い話になってしまい大変申し訳ありませんでした。ご清聴ほんとうにありがとうございました。