執筆活動の一部

10.「不老長寿」を科学する

「見果てぬ夢」の最先端は今

竹取物語の最後には、かぐや姫が竹取の翁夫婦に残した「不死の薬」を日本一高い山の頂きで燃やし去る場面が登場する。竹取物語にもあるように、古来人間というものは不老不死や不老長寿の願望を抱き、その実現のために愚かとも滑稽ともいえる数々の悲喜劇を演じてきた。その意味からすると、竹取の翁夫婦の究極の決断は本来人間の備えておくべきある種の叡智を暗示しているのかもしれない。それはまた、サルバドール・ダリの「眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。死への抵抗が間違いで無駄だという時がいずれやってきますよ」という言葉にも通じている。だが、不老不死願望に対するそんな見方に挑むかのように、怪しげな生命科学の新理論や新技術なるものも続々と登場し、「永遠の生命」を夢想する者の心をくすぐりたてる。先日も、日本のドクター・中松氏が、ユーモアと皮肉たっぷりの科学賞「イグ・ノーベル賞・栄養賞」を授与された。三五年間毎日食事を写真に収め、鰹や味噌など五五の食品が長寿に効果的であることを発見、一日一食の生活が心身によいことを科学的かつ論理的に解明したのだという。「中松理論」なるものを唱える同氏は、「五五品目を毎日摂取すれば寿命は一四四歳まで延びる。自らの身をもって研究の正しさを証明したい」と鼻息も荒い。珍談奇談に満ち満ちた不老長寿のお花畑はいつの時代も百花繚乱、百花百様の色香をもって不死の欲望に取り憑かれた者の心を巧みに誘い惑わせる。その結果、世は挙げて健康食品やサプリメントのブームとなり、健康番組の撒き散らす病毒に侵された人々は知らぬまに「健康病」という名の病を患って、今日はこの花、明日はあの花と、不老長寿のお花畑を蝶のごとくに飛び回る。そんなことにならぬように、生命の本質やその限界を冷静に見つめておくことは必要だろう。

老化の定義とそのメカニズム

老化とは「成熟期以降、加齢とともに各臓器の機能あるいはそれらを統合する機能が低下し、個体の恒常性を維持することが不可能になり、ついには死に至る過程」と定義されている。老化の過程は複雑でそのメカニズムには諸説がある。たとえば、老化も寿命も遺伝子にプログラムされているとするプログラム説、DNA、RNA,タンパク質などの突然の変異(エラー)による異常配列が蓄積、細胞に機能不全が生じ老化が進むというエラー説、加齢にともない免疫機能を担当する細胞の能力が低下、自己の正常細胞を誤って攻撃するため老化が起こるとする免疫異常説、さらには、不対電子をもつフリーラジカルという活性度の高い分子がタンパク質、核酸、脂肪などの生体構成成分と化学反応を起こし、それが障害となって細胞機能が低下、老化が進むとするフリーラジカル説などがある。なかでも近年とくに注目を浴びているのがフリーラジカル説で、そのフリーラジカル類を生み出す元凶だという活性酸素はいまや悪玉の最たるものだとされている。米国の研究者らは除活性酸素去剤を用いて線虫の寿命を一・五倍に延ばすことに成功したという。

活性酸素は体細胞内の小器官ミトコンドリアなどでおこなわれる酸素代謝作用にともなって日常的に発生し、タンパク質やDNAの一部を傷つける。ただ、通常は抗酸化物質が発生した活性酸素を即刻消去し、活性酸素によって傷ついたタンパク質やDNAは速やかに代謝修復されるから、生体細胞がひどく傷つくことはない。問題は、なんらかの原因で大量の活性酸素が発生したり抗酸化物質が減少したときである。活性酸素の消去が迅速に進まず、生成→消去→修復のバランスが崩れると、タンパク質やDNAの被る損傷の蓄積が増大し正常細胞の再生が困難となって、老化が進んだり癌細胞が発生したりする。そのため、抗酸化作用をもつポリフェノール飲料、なかでもアントシアニン類を含む赤ワインやココア、カテキン類を含む緑茶、ロズマリン酸を含む各種ハーブ茶などが推奨されている。また、同様に強い抗酸化力をもつアスタキサンチン含有の鮭、イクラ、鯛、スジコ、カロチン類に属するリコペン含有のトマトやスイカ、ゴマリグナン含有のゴマ油などの食品も再評価されている。だが、東大食品工学研究室の染谷慎一は、米国の大学研究チームとの共同研究に基づき、「活性酸素老化無関与説」を最新のサイエンス誌上に発表した。染谷特任研究員らは、「ミトコンドリアで発生する活性酸素がタンパク質やDNAを傷つけ、その損傷の蓄積により老化が起こるのではなく、ミトコンドリア内部のDNA自体に生じる損傷の蓄積が老化の要因になっている。この新たな老化メカニズムの解明は老化防止の技術開発にもつながりうる」と主張し、「活性酸素悪玉説」に一石を投じている。

「ロハス長寿法」のさまざま

いま全世界に流行するロハス(LOHAS)とは、Lifestyle Of Health And Sustainability、すなわち、「健康かつ健全な状態を長期的に持続できるライフスタイルの実践」を意味している。「人間固有の生命機能を最大限に活性化し、その結果として人間に許される範囲の長寿をまっとうしようと」いうのがロハスの理念で、不老長寿や不老不死とは本来無縁なものである。ロハスの実践法にはいろいろなものがある。まず第一は、熊野山地などのような深い照葉樹林帯の中を自然体で存分に歩きまわる方法だ。照葉樹の森は人体に有害な紫外線量も少なく、ただ歩くだけでストレスホルモンのコルチゾールが大幅に減少、免疫力の指標となる体内の免疫グロブリン値が三〇%前後も上昇するという。緊張度、抑鬱度、活動性、疲労度、その他を調べるPOMSという心理テストでもその効果は一目瞭然であるらしい。

第二は特別な呼吸法の修得だ。腹式呼吸の一種で臍下三寸にある丹田というツボに力を込めて呼吸する丹田呼吸法、体内の二酸化炭素を科学的に適量にコントロールする米国流カプノトレーナー呼吸法、岩塩窟内の施設や特殊な塩分吸入装置を用いたハンガリーの吸塩呼吸法などがそれにあたる。いずれの呼吸法も、人体にとって最適な吸気法と排気法を探求修得し、それによって健康維持をはかるというのが基本である。

第三はヨガ、気功、整体などのような一定の自己鍛錬を伴う東洋古来の伝統的な健康維持法だ。その基本は人体機能の活性化を促す適切な呼吸法や正しい姿勢の修得だが、身体各部の機能の正常化と精神の安定を目指す総合的な健康維持がその特徴だ。

第四は各種薬品や健康食品による健康維持法だ。不老長寿薬伝説との関わりも深い中国古来の各種漢方薬の飲用、抗酸化剤や抗酸化食品の摂取、各種サプリメント類や健康食品類の摂取、各人の生活状況や病状に応じたパーソナルな複合投薬療法や自然療法を駆使するホメオパシーなどがそれにあたる。

五番目は、とくに心理面を重視し、精神の安定と適度な活性とを図る健康療法だ。「病は気から」という諺をそのまま生かしたような療法だと思えばよい。自主的な芸術活動や創作活動を通して自己表現をしたり自己実現をしたりして心の安定を図るアートセラピー、各種動物との心の交流をはかり、それによって心の安らぎや自己の存在意義を再認識するアニマルセラピー、風光明媚で自然環境に恵まれたところで一定期間過ごす転地療法などがその事例だ。健康な状態で九十歳から百歳程度の長寿を目指すロハスは、その意味では自然の摂理にもそれなりに適う健全な運動だといってよい。

不老長寿薬は原理的に可能に

全体としては穏健なロハスなどの長寿法に対して、米国などでは最新の科学技術に基づく先鋭的な不老長寿研究の動きが活発になっている。不老長寿の実現に立ちはだかるのは、「人間の細胞分裂の回数は有限だ」とするヘイフリックの限界則で、同法則に基づくと人間は最長でも百二十歳程度しか生きられない。そのため、不老長寿の研究者は、新理論や新技術を創出し、この限界法則の打破を狙うことになる。むろん、それは、真っ向から自然の摂理に立ち向かうことを意味している。「ヘイフリックの限界」が存在するのは、細胞分裂が繰返されDNAが複製されるごとに染色体末端のテロメアという部分が短縮するからだ。一定の長さまでテロメアが短縮すると細胞分裂は停止し、そのために老化が起こる。そこでテロメア短縮を防ぐテロメラーゼという酵素を用いた老化抑制法も研究されはじめた。だが、この方法は正常細胞を癌細胞化(不死細胞化)させてしまう危険があるため、テロメラーゼ関連遺伝子の活性を抑制する技術の開発が不可欠だという。すべての体細胞に分化可能なES細胞(胚性幹細胞)による再生医療の研究も注目に値する。各種臓器を再生治療したり移植用の臓器を生み出したりするその技術の実用化は時間の問題だともいう。ただ、多分化機能を有する細胞だけに、臓器に注入された場合その臓器の細胞以外のものに分化するおそれがあるから、目的とする細胞だけに選択分化するような制御技術の開発が欠かせない。また、将来この技術が完成したとしても、それによって人脳をまるごと交換した場合、その対象患者は別人格者になってしまうというような問題もある。

欠損した遺伝子を部分的に修復する技術も急速な進歩を遂げている。最近ネイチャー誌で発表された「ジンク(亜鉛)フィンガー」は亜鉛イオンから細長いアミノ酸配列が突き出したような形をしている。これを人間の細胞に挿入すると間違った遺伝子情報をもつDNA構造部分に自動的に結合し、先天的な修復メカニズムを刺激して異常部を正しい塩基配列に戻すことができる。米サンガモ・バイオサイエンシーズ社の科学者らはこのジンクフィンガーによって、危険な副作用なしにDNAの不適性部分を再生修復することに成功した。変異した遺伝子コード自体の修復はまだ困難だが、近い将来画期的な遺伝子治療技術に発展することが確実視されている。いっぽう、黒崎誠テキサス大学助教授らは欠損すると通常より早く全身に老化が現れる遺伝子「クロトー」を発見、その遺伝子の生み出すホルモンが生体の老化を防ぐことを突きとめた。同助教授は、「不老長寿薬の開発は原理的には可能になった」と語っている。そのほかに、脳内各部まで到達可能なナノチューブ利用のナノカテーテルや、ナノテク利用の分子レベルの微小ロボットを注入し、患部の細胞のみに投薬したり病巣部の細胞を除去修復したりする技術の研究なども急速に進行中だ。

諸々の先端研究はともかくも、当面、寿命を最大限に延ばすには厳格なカロリー制限を実行するのが最善策であるらしい。カロリー制限によりマウスや線虫類の寿命が大幅に延長されることが証明されたし、MITの研究者らが特定に成功したという人間の老化に関わる遺伝子は、カロリー制限に応じて老化作用を抑制すると考えられていた遺伝子と一致することも判明したからだ。線虫について当該遺伝子を操作するとその寿命が二倍に延びることもすでに確認されている。そのため米国ではカロリー抑制信奉者が急増中だ。ただ、ケンブリッジ大のオーブリー・ド・グレイ博士などは、「健康維持のため適度なカロリー抑制をおこなうことに異議はない。だが、栄養不足に対応し、そうでない場合に比べて二十年も長生きする能力を人類に獲得させるような進化の自然淘汰圧は働いてこなかった」とカロリー抑制法に疑問を呈し、「現時点では年齢相応に健康な人の寿命を飛躍的に延ばす技術は存在しない」と慎重な立場をとっている。好きなように食事をして八十歳で死ぬのと、空腹を我慢し続けてそれより四、五年長生きするのとどちらが幸せだろうかという声も少なくない。いっぽう、そんな批判に対し、MITのレオナルド・ギャレント教授などは、「老化に関わる遺伝子に作用し、カロリー制限をした時と同じ効果を生み出す薬剤を開発すれば、従来通りの食事をしながら長生きできる」と反論する。同教授を支援する企業などは投資家から資金を調達し、すでにその種の薬剤の開発に着手しているという。

二百歳はおろか千歳説も

今後の生命技術の飛躍的な発展を信じるニュージャージー州立大学のドナルド・ドリア教授は、「まもなく人間は百二十歳から百八十歳まで生きるようになる。一部の専門家らは、あと二十年もすれば二百、三百歳はおろか、千歳までも生きられるようになるだろうと考えている。もはやそれはSFではない」と強弁する。だが、多くの専門家はそんな楽観論を、「平均寿命を百八十歳に延ばすのは、冥王星にスペースシャトルを着陸させる以上に困難だ」と酷評する。ジョージア大学老年学センターのレナード・プーン所長などは「百二十歳を超えた場合、生活の質を高く保てるだけの健康状態の維持は困難だ」と指摘している。既述の諸説を総合的に検討してみると、自己アイデンティティの固守にこだわりその喪失を望まない場合には、百八十歳あたりが人間の長寿の限度ということになるのだろう。

米国のアルコー延命財団は、故大リーガー、テッド・ウィリアムズら七十名の遺体をマイナス二百度の液体窒素を用いて冷凍保存している。蘇生技術やクローンニング技術が完成するまで眠らせておき、将来再生して不老不死を実現しようというわけだ。全身保存に十二万ドル、頭部のみの保存には五万ドルを要するというが、予約者はすでに千人近くに達し、著名なコンピュータ科学者レイモンド・カーツワイルなどもその一人であるという。もっとも、カールトン大のストレイ教授のように、「長期冷凍保存が成功したとしても、未来の人々が祖先の遺体の解凍に手をつけるだろうか」と冷や水を浴びせる人も多い。また、米国の生命倫理学者らは、生命技術の進歩に伴い人類に派生分化が起こって能力その他に極端な優劣格差が生じ、「人類」という概念自体が崩壊せざるをえないと警告を発している。

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