執筆活動の一部

22. 寿命も知力も遺伝子で決まる?

長寿遺伝子は第四染色体上に

たとえ一日でも長い寿命をと願うのは我々人間の常なのだが、最近、アメリカなどの遺伝子学者らの研究によって、長寿に深く関わっているらしい遺伝子座(当該遺伝子の存在する位置)がかなり正確に絞り込まれてきたという。さらにまた、長寿遺伝子そのものの特定やその特殊な機能の解明なども時間の問題になってきているようだ。そこで、そのユニークな遺伝子研究の概要と昨今の研究の進捗状況についてすこしばかり述べてみることにしたい。

土中に棲む線虫は寄生虫の一種だが、四年ほど前、カリフォルニア大学の研究チームが四年ほど前、その線虫の特定遺伝子の機能を抑制することによって、通常の平均寿命の六倍にもあたる百二十日間も長生きさせることに成功した。サイセンス誌に掲載されたそのレポートに基づくと、検体の八割以上が九十日以上生き延びたほか、中には百八十日もの長寿を得たものもあり、しかもその間活発に動き回っていたという。百二十日という検体線虫の平均寿命は人間の場合に換算すると五百歳もの長寿に相当している。この研究で制御の対象となったものと同種の遺伝子は人間の遺伝子中にも存在しているため、ヒト長寿遺伝子研究の進展に繋がるものとして大いに注目されるようになった。

いっぽうニューヨークやボストンの各大学医学部と諸医療研究機関の専門家からなる共同研究チームは、さまざまな角度からヒト長寿遺伝子の探求と解明を進め、百歳以上の長寿者とその兄弟姉妹百三十七組、総計三百八名を対象にした大規模なゲノムの解析プロジェクトを実施した。その結果、第四染色体上に長寿に関わる遺伝子座が存在することが明らかにされた。専門誌に発表された論文によれば、この遺伝子座にはヒトの長寿をコントロールするマスター遺伝子が含まれている可能性が高いという。従来、多くの研究者はヒトの長寿には多様な遺伝子が少しずつ影響し合っているものと予想してきたのだが、それに反し、この研究結果は単独あるいはごくかぎられた一部の遺伝子のみによってヒトの長寿が決定されている可能性を示唆している。この調査研究を主導した一人で、老年医学研究者のトーマス・ぺリス・ハーバード大学助教授は、「長寿用遺伝子ブースター」とでもいうべきこの遺伝子をもつ人は、もたない人よりも平均して二十年ほどは長生きすると語っている。ぺリス博士らによると、長寿者およびその兄弟姉妹は老後も非常に良好な健康状態にあり、平均的な人と比べてとても有利な遺伝的形質をもつことは確かだという。

第四染色体上の特定領域内に存在することが明らかになった長寿遺伝子(群)の機能はまだ解明されるにいたっていないが、研究者らはいくつかの仮説を立てその実証を進めている。その一つは、アルツハイマー症、糖尿病、癌、心臓病などのような加齢に伴う疾病の発症を促す遺伝子が一般人に比べてはるかに少ないか、逆により有効な免疫系をそなえた遺伝子を受け継いでいるかのどちらかだろうというものだ。そのほかに、老化速度を遅くする能力をそなえた遺伝子を継承しているため、加齢に伴う諸々の疾患の発症が遅れるからだという仮説などもある。いずれにしろ、それらの遺伝子の正確な位置特定と、それが長寿を生みもたらすメカニズムの解明、さらには老化の過程における体細胞への制御情報伝達経路などの検証が現在緊急の課題となっている。

長寿遺伝子は認知症を防ぐ

アルバート・アインシュタイン医科大学加齢研究所のニル・バジライ博士らのグループによる高齢者の認知能力に関する最新研究も興味深い。この研究の被験者としては東ヨーロッパ出身のアシュケナージ系ユダヤ人一族が選ばれた。この一族が被験者として選ばれたのは、世界的に長寿の家系として有名であるほか、彼らの祖先の数が少数であるために一般の人たちに比して個々人の遺伝子構造の違いを追跡調査しやすいからであった。この調査においては、アシュケナージ系ユダヤ人の子孫で九十五歳以上の被験者百五十八人と、アシュケナージ系ユダヤ人の子孫ではない同年齢層の同数別グループ被験者を対象に特別な知能テスト(認知力テスト)を実施し、その成績データが詳細に分析された。この知能テストでは三十問中二十五問以上の正解者が合格とされたが、正解者のうちアシュケナージ系ユダヤ人の占める割合は圧倒的に高かった。そして、被験者の遺伝子を解析した結果、合格した人々の遺伝子には不合格となった人々の二倍から三倍もの特殊な遺伝子変異が存在していることが突き止められた。「CEPT VV gene」と呼ばれるこの変異した遺伝子には、コレステロール分子のサイズを大きくする働きがあることがわかっている。コレステロールは分子のサイズが小さいほど血管壁に付着蓄積しやすいので、小さいコレステロールは血管に詰まって血流を妨げ血栓などを引き起こしてしまう。ところが、この「CEPT VV gene」はコレステロール分子を大きくするので、コレステロールが血管に蓄積したり詰まったりしにくくなる。この変異遺伝子のおかげで、動脈硬化や心筋梗塞、脳卒中のリスクが低減して長寿をもたらすばかりでなく、脳の血流がよくなるために精神機能も明晰に保たれるのではないかという。長寿遺伝子は加齢に伴う認知症の予防にも役立っているというわけだ。

この研究グループは、七十五歳から八十五歳のアシュケナージ系ユダヤ人百二十四人を対象にした研究調査でも、同じ「CEPT VV gene」が認知能力の優劣に大きく影響していることを立証した。この被験者らの追跡調査により、認知症を発症しなかった人々は認知症を発症した人々よりも、加齢による老化の促進を抑えるこの変異遺伝子を五倍も多く持っていることが判明したという。その後の調査でも、百歳以上の長寿に恵まれる人々は、アシュケナージ系ユダヤ人にかぎらず、一般の人々よりも三倍以上多く「CETP VV gene」を有しており、その働きによって平均値よりもずっと大きなコレステロール分子をもつことがわかってきた。この遺伝子変異は平均値をはるかに超える長寿をもたらすばかりでなく、次世代に継承されることも明らかになっている。血管中の血栓形成を防ぐ効果のほかにも、未発見の保護機能によって脳の認知力の保全をおこなっている可能性もあり、そのメカニズムが解明されればアルツハイマー症の防止に大きく役立つものと期待されている。脳の働きが良好でないとすればたとえ百歳以上長生きできるとしても喜ばしいことではないが、バジライ博士らの研究結果は、例外的な長寿を支える遺伝子変異には同時に長寿者の明晰な思考能力を維持する作用があることを示している。

バジライ博士は、「長生きできるかどうかはその家系に長寿者がいるかどうかが決め手になります。ライフスタイルはかならずしも関係ありません。アシュケナージ系ユダヤ人のほとんどは菜食主義者ではありませんし、特別な運動を続けているわけでもありません。なかには九十年以上タバコを吸い続けている人だっています」と語っている。「CETP W gene」に恵まれていない人は目下のところ過度の喫煙と飲酒を慎み、ポリフェノール類を多く摂取し、血圧を下げ、適度の運動によって身体機能を正常に維持しつつコレステロール値を下げる努力をするしかないようだ。しかし、バジライ博士らは、現在この遺伝子変異の効果を真似ることのできる薬品の開発研究を進めているところだというから、近いうちに朗報がもたらされることになるかもしれない。

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