東京海洋大学の吉崎悟朗博士・竹内裕博士らの主導する研究チームの驚くべき発見と、それに伴う画期的な技術開発が国際的に大きな注目を浴びている。 発生工学を専門とする両博士らが「代理親魚技法」と名づけたその新技術の発端はニジマスの産卵に関する研究だった。魚卵から孵化したばかりの稚魚(厳密には仔魚という)の体内には、成長するにつれ精子や卵子へと分化する「始原生殖細胞」が存在する。ニジマスの稚魚からこの始原生殖細胞を採取し、マイクロピペットを用いて免疫系が未発達の別のニジマス稚魚の生殖腺付近に移植してやると、移植後その細胞は自力で生殖腺内を移動し分裂・増殖した。そしてその稚魚を成熟させると、その稚魚本来の精子・卵子にあわせて、移植された細胞由来の精子・卵子を生み出した。さらにニジマスの始原生殖細胞をヤマメの稚魚に移植してみると、成長したヤマメのオスにはヤマメ本来の精子・ニジマス由来の精子が、また成長したメスにはヤマメ本来の卵・ニジマス由来の卵が混合して形成された。そこで、全体の〇・四%ほどにあたるニジマス由来の卵とニジマス由来の精子を交配させると、ニジマスの稚魚が生まれ、やがて完全な成魚となることが確認された。
吉崎・竹内両博士らはなおも研究を進め、ヤマメの稚魚の孵化直後に水温を十五度ほど上げてやり、減数分裂不可能な三倍体(三組の染色体を持つ個体)の不妊ヤマメの稚魚をつくり、それにニジマスの始原生殖細胞を移植してみた。すると成熟したそれらのヤマメはニジマスの精子と卵だけを形成、双方を交配させるとニジマスの稚魚が誕生し立派な成魚になった。同じ科の大型種の魚の精子と卵を小型種の魚に形成させて受精し、成魚にまで育て上げるこの一連の研究はネイチャー誌に発表され、世界中の研究者に注目された。
オスのみで種の保存可能に
一連の研究はより大きな発見へと繋がった。孵化直後の稚魚の始原生殖細胞は卵原細胞と精原幹細胞に分化し、そのあと卵原細胞は卵母細胞を経て卵に、精原幹細胞は精母細胞を経て精子になっていく。オスの成魚は精子のもとになる精原幹細胞を持っているので、ニジマスのオスから採取した精原幹細胞約一万個をヤマメのメスの稚魚に移植してみると、その四割ほどでは、数個の精原幹細胞が生殖腺に取り込まれて卵巣に移動し、卵原細胞へと分化することが確認された。そして、その稚魚を成長させて卵を生ませたところ、精原幹細胞由来の卵も通常の卵と同様に受精能力をもつことが判明した。さらに、オスのニジマス成魚の精巣から採取した精原幹細胞をヤマメの稚魚に移植してやると、始原生殖細胞を移植した場合と同様に、成長したオスからはヤマメ本来の精子・ニジマス由来の精子が、また成長したメスからはヤマメ本来の卵・ニジマス由来の卵が得られた。その中のニジマス由来の精子とニジマス由来の卵とを交配させると、やはりニジマスの稚魚が生まれて成魚となった。
そのメカニズムの詳細は未解明だというが、「近縁種魚を代理親とすることによりオスの魚だけでも種の保存と繁殖が可能となる」というこの発見はサイエンス誌に発表され、絶滅危惧種の魚類の保護にも貢献する画期的研究だとして大きな反響を呼んだ。
一般に魚卵は大き過ぎて長期にわたる凍結保存やその解凍作業が困難なため、種を維持するには常時繁殖・飼育を繰り返す必要があった。だが、始原生殖細胞や精原幹細胞はきわめて微小なため長期の凍結保存が可能で、必要時にそれらを解凍・移植して精子や卵をつくることができるようになった。吉崎博士傘下の研究チームは実際に凍結保存したニジマスの始原生殖細胞を解凍して用い、ニジマスを誕生させる実験に世界で初めて成功した。
また、オスの魚の種を保存する場合、従来はその精子を冷凍保存していたが、この方法だとメスの産む卵の中にしか存在しないミトコンドリアDNA(その種独自の特性を子孫に伝える機能を持つDNA)を次世代に伝えられないという欠陥があった。だが、凍結保存した精原幹細胞を用いるこの研究チームの新技術の場合、精子と卵を同時につくりだせるため種の保存に不可欠なミトコンドリアDNAの復元も可能なのだ。絶滅危惧種の保存技術として評価される最大の理由もそこにある。なお、精原幹細胞を用いるとYYの遺伝子を持つ「超オス」が誕生することがあるようで、その応用研究も今後の課題となっている。 哺乳類の精原幹細胞でも卵子が形成されるかどうかは将来のテーマだが、原理的には哺乳類にも応用可能な技術であることから、先々は栽培漁業ばかりでなく各種家畜などの効率的な育種やその保存にも役立つだろうと考えられる。牛や豚の卵子をマウスなどの小動物につくらせることや、優良品種の雄牛の精原幹細胞から卵子をつくって自家受精させ、親牛同様の優良肉質の子牛を量産することも夢ではない。優良種の「超オス」などは高い評価を受けることにもなるだろう。クローン技術の場合には親子の遺伝情報は全く同一だが、この新技術では親の特質が子に濃く反映されはするものの、遺伝的には幾分異なる子が生まれるので、親よりも優れた子が誕生する可能性も十分ある。優れた遺伝子をもつ「超オス」などには、栽培漁業者や畜産業者から数多くの引き合いが生じることも期待される。
進み始めた実践的応用研究
千葉県館山市にある東京海洋大学先端科学技術研究センターではサバ、イワシ、ニベ、マグロなどの海洋魚による応用研究が進んでいる。巨大な研究用FRP水槽や関連機材を納めている(株)アース社入江徹氏の仲介で同センターを訪ね、竹内裕博士に会うことができた。博士の案内で見学した各種水槽では、サバ・ニベ・アジの稚魚や成魚、マグロやオオニベの成魚などが日本の栽培漁業の未来を背負って元気に泳ぎ回っていた。体長百六十センチにもなるオオニベの精原幹細胞を、成魚でも手のひらサイズ程度のニベの稚魚に移植してオオニベの精子や卵を生ませたり、マグロの精原幹細胞を同じ科に属するサバの稚魚に移植してマグロの精子や卵を生ませたりする基礎研究は着々と進んでいるようだ。アジとマグロ、ニベとマグロ、アジとブリのような組み合わせの研究も進行中らしい。現在のマグロ養殖技術は親魚を維持生息させるだけでも広大な生簀や多大のコスト・労力を要する。もし五年から十年先にアジやサバにマグロの精子や卵を生ませる技術が実用化すれば、生簀維持費や飼育費などの養殖コストが大幅削減できるほか、産卵期の制御や親魚数増加による種苗の遺伝的偏りの回避なども可能で、安価なマグロの大量供給が実現する。
絶滅危惧種魚類の保存に関しては、アメリカ海洋大気圏局(NOAA)との間で代理親魚技術応用の共同研究が進んでおり、アイダホ州に生息する稀少種紅鮭(sockeye)の維持保存のほか、チョウザメやヘラチョウザメなどの稀少種魚保存への貢献も期待されている。