FBI通信傍受システムの現状
なにかというとプライバシーの保護や国家・企業の機密保持の重要さが声高に叫ばれるご時世だが、通信傍受技術の発達によって、もはやそんなことなど絵空事になろうとしている。その現実を認識するには米国における通信傍受システムの実態に目を向けるだけで十分だろう。千ページもの極秘文書の開示に伴い、最近、米連邦走査局(FBI)によって、米国内に存在するすべての通信機器の通信内容を傍受できるシステムが配備されたことが明らかになった。この高度な通信監視システムを用いると、ごく簡単な操作によって、交信者の電話番号や所在地、通信内容の情報などをリアルタイムで記録したり、それらのデータを捜査官に送信したりできるという。各種の通信事業者が管理するシステムとFBIの傍受ルームとを接続するこのシステムは「DCSNet(Digital Collection System Network)」と呼ばれ、専門家の予想をもはるかに上回る複雑な形をとって米国の電気通信インフラの中に組み込まれている。そして、全米の民間通信ネットワークと米国内に点在するFBIの傍受拠点とを直結し、必要に応じて、通信者の電話番号やメールアドレス、通話やテキストメッセージの内容などを自動的に収集、分別、保存することができる。
この大規模な通信傍受システムはWindowsマシンで作動する三つの主要なサブシステムから成っている。「DCS-3000(別称Red Hook)」という第一のシステムはペンレジスター(発信者情報の分析と記録)とトラップ・アンド・トレース(受信者情報の分析と記録)を担当するもので、通信内容の監視には関わらない。「DSC-6000(別称Digital Storm)」と呼ばれる第二のシステムは、各種通信内容やテキストメッセージの収集記録と分析の機能をもち、通信傍受命令に直接的に対応する。第三の「DCS-5000」は高度な機密システムで、スパイやテロリストを対象とする通信傍受に用いられているという。
FBIの調査官は、この監視システムによって収集した情報のマスターファイルを作成し、翻訳が必要な場合などには即刻そのデータを担当部局に送信できる。携帯電話基地局の情報によって監視対象者の動向をリアルタイムで追尾できるほか、傍受した情報を捜査官に転送することも可能である。集中監視設備をもつFBIの傍受ルームの所在地は非公開だが、現在全米で百ヶ所近くは存在しているようだ。それらの傍受ルームと各通信事業者のシステム間および各傍受ルーム間はインターネットとは異なる独自の基幹回線網で結ばれ、暗号化されたデータによる交信が行なわれているという。
このシステムを用いると、ニューヨークのFBI調査官がロサンゼルスで使われている携帯電話の傍受工作を遠隔操作で設定することにより、ニューヨークにいながらにして傍受対象者の位置を特定し、通話内容、テキストメッセージ、ボイスメールのパスコードなどを把握できるようになる。また傍受した通信データは通信パターンの解析訓練を受けたFBI分析官の元に自動的に送信される。各種の傍受情報は毎晩FBIのデータベースに転送され、リンク分析という特殊なデータマイニング(有力情報を洗い出す作業)にかけられる。DSCの全容はなお未公開のようだが、プライバシーの秘守などもはや不可能になったといってよい。通信傍受法が存在する日本においても、関係当局によってこの種の通信傍受システムが導入されるのは時間の問題だろう。
悪名高いエシュロンの実態は?
FBIの傍受システムには驚かされるが、国際的な通信傍受システムとしてその存在がいまや公然の秘密ともなっているエシュロン(Echelon)の技術や機能はより驚異的である。FBIの傍受システムなどもエシュロンの技術の一部を発展的に継承し特殊化したものであり、両者には深い関係があるとみてよいだろう。エシュロンとは、米国、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏五ヵ国の諜報機関によって運営されている全世界対象の通信自動傍受・中継システムのコードネームにほかならない。事実上、エシュロンは米国のNSA(国家安全保障局)と英国諜報機関とがシステム全体の運営をリードしているといわれるが、米英両国などはいまだにその存在を認めようとはしていない。オーストラリアとニュージーランド政府だけはその存在を認めたものの、米国などなおはその事実についてのコメントを拒否しているありさまだ。
エシュロンは全世界の電話、電子メール、インターネット、地上マイクロ無線波、さらには各国の打ち上げる各種人工衛星の発信電波など、あらゆる通信データを無作為に傍受・収集している。近年ではその傍受能力は一日あたり三十億回分の通信に対応できるまでに高まり、全世界の通信の九十パーセントもが傍受可能だといわれている。無作為に収集された膨大な情報からは、高度の解析力と分別能力をもつ諜報プログラム「Dictionary」によって重要情報だけが抽出され、データベースに保存される。エシュロンの通信傍受施設は関係五ヵ国の領土内ほか、日本の三沢基地、キプロス基地、プエルトリコのサバナセカ基地、ドイツのバートアイプリング基地などに設置されている。そのほか、米、英、豪などの各国在外公館内に設けられた傍受施設や多数の人工衛星、EP3電子偵察機、携帯用小型特殊傍受器具なども情報収集に用いられ、さらには原潜などにより深海の通信ケーブルに盗聴装置を仕掛けることまで行なわれているらしい。
エシュロンの当初の目的は冷戦時代の旧ソ連や中国、北朝鮮、東欧諸国などの政治・軍事情報を収集分析することであったが、冷戦終結後その狙いはテロ組織のほか、友好国を含む各国の主要政財界人や外交関係者、重要民間組織、産業人、先端科学の研究者や技術者などへと向けられるようになった。たとえば、通話傍受の一手口として、まず狙いとする特定人物の音声波形を収集分析してデータをスパコンに記憶させておく。そして、空中や各種通信回路中を無数に飛び交う電波を無作為に傍受、スパコンによる超高速マッチングによって当該人物の音声だけを抽出し、その会話内容を把握するという具合なのだ。日本各界の重要人物の電話などは常時盗聴され、個々の詳細なプロファイリングさえ行なわれている可能性もある。国際間での企業競争が激烈になったいま、自国の企業と競合する他国企業の機密情報を入手し国益を守ることが、エシュロンの主要目的になっている。事情通の間では、過去に日本企業が受けた損害は相当額にのぼると噂されている。欧州会議エシュロン特別委員会が「エシュロンは人権やプライバシーを侵害する」という報告書を可決したのもそのような背景があってのことなのだ。故ダイアナ妃も生前エシュロンの監視下に置かれていたという。
超法規的な機密組織であるエシュロンの統括責任の所在は米国においても不明とされ、議会も法廷もその活動実態を検証できないというが、全世界で八万人ほどの職員が働いているようだ。通信傍受の行為自体は違法でないが、自国の情報機関でさえも通信内容を漏洩すれば違法となる。そのため、米国内の傍受データの解析は英国の組織が、また、英国内での傍受データの解析は米国の組織が担当し、日本での傍受データはニュージーランドの組織が解析するといった巧妙な対応策がとられている。エシュロンの存在を知る他国は当然機密情報の暗号化を促進しているが、重要情報の伝達プロセスすべてを暗号処理するのは事実上不可能だから通信内容傍受の完全防止は困難だ。たとえすぐに暗号の解読ができなくても、ある暗号パターンが繰り返し出現したあとどんな事件が起るかをチェックすることによって、暗号解読のキーを得ることもできるのだという。最高機密事項は紙に手書きしそれを厳封して送るという、なんとも時代遅れな方法が最善だという珍妙な事態にもなりかねない。