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33. 露呈したバイオ燃料の「反環境性」

原油価格の異常高騰や温室効果ガスの自然環境への影響の有無が議論の的となっているなか、バイオ燃料の開発生産に向けた各国の動きは慌しい。直ちに利用可能なクリーンエネルギーとされるバイオ燃料への期待が大きいからである。安全かつ無尽蔵な夢のエネルギー源と期待される核融合炉の実現にはなお時間を要するから、当面我々はバイオ燃料に依存せざるをえない。そのバイオ燃料促進の謳い文句は、「原料となる各種有機生物が成長に際し二酸化炭素を大量に吸収するので、バイオ燃料使用による排出ガスとの差し引き量はゼロとなる。また、廃棄物や副産物はすべて自然界のバクテリアによって無害な物質へと完全分解されるので、環境汚染を惹き起こすこともない。生産システムが整えばコスト的にも現在の原油に比べて安くなる」といったようなものである。現在、バイオ燃料生産の原料はトウモロコシ、大豆、サトウキビ、などの食用作物が主体であるため、そのような作物を用いた燃料生産が環境にリスクを及ぼすだろうとは誰も考えていない。米政府が積極支援する業界団体の全米バイオディーゼル員会もその安全性を強調するのみである。

クリーンなはずが汚染源に

現況からするとバイオ燃料の前途はバラ色にも思われるのだが、ここにきてアメリカやブラジルなどでその生産に伴う環境への思わぬ悪影響が露呈しはじめた。米国の専門家からも大量のバイオ燃料生産が自然界に及ぼす影響を危惧する声が上がっている。三月十一日付けのニューヨークタイムズ紙は、アラバマ州の分譲住宅地リバー・ベンド・ファームの住民が付近を流れるブラック・ウォリアー川の水が真っ黒な泥土で汚染され悪臭を放っているのを発見したと報じている。その住民がボートで川を遡り汚染源を突きとめてみると、驚いたことにそれは近隣にあるバイオディーゼル工場だったという。

繰り返し排出される油状の汚染原因物質は、当局による分析の結果、バイオディーゼル製造の副産物である大量のグリセリンと不要オイル類だと判明した。許容レベルの四百五十倍にも及ぶそれらの原因物質は、自然界のバクテリアによって分解されるどころか、急速に水中の酸素を吸収して極度の酸欠状態をもたらし、魚類や水草、さらには水生微生物を死滅させ、腐敗した油状の黒色汚泥となって下流域はるかなところまで広がっていたという。アラスカ沖での原油流出事故にも匹敵する汚染ぶりで、鳥類にとっても致命的な状況であるようだ。副産物のグリセリンやオイル類自体は本来無害で、精製し二次加工して製品化することはできるのだが、その処理には高度な技術や複雑な工程を要するうえ、せっかくの二次製品も供給過剰で採算がとれない。また無害化処理自体もバイオ燃料のコスト高に繋がってしまう。そのためバクテリアの分解処理能力を超える大量の原因物質が放出され、想定外の汚染がもたらされる結果になったのだ。

この種の環境汚染は全米各地で起こっている。今年一月、ミズーリ州ではバイオ燃料製造業者が同様の廃棄物により何万匹もの魚を死滅させ、絶滅危惧種の貴重な貝の個体群を潰滅させたかどで起訴された。また、最近、米国の穀物メジャーのひとつカーギル社が、傘下のバイオ燃料工場の度重なる廃棄物排出により環境を汚染したとして、アイオワ州のバイオ燃料工場を対象としたものとしては史上最高額の罰金を徴収されている。排出されたのは工場内で処理不可能なアンモニアと酸素の複合化合物やグリセリンなどだった。

三月にブリティッシュ・コロンビア大学サイモン・ドナー教授らのグループが発表した研究結果も衝撃的だ。バイオエタノール用トウモロコシの生産増大に伴い、メキシコ湾内では海水の酸素濃度が二ppm以下となる海域「デッドゾーン」が急速に拡大し、一帯の海洋生物が窒息死する事態になっている。回遊魚以外の魚類や海底に生息する生物の絶滅は不可避であるという。一夏ごとにデッドゾーンは二万平方キロずつ広がっており、同海域での商業漁業やスポーツフィッシングは潰滅してしまった。穀倉地帯でトウモロコシ増産のため用いられる過剰な窒素肥料がミシシッピ川やアチャファラヤ川を介してメキシコ湾に流入、大量の窒素酸化物となって海洋を汚染しているからである。窒素化合物を吸収して一時的に異常繁殖した藻類が大量死し、川底や海底に沈んで腐敗し汚泥化するのもデッドゾーン拡大の要因であるらしい。同教授らは、「バイオ燃料増産政策が続く限りメキシコ湾のデッドゾーン除去は絶望的である。河川や海洋の窒素酸化物汚染を防ぎ、同時に必要なバイオエタノールを生産しようというなら、米国の農家は従来のようなトウモロコシによる家畜育成をやめ、農業生産技術の劇的な改革を実現するほかない」と警告している。

二月のサイエンス誌においてプリンストン大学の研究者は、「バイオ燃料増産のため新たな農地を開墾し、原料作物を育成収穫し、燃料を生成するまでの必要エネルギーを考慮すると、二酸化炭素吸収度の低いトウモロコシから生成したエタノールを用いるなら、今後三十年にわたって温室効果ガスの排出量が五割増しになる」との見解を公表した。また同じサイエンス誌上で自然保護団体ネイチャー・コンサーバンシーの研究者らも、「バイオ燃料用作物栽培のため農地を開墾した場合には、化石燃料をバイオ燃料に代えることによって削減される二酸化炭素量の四百倍にも及ぶ二酸化炭素が放出され、それを相殺するには何百年もかかる可能性がある」という推定結果を公表している。

欧米諸国におけるバイオ燃料需要の増大は、熱帯雨林地帯に位置するブラジルやインドネシア、マレーシアといった発展途上国の森林破壊を促進している。しかも、森林が吸収していた二酸化炭素量のほうが森林伐採地で育成されるバイオ燃料用作物による二酸化炭素削減量より多いというのが実態なのだ。ブラジルでは毎年石川県にも相当する面積の森林が伐採され、インドネシアでは二酸化炭素の貯蔵庫である泥炭地の熱帯雨林がエネルギー企業によって次々に破壊されている。もしも燃料用作物栽培のため森林が焼き尽くされるようなことになれば、排出される二酸化炭素量を相殺することは不可能となるだろう。米国ではバイオ燃料事業への巨額な投資が進み、オバマ大統領候補などはバイオ燃料政策促進を提唱中だが、著名な環境生物学者らはその楽観的な主張に批判の色を強めている。

次世代バイオ燃料に期待

食用作物の燃料への転用には問題が多いが、多年生植物や使用済み食用油、各種有機廃棄物から生成されるバイオ燃料は将来的に有望だ。米国の合成生物学者らは遺伝子操作によってセルロースからなる植物性廃棄物を効率よく糖に分解する微生物をつくり、得られる糖からエタノールを生成することを狙っている。シロアリの腸内に棲み木材をエネルギーに変えるはたらきをしている二百種ほどの微生物の機能解明もその研究の一環だ。
米国西オンタリオ大学の研究者が開発したバイオオイルも注目に値する。生育中の草木類、石炭や泥炭、植物性泥土、木屑、食用作物の茎や樹皮片、農林業の廃棄物など、有り合わせのバイオマス(有機資源)を細かく粉砕し高温下で熱分解すれば、汎用性のあるこの特殊なオイルが生成される。環境への負荷も少なく経済性もエネルギー効率も高い。植物資源に恵まれた我が国がバイオマスを用いた次世代バイオ燃料生産技術確立を目指すのは当然で、東京ガスと新エネルギー・産業技術総合開発機構が、近海に豊富な海藻からメタンガスを生成し発電用燃料とする「海藻バイオマス発酵プラント」を開発したのもそのためだ。

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