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37. 科学者を惑わす「新電磁推進システム」~この時代に永久機関論争勃発~

宇宙船や宇宙探査機、各種人工衛星などに推進力を与えたり、それらの姿勢制御を行ったりするには、なにかしらの推進システムが必要だ。通常、推進システムには、各種燃料の燃焼噴射、イオンの加速噴射などによって得られる推力(反動力)が用いられる。宇宙船や各種探査機などを搭載したロケットを打ち上げるには短時間に強力な推力を確保する必要があるから、固体燃料や液体燃料に依存する「化学ロケット」を用いるしかない。しかし、それら宇宙開発機器類がいったん宇宙空間に打ち上げられたあとの加速や姿勢制御、軌道制御などには、化学ロケットと並んでイオン噴射ロケットが使われる。

イオンロケットは、イオンの持つ電荷を利用して電気力学的にイオンを加速噴射させ、それによって推力を生み出す一種の電磁推進システムだ。真空中で作動するイオンロケットは、化学ロケットに比べ遥かに持続性が高いので、化学ロケットでは達成不可能な推力や速度を生み出すことができる。

論争を呼ぶ新システム

ただ、イオンロケットは推力密度(瞬間的に得られる推力の大きさ)が小さいため、加速に要する時間が非常に長く、また一時間あたり約十グラムの推進剤も必要となる。百日間連続稼慟させると二十四キログラムの推進剤が要る計算だが、グラム単位の質量の増減さえも問題となる宇宙探査機などに搭載できる推進剤の量には限界があるから、一定時間を超えるイオンロケットの稼慟はやはり不可能なのである。

最近、その技術的壁を克服する試みとして、英国の科学者ロジャー・ショーヤーが新たな「電磁推進システム」(Electromagnetic Drive 略してEmDrive)の開発を提唱した。推進剤を用いず電気エネルギーをマイクロ波に変換して推力を生み出すというその原理は「ニュー・サイエンティスト」誌に掲載されたが、多くの研究者から、「永久機関」なみの愚かな夢想に過ぎないという批判の集中砲火を浴びる結果になった。また、「ニュー・サイエンティスト」誌自体も、科学専門誌としての見識を厳しく糾弾される事態に陥った。「電気エネルギーを質量ゼロに近いマイクロ波に変えて放出するだけで推力が生まれるという理論は、ニュートン力学の運動量保存の法則に反するもので、そんな電磁推進システムなど実現できるわけがない」と考えるのは、見識ある科学者にとって当然のことだからだ。

通常の場合、この種の嘲笑ものの発案をするのは、自宅の裏庭の物置の中などで画期的だと自画自賛する怪しげな研究に専念し、アインシュタインやハイゼンベルクの理論は間違っていると主張して憚らない類の人物と決まっている。ところが、ロジャー・ショーヤーは欧州の宇宙関連企業EADS Astrium社でレーダーや通信システムの開発に携わり、同社で宇宙開発プログラムの責任者を務めたこともある研究者なので話は厄介なのである。ショーヤーは現在も自らが率いるの英国SPR(Satellite Propulsion Research)社において、電磁推進理論の正しさを裏付けようと、複数のデモ用エンジンを試作し続けている。

中国研究チームが開発に参戦

ロジャー・ショーヤーは、「先端が長円錐状に細くなった特別設計の共鳴空洞内に電気エネルギーをマイクロ波に変換して充満させ、凝縮共鳴させて共鳴管の中心軸方向に放出すると、ニュートン力学では説明不可能な推力が生じる」と主張する。諸々の批判に対しては、「ボース・アインシュタイン凝縮と呼ばれる超伝導現象同様の相対論的あるいは量子論的な現象であって、アインシュタイン理論や量子力学理論に立脚しており、その意味でも永久運動機関とは異なるものだ」と反論し、「共鳴空洞内のマイクロ波には通常とは異なる基準座標系が適用されるので運動量やエネルギー保存の法則とも矛盾しない」と述べている。

多くの批判の声を受け、英国政府はこのシステム研究に対する支援を打ち切ったが、米国や中国の一部の研究者や企業はなお強い関心を示している。中国の西安にある西北工業大学(NPU)の楊涓教授らはSPR社と連携しその研究を促進中だ。昨年六月、楊涓教授の指導のもとに研究を開始したNPUのチームは、独自に数学的シミュレーションを行い、先端が細くなったごく単純な共鳴空洞から実際に推力が得られるとの結論に到達したという。そのシミュレーション結果から予測される推力のレベルは、SPR社の実験結果にも近いとされている。非現実的だと過去一笑に付されてきた「新電磁推進システム」の仮説理論検証に成功したというNPUチームは、独自にデモ機の建造に着手するとも報じられている。

NPUの楊涓教授は、共鳴空洞内でプラズマジェットを加速させ推力を得るマイクロ波プラズマ推進器の研究者として知られている。宇宙軍事技術の専門家でもある同教授はこの種の研究分野で豊富な経験を有し、問題の電磁推進装置が現実に稼慟可能かを判断する能力があるとされるだけに、今後の動向が注目されている。新電磁推進システムに懐疑的な研究者らは査読付きの学術誌に関係論文が掲載されるのを待っている模様だが、そうなったとしても専門家の間で一大論争が起こることは間違いない。

EmDriveとマイクロ波プラズマ推進とは原理的にまったく異なるものであるが、装置の構造や製作技術は基本的に類似している。日本でも東大の研究チームが、マイクロ波のパルスビームをパラボラ型反射鏡の焦点に集めて約一万度のプラズマを生み出し、その部分の空気を爆発的に膨張させて推力を得る「マイクロ波推進」の研究を進めている。世界初のマイクロ波ロケット打ち上げの実証試験を行ったことなども、EmRriveが関心を呼ぶ遠因の一つではあるのだろう。

現在NASAが用いているイオン推進器「NSTAR」の推力が九グラム重であるのに対し、EmDriveの推力は八・三グラム重と少し劣るが、消費電力はNSTARの五分の一で済み、重量はNSTARの三十キログラム余に対し七キログラムほどしかない。推進剤不要のEmDriveは電力供給さえあれば永続的に稼慟可能だから、実現すれば宇宙探査機や人工衛星の寿命は飛躍的に延び、深宇宙探査も容易になる。太陽電池使用のEmDriveなら有人火星飛行も四十日くらいで達成できると試算されている。常識を覆しEmDrive開発に成功すれば、既存の宇宙推進技術は一掃され、中国は世界の宇宙開発をリードすることになるだろう。

「永久機関」なみと揶揄されながらも、なお真剣にこの種の研究が進められる背景には、無から有が生じることや確率ゼロの事象が現実に起こること、さらには、相反する二様態を同時に維持したりすることなども可能だとする量子論の流行などもあるようだ。非現実的理論だと直感はしてもそれに論理的反論を加えるのは容易でなく、それゆえにまた、もしかしたらという一抹の思いも湧く。現代の科学理論の真偽判定はそれほどに難しくなったということなのだ。

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