執筆活動の一部

34. 亡国の「大学院教育」

「科学技術創造立国」の看板が泣いている

大学の四年制学部がモラトリアムを楽しむ若者らの温床、さらには単なる就職活動の場と化した現在、高度な専門教育や学術研究の舞台は大学院へと移っている。そのような状況下にあって、この国の標榜する「科学技術創造立国」を実現するには、理工学系大学院教育の充実が喫緊の課題となる。だが、その実情はなんともお寒いかぎりなのだ。去る五月、自然科学研究機構岡崎コンファレンスセンターで「教育・研究環境のあるべき姿」をテーマとした会議(日本学術会議・日本化学会・分子科学研究所共催)が開かれたが、その場で交わされた大学院教育改革についての議論や関連資料などからは、大学院教育の憂うべき実態が如実に浮かび上がってくる。日本の科学研究の最先端に立つ研究者らの苦渋の声に我々国民はもっと真剣に耳を傾けるべきだろう。

知の産出なき繁忙に苦しむ教員

実を言うと、国家財政の逼迫に伴う研究教育費削減と経営の合理化とを狙った国公立の大学・研究機関の法人化や、「成果主義」を旗印にした政官主導の産学共同促進に伴うひずみの表面化がこの問題の背景になっている。これら一連の改革には、予算使用の自由度が高まったこと、大学の自浄能力が向上したこと、諸学問分野間の連携が緊密化し相互に研究協力を進める契機となったこと、産業界との人材交流が深まったことなどの利点もあった。

だが、「近年、大学人は目の前の雑務に追われ、深い思索を重ねる時間を奪われる危機的状況に陥っている。大学の法人化に伴い、個々の研究評価や各研究組織・グループ単位ごとの活動の可視化が求められ、それらに膨大な時間を割かなければならない。そういう要求にも一定の正当性はあるが、それが過度になると研究者本来の深い思考に基づく知的生産に暗い影を落とす。また、予算削減圧力をかけ続ける行政への対応もあるため、大学は本質的な知の産出なき繁忙状態に瀕している。当面は過去の成果を組み合わせる小手先の研究でその場凌ぎをしているが、大きな研究の流れには繋がらぬこの状況は、日本の学術研究衰退の序章にほかならない」という成田吉徳九州大学大学院教授の言葉に代弁されるように、大学院での教育や研究存続に対し多くの大学人が深い危惧感を抱いている。

懇親会で臨席した谷口功熊本大学工学部長の「法人化の悪影響で地方大学は財政的にも人材的にも逼迫し存亡の危機に瀕している。地方には独創性豊かな学生がいるが、彼らを一流研究者に育てるだけの余裕が大学にはない。優秀な准教授クラスの教官が研究そっちのけで予想だにしていなかった雑用に追いまくられているありさまだ。他の地方大学と提携して中国に分校を設け、人材の育成確保に乗り出したいくらいである」との言葉も印象的だった。

基礎科学研究の第一人者で哲学にも造詣の深い中村宏樹分子科学研究所長は、教育・研究費のGDP比が先進諸国より低いうえ、短絡的な成果主義導入のため新技術開発のみが重要視され、大学院本来の基礎学術研究が軽視されている日本の現状を「国家百年の大計にもとる」と批判する。そして、「教育には費用がかかる。しかし、それを惜しんで凡庸な国民をつくれば遥かに費用がかかる」というレーガン大統領時代の米国のレポートを引用しながら、成果主義に直結する目的解決型の応用研究ではなく、問題発掘型の基礎科学研究の重要性を強く訴えかける。技術的応用を直接視野におかない長期的な基礎科学研究こそが、のちに革新的な科学技術を生み出す「種」となるからである。だが、最近では、若い優秀な基礎科学研究者が、研究費やポスト獲得のため技術的応用を目指す実利的な研究に鞍替えせざるをえなくなっており、日本科学界の将来が危ぶまれる状況であるという。

日本以上に産学共同が進む欧米でも成果主義に基づく技術革新競争は激烈である。だが、欧米の政財界や産業界は、その時点では何が生まれてくるのかわからない基礎科学の重要性を十分に認識しており、基礎科学研究に対する大量投資を惜しまない。一定のリスクや無駄を承知で、確率論をベースにした保険算的理論に基づき未来の可能性を買うこの種の発想やその実践経験が我が国には決定的に欠落している。欧米の実利主義や成果主義のみを一面的に切り取って導入してみても、事態は悪化の一途を辿るだけである。

当日の会議に出席していた大竹暁文部科学省基礎基盤研究課長や岩瀬公一学術政策局学術総括官などからは、大学運営に経営学的手法を導入することの必要性を説き、もし大学院教育の現状に問題があるというなら、大学人も個々にその不満を述べているばかりでなく、相互に連携し合い、論理的かつ組織的に現在の危機的状況を訴え、積極的に具体的改革案を提示してほしい。そういった戦略がなければ財務省官僚や閣僚・議員とは戦えないという意見が出された。これは一理ある発言で、今後は大学人も真剣に対応策を模索しなければならないだろう。有能なネゴシエーターを擁立したり、研究の一線を退いた著名な学者らが積極的に教育行政や国政の中枢に関わるようにする必要がある。学術界も自らを代弁する人材を政界に送り込むべき時代になったということなのだ。

その意味では、ノーベル賞学者でもある野依良治理化学研究所理事長の「これはもう、大学や文部科学省の領域を超えた国民的政治課題である。我々研究者は諸々のマスメディアや各種の公的発言の場を通して大学院での教育や研究の成果が将来の国家の存亡を左右すること国民にアピールし、その支持を得るようにしなければならない。そうでなければ現状の脱却は困難だ」とする発言などは傾聴に値するものであった。ほかに、山中伸弥京大教授や審良静男阪大教授の業績を事例にした北澤宏一科学技術振興機構理事長の「日本の科学技術研究は世界に遅れていない」という発言などもあったが、山中、審良両教授の辿った過程を思うと、そのような状況認識にはいささか違和感を覚えざるをえなかった。

博士課程修了者が路頭に迷う国

大学院生のおかれている現状も問題である。二年間の修士課程修了後に就職を望む院生の場合、その就職活動は数ヶ月にも及び、そのうえインターンシップを行うとなると、受講や研究に費やす時間がほとんどなくなり、大学院に在籍する意味がなくなってしまう。日本の将来を思うなら企業側もその点を深く反省する必要がある。また、欧米とは異なり、博士課程修了者の採用を企業が敬遠しがちなことも問題だ。社会性に乏しく、ある特定領域の専門知識しかないので業務遂行に支障があるというのが表向きの理由のようだが、博士課程修了者を率先して採用する外国企業との違いがどこにあるのか、この際十分に解明しておく必要がある。大学院側も「専門研究者」ばかりでなく「高度職業人」を養成することを念頭においた指導もしなければならない。この面においてこそ産学共同体制の利点を活かしていくべきだろう。博士課程修了者の多くが路頭に迷うこの国の現状は先進国としては異常なことであり、その能力及びそこに投資された教育費の損失は計り知れない。

院生の奨学金も欧米に比べてお粗末の一語に尽きる。せめて国立大学の博士課程在籍中くらいは、生計の不安なしに研究に没頭できる体制を整えるべきである。現状では、どんなに将来性ある学生であっても経済的に不遇なら大学院での専門研究継続は難しい。かけるべき場所に金をかけないこの国は、大学院教育においても世界の先端から周回遅れの状態にある。このままの状況が続くと、「科学技術創造立国」どころか「科学技術葬送立国」になってしまうことだろう。

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