執筆活動の一部

7. 人工知能はどこへ向かうのか

人工知能とは?

人工知能(Artificial Intelligence)という言葉が初めて用いられたのは、一九五六年の夏ダートマスで開かれたコンピュータ・カンファレンスにおいてのことだった。当時新進のコンピュータ研究者であったマーヴィン・ミンスキー、クロード・シャノン、ジョン・マッカーシーらは、「オートマン」、すなわち「人間同様の推理思考や演算をおこなう自動機械」の研究促進をはかるため、全米のコンピュータ科学者に向かって専門的な研究会議の開催を呼びかけた。その際に会議運営の世話役を務めたジョン・マッカーシーは、同会議の意義やその目的をより明確にアピールするため「人工知能」という造語を思いついたのだった。したがって、この言葉に当初から明確な定義や概念が存在していたわけではない。

その会議に参加したアレン・ニューウェルとハーバート・サイモンは、その年から翌年にかけて、ジョージ・ポリアのヒューリスティック理論(発見的探索法理論:問題解決の効率的な手順や方法を探し出す理論)を応用した「ロジック・セオリスト」とその改良機「ジェネラル・プロブレム・ソルヴァー」を開発した。それらのマシンは、数学や論理学の定理を自動的に証明したり高度なパズルや文章題を解くことができたため、人工知能という言葉は一躍脚光を浴びるようになった。また、一九五八年にジョン・マッカーシーが人工知能用プログラミング言語「LISP」を開発、マーヴィン・ミンスキーと共にMITに人工知能研究室を設立するに及んで、その言葉は専門用語として学界に定着した。そして、一九六八年、アーサー・C・クラーク原作、スタンレー・キューブリック監督のSF映画作品「二〇〇一年宇宙の旅」が公開されると、その中に登場するコンピュータ「HAL」は、感情をもつ優れた対話型コンピュータとして研究者からも人工知能の理想モデルとされるようになった。ひとつには、シナリオの共同執筆に先立ってクラークとキューブリックが人工知能の先端研究者を徹底取材し、彼らのヴィジョンを参考にしたからでもあった。

潰え去ったバラ色の夢

コンピュータの演算能力の飛躍的向上を目にした初期の人工知能研究者は、人間なみの思考をしたり感情をもったりするマシンの実現は時間の問題だと楽観視していた。人間の脳は一種の生物学的小型コンピュータだから、十分な開発費と人材とを投入し、当時フレーム・ワーク型と呼ばれていたシステムを改良精緻化していけば目的の達成は困難でないと考えたのである。医療診断システムをはじめとする各種エキスパート・システムの開発もそのような展望の正しさを裏づけているように思われた。鳴り物入りで登場したにもかかわらずいつしか雲散霧消した日本の第五世代コンピュータ計画なども、むろんそのようなバラ色の展望に立つものであった。だがほどなく、HALに象徴されるような人工知能の実現は絶望的に困難であることが判明した。人間の脳というものは、論理演算を段階的に正確かつ整然として処理するノイマン型(直列型)コンピュータの構造をしているのではなく、それぞれに曖昧でいい加減な演算をおこなう低性能のコンピュータが無数かつ無節操に寄り集まり重なり合った、複雑怪奇このうえない並列型構造をしていることが明らかになったからである。一九八五年に「こころの社会(The Society of Mind)」という著作を刊行し、その困難さを指摘したのはほかならぬミンスキーであった。また、人間とマシンとの有名な対話プログラム「イライザ(ELIZA)」の開発者として名高いMITのジョセフ・ワイゼンバウムなどは、その著書において「最新の人工知能研究は現代社会の要請には程遠いものである。いま我々はコンピュータに叡智をもたせる方法を持ち合わせていないので、叡智を必要とする仕事をコンピュータに委ねるべきではない」と指摘もした。

明確な定義や秩序だった一定のルール、確固たる基礎データなどの上に成り立つ論理演算や各種証明、ゲーム処理などの場合には、それらがどんなに高度で複雑なものだったとしても現代のコンピュータは人間をゆうに凌ぐ能力を発揮する。IBMのスーパー・コンピュータ「ディープ・ブルー」がチェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフを破ったことは記憶に新しい。囲碁や将棋などにおいてはプロの一流棋士にはまだ及ばないものの、アマチュアの有段者相手だと互角以上の戦績をあげられるプログラムも登場している。だが、あらかじめ持ち合わせていない新しい概念を創造したり、明確なルールや約束事の通用しない問題にコンピュータが対応するのは難しい。大学生レベルの数学や化学の問題を解決できるコンピュータに、「ロープを引くことはできても押すことはできないのはなぜ?」とか、「どんな鳥でも飛ぶことができるかい?」とかいった幼児でも答えられる質問をすると、メビウスの輪の世界をゆくがごとき堂々めぐりの無限ループに陥ってしまう。きわめて常識的な問題の処理においては人工知能は乳幼児以下の「人工稚能」なのである。

人間や生物の部分機能の研究へ

完全自立型思考マシンの構築が容易でないと悟った研究者は、電子頭脳構築を目指すチューリング的発想を放棄し、人工知能の研究を、生物の運動機能や五感認識の探究、自然言語理解、認知思考、自己学習システムなどに分割、各々の分野の研究を個別に進めるようになった。単純な知的制御プロセスの組み込まれた昆虫型ロボットを開発し、それらをより高度で知的な構造体へと発展させようとするMITのロボット工学者ロドニー・ブルックスらの研究、日本の人型ロボットやアイボの開発、ロボット・サッカー大会「ロボカップ」の開催などもその一環だといってよい。高速ボールを認識しバットで捉える東大の打撃ロボットをはじめ、人間並み、あるいはそれ以上に優れた特定の五感の機能をそなえもつマシンなども登場しはじめている。グーグルやヤフーなどの検索エンジンも実は人工知能の技術を応用したものなのだ。米国防総省の援助を受けたレンセラー工科大学では、自然言語表記の文章を読んで自ら知識を習得したり、その内容についての推論をおこなったりすることのできるマシンの開発を進めている。たとえば、木星が太陽系中で最大の惑星であると知らなくても諸惑星のデータを読みとっただけで、「最大の惑星は?」という質問に答えられるようにするのが当面の目標だ。将来的には特定地域の文化、歴史、地理、などの情報を提示するとそれらを自動的に読み取り、そのあと「偵察に出ろ!」と命令するだけで任務を遂行できる軍事ロボットの開発なども狙っている。元スタンフォード大学教授ダグラス・レナートが一九八三年に立ち上げ発展を遂げながら現在に至っている「サイク・プロジェクト(Cyc-Project)」も特筆に値する。互いに関連のない三〇〇〇万個もの知識項目をサイクという知識データベースに与え、リンク機能や帰納的推論機能を用いてサイク自らがその内部に知識体系を構築することを目指しているのだ。すでにサイクは、相手の仕事の情報からその人物の給与額を推定したり、「冒険好きな逞しい人々の写真を」とリクエストすると、絶壁を登攀する男の写真を選び出したりすることができるという。

トム・ミッチェル元米国人工知能学会会長は、「自然言語を理解したり、顔を識別したり、経験に基づく推論をするマシンはすでに存在する。ただ、それらをどうやって統合していくかが未解決の難問なのだ」と述べている。また、MITのボリス・カッツ氏は、「私は三歳のこどものもつ常識をコンピュータにもたせることを目指している。だが、その実現はまだまだ先のことだ」と語っている。人工知能の研究者というものは科学と妄想の接し合う細い境界線上をバランスをとりながら歩くように宿命づけられているようだ。

カテゴリー 執筆活動の一部. Bookmark the permalink.