執筆活動の一部

28. ゲノム解析で明かされる人類史の謎

脚光を浴びる遺伝人類学

人類の誕生やその生物学的進化、文化的発展の歴史などを研究する人類学は「文化人類学」と「自然人類学」とに大別される。一般的に「文化人類学」は言語や社会的行動、さらには諸々の文化などに代表されるような、他の生物とは異なる人間の特殊性やその存在意義を探ることを研究の目的としている。それに対し、「自然人類学」のほうは、自然科学的な観点と手法に基づき、人類と他の生物との生物学的関係性、さらには過去から現在に至る諸々の人類間の生態学や構造学上の相関性の有無を調べ、それらのデータをもとに人類の進化やその分化派生の様相などを考察する。近年、人類学においては自然人類学のもつウエイトが増大しつつあるが、その中でも特に昨今大きな注目を浴びるようになったのが「遺伝人類学」と呼ばれるゲノムの解読技術を応用した新しい研究分野である。

かつて、人類の進化を研究する仕事は原人や旧人をはじめとする古代人類の化石や遺骨の発掘検証とほぼことだと考えられていた。むろん、現在においても進化の直接的な証拠のひとつとして化石や遺骨はきわめて重要なものであるが、発掘された貴重な化石や遺骨が人類進化の過程のどこに位置づけられるのか明確には特定できないこともよく起こる。それに対し、現存する人類の遺伝子を調べる場合には、対象となる遺伝子には必ず共通の祖先が存在するのでなにかしらの有意な結果を得ることができる。人間にもっとも近い生物がアフリカに棲むチンパンジーであることがわかったのもゲノムの解析を通じてなのだ。分子進化速度(遺伝子の進化する速度)はほぼ一定であることがわかってきたため、遺伝子の変化量を進化過程の時間の長さに置換することもできる。その方法により、ヒトとチンパンジーの祖先が分化したのは五~六百万年前だと推定されるようになった。

膨大な数の遺伝子を解析して得られるデータを整理・蓄積するために、現在ではさまざまな遺伝子データベースが構築され、それらを用いて各遺伝子間の遺伝子距離の算定や遺伝子進化のシミュレーションなどが行われている。ただ、多数の遺伝子を比較する際、検証の必要な系統関係が爆発的に増加する「組み合わせ爆発」という現象が起きる。わずか十個の遺伝子を比較する場合でも約三千四百四十六万通りの系統関係が想定されるので、もし全遺伝子を比較し正しい系統関係を把握しようとすれば、現在最速のスーパーコンピュータを用いても宇宙年齢の何倍もの計算時間を要することになってしまう。そのため、最新の遺伝人類学においてはミトコンドリアという細胞内の微小器官に存在する小さなDNAを調べる方法が用いられる。百個以上のミトコンドリアのDNAを一度に比較してそれらの間の系統関係を推定する試みで、その検証作業の効率化が現在精力的に進められている。

現人類誕生は十五万年前か

米国の集団遺伝学者スペンサー・ウエルズが率いるナショナル・ジオグラフィック協会は、IBMの支援のもと人類史を探る壮大なジェノグラフィックプロジェクトを展開中で、その研究チームは世界中から八万人分ものミトコンドリアDNAを提供してもらい、その分析を進めてきた。ペンシルべニア大学の根井正利教授らのグループも同様の研究を促進している。また、米国とドイツの共同研究チームは昨年ネアンデルタール人の化石標本から抽出したゲノムの一部の解読に成功、現人類のゲノムとの比較結果をネイチャー誌とサイエンス誌に発表した。日本でも国立遺伝学研究所の斎藤成也氏や国際日本文化研究センターの尾本恵市氏らが、多数の遺伝子データを用い、近隣結合法という新たな人類系統樹作成法によって日本およびその近隣地域の住民のルーツ探究を進めてきた。遺伝人類学はなお発展途上にはあるものの、それらの研究によって明かされた人類史の事実は大変に興味深い。

遺伝人類学者らは得られたデータをもとにして現人類(ホモ・サピエンス)の誕生地とその拡散・分化の過程を推定している。研究者による推定値にいくらかの違いはあるが、現人類の祖先は十五万年ほど前にアフリカのタンザニア周辺で誕生し、十万前までにその子孫はアフリカ全土に広がるとともに、シナイ半島経由で中東地域に到達したようだ。だが、何らかの理由により数万年間その一帯に留まり、その後再び全世界へと住域を広げていった。西に分岐したグループは四万年前までにはヨーロッパ全域に広がり、また東に分岐したグループは五万~七万年前にインドや中央アジア一帯に進出、さらに四万年前には東南アジアやオーストラリアへと到達した。現在の日本人の祖先も三万~四万年前くらいにはこの地に住みついたと推定されている。中央アジアに到達した現人類は、一万五千年~二万年前くらいまでにはベーリング海峡を渡って北アメリカに進出、一万三千年前には南アメリカ北部に到り、ほどなく南アメリカ南端部に達したと考えられている。

旧石器時代人に属するネアンデルタール人や、それに先立つジャワ原人、北京原人などのルーツも以前に中央アフリカで発見された原人であることが明らかになっているが、昨今の斬新な研究によって、それらは従来考えられていたような現人類の祖先ではないことが明確になった。世界各地に存在した原人がその地で独自に進化して現人類になったという「多元発生・並行進化説」は完全に否定されたのだ。ただ、二万五千前までには絶滅したことがわかっているネアンデルタール人と現人類とが共存していた時代があったことは確実だ。進化の過程できわめて近い関係にある両者間で混血が生じた可能性もあるとされたが、これまでのゲノム解析においては交配の事実を示すデータは得られていない。ネアンデルタール人の全ゲノムの解読や世界各地の先住少数民族のゲノムデータ収集が目下進められているところであり、その結果次第では混血の可能性が再浮上することも皆無ではない。ただ、スペンサー・ウエルズらの見解のように、「両者が交配を試みなかったとは断定できず、両者間に生殖能力をもたない子どもが生まれた可能性はある。しかし、現代人に繋がる事実上の混血は起らなかった」とする立場が主流である。

現人類拡散の過程で、中東地域において数万年にも及ぶ滞留期間が生じた理由は謎である。ただ、一つの仮説として、中東地域を中心に広くユーラシア大陸各地に生息していた旧人類ネアンデルタール人との生存競争に勝ち抜くことが容易でなかったからだとは考えられる。イラク北部のシャニダールで発見された屈葬遺体に数種類の花粉が付着していたことなどからして、ネアンデルタール人には花を供え死者を悼み弔うるほどの精神文化があったと推測される。狩猟用の槍やハンドアックスをはじめとする多数の旧石器類も発見されている。相当な文化と技術水準を有していたそんなネアンデルタール人に打ち勝つのは現人類の祖先らにとって至難の業だったに違いない。それゆえに数万年をも要しはしたが、現人類はその長い戦いの歴史を通じて当時としては革新的な新技術や言語文化を発達させ、最終的にネアンデルタール人を征服し、その後はいっきに全世界にその居住域を広げていったのであろう。

遺伝人類学の進展により、以前からいろいろと議論の尽きなかった日本人のルーツについても新たな見方が生まれている。旧石器捏造事件が発覚して以来、十万~五十万年も前のものとされた遺跡や遺物類の研究がことごとく否定される事態になったが、最古の現人類が日本に定住したのは早くとも3万年前後とするゲノム解析の結果もその正しさを裏付けている。また、これまで、現日本人は旧日本人(縄文人)系と北東アジアからの渡来系新日本人との混血からからなるという二重構造説が有力視されてきた。この説では縄文人系に近いアイヌ民族や沖縄人は南アジア系人種の子孫であるとされ、遺伝学的にもそのことが立証されることが期待されてきた。

だが、根井正利教授をはじめとする遺伝人類学者らは「アイヌ人、沖縄人、本州人のゲノムデータは南中国、台湾原住民、タイ人、フィリピン人らのそれとはまったく異なっており、日本人の三集団はいずれも北アジアに起源をもつと考えられる。アイヌと他の日本人とは縄文早期に分岐し、沖縄人はそれよりのちに分岐した枝流のようだ」という、従来の二重構造説を否定する見解を発表した。そのため、最近では現日本人は北東アジアの後期旧石器時代人に由来するとする見解が主流となり、クサビ型細石核をもつ細石刃文化を担った東日本一帯の人類集団の技術はバイカル湖周辺から伝播したものだとみなされるようになっている。細石刃は当時としては革新的な技術であり、日本各地で自然発生したとは考えにくいこともその大きな理由の一つである。

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