執筆活動の一部

6. 彗星探査機ディープ・インパクトの舞台裏

彗星探査の科学的意義

今年一月十二日にNASAが打ち上げた彗星探査機ディープ・インパクトが、半年近い飛行のすえに目標とするテンペル第一彗星に接近、インパクター(衝撃弾)と呼ばれる長径一メートルほどの子機を彗星の中心核表面に打ち込んだ。打ち上げ当初から、NASAは彗星核への子機突入を独立記念日の七月四日に決行しようと目論んでいたが、すべての点において計算通りの成功を収めたことは驚嘆に値するだろう。

太陽から九百億キロメートル離れたあたり、すなわち、太陽と冥王星の平均距離の十五倍ほどのところに、エッジワース・カイパー・ベルトと呼ばれる特殊なゾーンが存在する。太陽から光速で八三時間ほどもかかるこのベルトゾーンには、四六億年前に誕生した原始太陽系の名残をとどめる微惑星が多数浮遊していることがわかっている。微惑星とは成長途中の太陽系初源物質が惑星や衛星にまで発達することなく、大きな氷塊や岩塊のまま取り残されたもので、短周期の彗星のほとんどは、このベルトゾーンで誕生したものだと考えられている。周期五・五年のテンペル第一彗星の軌道は遠日点(太陽から最も遠ざかる地点)でも土星の軌道より内側にあるが、もともとはエッジワース・カイパー・ベルトから飛来した微惑星が木星などの重力の影響をうけ、現在のような軌道をとるようになった。そのため、主に氷や炭素化合物からなるこの彗星核は、四六億年前の太陽系誕生時の情報や生命誕生の謎を解く鍵となる初源的な有機物質形成についての情報を秘めているといわれ、近年、世界中の宇宙科学者がその探査実現に大きな期待を寄せてきた。

銅製で重量三七〇キロの子機は、標的とするテンペル第一彗星を搭載カメラでとらえながら急接近し、長径十四キロ、短径四・五キロのジャガイモ状のその中心核に秒速十・二キロの高速で激突した。衝突の瞬間には巨大な閃光が漆黒の宇宙空間に広がり、その衝撃によって核表面の細かな塵埃や核内部の氷塊などの物質が粉塵となって高々と噴き上がった。彗星核に五百キロのところまで接近した主機のフライバイ(「飛び去る」の意味)は、十五分間ほどにわたってその様子を観測撮影し、そのデータを即刻NASAに送信した。また、ハワイにある国立天文台のすばる望遠鏡、NASAのハップル宇宙望遠鏡、欧州宇宙機構の宇宙探査機「ロゼッタ」なども、子機衝突の瞬間を観測することに成功した。

衝突直後の閃光の明るさと広がりが予想以上に大きかったことから、彗星核の表面がパウダー状の微粒子に覆われているらしいとわかり、その組成の解析なども研究者の関心の的になっている。地球上の生命や海水の起源にも彗星が関係しているという説が有力視されるようになってきているだけに、探査データの解析結果公表が待ち望まれているようだ。

ミッションの裏に隠された狙いとは?

ディープ・インパクト計画に要した費用は三七〇億円ほどだから、米国の年間宇宙開発費総額の二パーセントほどを占めるにすぎない。ただ、少ない経費ですんだのは技術や設備の蓄積があったからで、この計画の狙いそのものはきわめて大きい。探査対象の彗星がたまたま地球に近づく時期だったとはいえ、独立記念日に子機を彗星核に突入させるなど、その計画の裏には、国威発揚の意図や自国民の精神の昂揚を煽る思惑が見え隠れしてならない。もちろん、他国に対して自国の科学力を誇示する狙いもあるのだろう。

欧州宇宙機構の「ロゼッタ・ミッション」の統括者マンフレート・バールハウトのような専門家さえもが、「率直にいうと、米国のこのミッションが成功するかどうか疑わしいと思っていた。それが、これほど完璧な成功を収めたとは尊敬にも値する」と語っているほどに、その技術の高さは驚異的なものなのだ。ただ、四億三千万キロメートルを飛行した探査機が地球から一億三千万キロメートル離れたところにある彗星の中心核に突入したといわれても、その技術の凄さが一般人にはピンとこない。あまりにも数値が現実離れしているからだ。

いま、子機突入時における地球とテンペル第一彗星間の距離一億三千万キロメートルを十キロメートルに縮小して考えてみよう。一月十二日に地球上から発射された長径四千分の一ミリ(三・二メートル)の探査機ディープ・インパクトは、秒速二・二ミリ(秒速二八・六キロ)で螺旋状の軌道を描いて遠ざかり、約三三キロ(四億三千万キロ)の飛行を経て半年後に彗星との遭遇地点に到達する。その間に、長径一・一五ミリ(十四キロ)、短径〇・三八ミリ(四・五キロ)のテンペル第一彗星のほうは、探査機の螺旋軌道面に対してかなりの傾斜角をなす長楕円軌道上を毎秒二・三ミリ(毎秒二七・三キロ)ほどの速度で約三五キロ(四億五千万キロ)移動し、探査機と遭遇する。探査機が彗星核に六七・六メートル(八八万キロ)のところまで近づくと、長さ一万三千分の一ミリ(一メートル)ほどの子機が分離され、その子機は自動制御のもと、公転と自転を続ける彗星核に秒速〇・七八ミリ(秒速十・二キロ)で接近し、突入する。子機のほうもまた単純な直線軌道をとるわけではない。

直線距離で十キロ離れたろころにある一・一五ミリ×〇・三八ミリの静止した的に、秒速二・二ミリで発射した長さ四千分の一ミリの弾丸を、真っ直ぐな弾道で命中させることでさえおそろしく難しい。これは、東京から発射した長さ〇・〇一ミリメートルほどの弾丸で、大阪に置かれた四・六センチ×一・五センチの標的を打ち抜くようなものである。だが、今回のディープ・インパクト・ミッションは前述したような複雑な相対運動を経たうえでの突入成功なのだから、そんなものとはとても比較にならないほどに困難な企てだったのだ。したがって、計画完遂にいたるなでに想像を絶する超高度な技術開発がなされたことは間違いない。しかも、極めて精緻な無人探査機制御機構の構築、そのために必要な各種コンピュータ・ソフトウエアの開発、特殊画像の撮影とその解析技術の実現、高度な暗号処理技術をふくめた高速通信処理システムや誘導システムの配備、超高性能の目標自動追尾システムの研究開発など、それらのいずれもが即座に軍事技術に転用可能な研究ばかりなのである。かつてのGPSがそうであったように、最終的には民需への転用が目指されるとしても、まずは軍需優先だろう。

実は、国家予算の膨大な赤字に苦しむ米国が惜しげもなく宇宙開発に多額の国費を投入するのにはより大きな訳がある。圧倒的な科学力で常に世界の覇者たらんとする米国は、科学技術の最先端を独走し続けなければならない宿命を負う。過去においては国を挙げての大戦争が科学技術や経済の飛躍的発展の原動力となった。しかしながら、時代は移り、大戦争や単純な軍拡競争下での殺戮兵器開発とそれらに基づく経済や科学技術の発展には限界が見えてきた。そこで米国は、技術革新に貢献したかつての戦争の役割を宇宙開発の場に委ねようとしているのだ。未来の夢に満ちみちた宇宙開発ともなれば、名誉心を煽りつつ優秀な科学者や技術者の頭脳を無条件で結集できるし、彼らに直接的な良心の痛みが伴うこともない。戦争や軍拡競争などとは異なり、国民に堂々とその大義を説き国威発揚を鼓舞することもできる。達成目標を果てしなく遠くに設定するのも可能だから、技術的な収穫に限りはないし、初期目標の達成がならずとも副次的産物には事欠かない。こうしてみると、米国が宇宙開発に全力を注ぐのは当然のことといえるだろう。

カテゴリー 執筆活動の一部. Bookmark the permalink.