二〇〇八年度のノーベル賞授与式典も無事終わり、新たな年を迎えることになった。米国籍の一人を含む日本人四人がノーベル賞の栄誉に輝いたのは喜ばしいかぎりだが、これを契機に我が国の学術行政のありかたについて猛省を促すことも必要だろう。〇二年にニュートリノの研究でノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏は、「先生の研究は何に役立つのですか」という記者の問いかけに、悪びれることなく、「何の役にも立ちません」と即答したものだ。その言葉の含意をここで解説するのはやぼというものだが、この記者の問いかけそのものは、公的研究費の配分に先立ち、近年、この国の財務省や学術行政当局が大学や諸研究機関の研究者に対して行っている研究評価の査定基準と本質的に変わりはない。
小柴昌俊氏の愛弟子で、昨年七月直腸癌のため六十六歳で逝去した戸塚洋二氏は、実は昨年度のノーベル物理学賞の最有力候補であった。東京大学宇宙線研究所長だった同氏は、スーパーカミオカンデのデータでニュートリノ振動を確認、ニュートリノの質量がゼロでないことを立証、宇宙物理学界に一大センセーションを巻き起こした。戸塚氏は二〇〇一年に起きたスーパーカミオカンデの光電子倍増管大量破損事故の責任を取って東大を辞職し、高エネルギー加速器研究機に移籍したが、同氏が他界せずノーベル賞の栄誉に浴していたならば、その研究の実利性について恩師の小柴氏同様の発言をしていたかもしれない。
昨年ノーベル物理学賞を受けた南部陽一郎、小林誠、益川敏英ら三氏の研究もまた、国威発揚に大きく貢献はしたものの、実利的な見地からすれば何の役にも立ってはいない。極論すれば、それら一連の研究は、大宇宙の存在理由やその根源的メカニズムの解明を願う、人類古来の「知的好奇心」を満たすだけのものに過ぎない。もちろん、ノーベル賞の対象となった過去の業績の中に実益度の高いものが数多く存在したのは事実だが、そのような研究の場合でも、その有益性が明らかになったり民生技術への応用がなされたりするまでにはずいぶんと時間を要したものが少なくない。「成果主義」の旗印のもとにノーベル賞級の研究促進を図ろうとする昨今の学術行政の「成果」など到底期待できそうにない。そもそも学術的成果とは、偶然芽生えた未知の樹に実る予想外の新果実であるからだ。
「無益」から生まれた「有益」
化学賞に輝いた下村脩氏の緑色蛍光蛋白の研究は、他の研究者によって生体細胞研究に不可欠な技術へと高められ、生命科学全般の発展に多大な貢献をする運びとなった。ただ、下村氏自身は純粋に知的な好奇心に基づいて研究を進めただけで、現在見るような貢献を想定していたわけではない。化学賞の選考委員長を務めたストックホルム大のグンナル・フォン・ヘイネ教授は、その事実を十分に踏まえたうえで、「基礎研究にかけた下村氏の純粋な情熱とその後の応用研究発展のプロセスは、科学の進歩の本来あるべき姿を象徴している。その意味でも下村氏らの研究はノーベル賞にふさわしい」と述べている。その言葉は、同賞のなんたるかを何よりもよくものがたっていると言ってよいだろう。
小柴氏が実益性はないと答えたニュートリノの研究も、ここにきてその業績を根底で支えた特殊技術が実用化され大きな注目を浴びている。宇宙などから飛来するニュートリノは、神岡鉱山の地下一千メートルの深さにある貯水槽を通過する際に水中の粒子と衝突し微小な帯電粒子を弾き出す。弾き出された粒子は、水中を走る際チェレンコフ光と呼ばれる極めて微弱な光を発するのだが、ニュートリノの検証にはそのチェレンコフ光の観測が不可欠だ。通常の手段では検出不可能なその微弱光を捉えるには、光電子倍増管という特殊な装置が用いられる。ニュートリノ検証用の光電子倍増管の製作には高度な技術と天才的職人芸を要するため、その専門メーカーは浜松ホトニクス社のみである。陰にあってニュートリノの研究に多大な貢献をした同社は、最近、国立環境研究所との共同研究により、光電子倍増管技術を応用した「光バイオアッセイシステム」の開発に成功した。ちなみに、「バイオアッセイ」とは「生物を用いた化学物質の特性検定評価」のことである。
植物は光合成によって細胞にエネルギーを蓄積するが、光を遮断すると光合成の逆反応の「遅延発光現象」が起こり、蓄積エネルギーが微弱光となって放出される。超高感度の光電子倍増管を用いてその遅延光の発光量やその変化量の推移パターンを細かく計測すると、藻類や植物の生長様態を的確に推計できる。光合成代謝を阻害する化学物質の検証をおこなう「藻類成長阻害試験」にこの技術を応用すれば、化学物質の毒性判定を短時間かつ低コストで行える。その技術を実用化したものが「光バイオアッセイシステム」なのだ。
従来の「藻類成長阻害試験」では、化学物質を吸収させた緑藻を七十二時間培養しそのあと化学分析を行うため、長時間を要し、一回の試験につき八十万円もの費用がかかった。だが、この新システムを用いれば検査時間も二十四時間以下に短縮され、検出装置も小型でそれと連動するパソコンによって即座にデータの処理収集ができるので、コストは十分の一ですむ。また、従来とは違い、毒性の強さだけでなく毒素の性質まで分析できる。何万種類もある化学物質のうち、その毒性が検証済みなものは五百種弱に過ぎないが、この新システムの開発により化学物質の毒性検証の迅速化が可能となった。さらに、諸々の水質管理、植物生育状態の検証や作物の品種改良、生態学の研究などへの同システムの応用も期待されている。浜松ホトニクス社製の光電子倍増管は、そのほか、医療診断システム(ガンマカメラやPET)、血液分析、石油探査、環境測定、製版用ドラムスキャナ、各種電子機器材料の開発などにも広く用いられるようになっている。
未来の業績の芽を摘む成果主義
国家財政の逼迫に伴う小泉改革以降、実益に直結しない基礎科学研究費はむろん、科学研究費全般も年々削減され、大学や諸研究機関には「成果主義」の嵐が吹き荒れている。研究成果を評価し、優れたものに多額の研究費を投入するというのが狙いだが、その時点では有意性が定かでない基礎科学研究の評価は不可能に近い。勢い評価は実益性をアピールした研究に偏り、基礎科学研究は日陰に置かれる。評価に当たる人物の能力も問題だ。基礎研究育成のプロジェクトに二十五年余取り組んできたという科学技術振興機構の北沢宏一理事長は、「日本人のノーベル賞候補は私たちが支援してきた人たちだけで二十人近くいる」と述べているが、すくなくとも近年の成果主義の実態はその理念や主張とは相容れない。研究費欲しさに見せかけだけの成果を訴える姑息な論文を仕上げ、高い評価を期して書類作成に奔走する昨今の研究者の姿は異常である。ノーベル賞受賞者輩出のこの機会に、指導的立場の科学者らは基礎科学再重視の学術行政実現に積極参画するべきである。