執筆活動の一部

18. 雪景色考

真の雪景色に出合うには

一口に雪景色とは言ってみても、平穏な時の流れる村里の生活と深く結びついた雪景色から冷然として人跡を阻む厳冬期の峻厳な山岳風景にいたるまで、雪のつくりだす景観にはさまざまなものがある。ただ、生涯忘れ難いものとして胸中深くにその感動が刻み込まれるような雪景色に遭遇したいと思うなら、それに伴ういささかのリスクや不便さは覚悟しておかなければならない。換言するならば、いくらかなりとも本来の意味に近い「旅」をするように心がけておく必要がある。ちなみに、ここで言う「旅」とは、日常性を脱却し、見知らぬ人々や未知の風物との出合いを求めて異質な空間へと飛び込んでいくことを意味している。日常生活の快適さと絶対的安全性を旅の先々にまで求めるとすれば、それはもはや「旅」ではなく「旅行」になってしまう。何が起こるかわからないからこそ旅なのであり、その意味からすると、「旅は無計画をもって至上とする」と言えないこともない。

雪景色などと言うと、冬の北国に出かけさえすれば容易に見られるものだと思っている人がほとんどだろう。だが、すべてが便利で安全になったこの現代社会にあってさえも、真の雪景色にめぐり合おうと思うなら、何が起こるかわからない非日常の「旅」の世界に身を置くしかないのである。そのかわり、いったん、そんな本物の雪景色に出合う機会に恵まれでもしたら、体内深くまで染みついた日常的な価値観を一掃され、あらためて己の生のなんたるかを根底から問い直させられたりもするだろう。磨り減って鈍くなった五感もいくらかは鋭さを取り戻すに違いない。またそれでこそ、至上の風雅を追い求めた多くの先哲らが冬の旅に託した想いのほどもまた窺い知れようというものだ。

零下三十度近くにも気温が下がることもある冬の摩周湖の寒さは厳しい。真冬でも車によるアプローチは可能だが、路面が凍結しているから運転には細心の注意が欠かせない。場合によっては車を乗り捨て、防寒具に身を固め展望台まで何キロも歩いて行く覚悟もいる。観光シーズンには来客で賑わう展望台一帯も冬場になると人影はほとんどない。だが、凍結し純白の雪で覆われた眼下の湖面の輝きと、その向こうに鋭い山頂を煌かせ凛と聳え立つ摩周岳の威容を望むとなるとこの時期を外すわけにはいかない。天候に恵まれた冬の日の早朝や夕刻ならその感動はひとしおだ。朝日や夕日に映えわたる荘厳な摩周湖や摩周岳、さらにはその向こうに連なる斜里岳や海別岳、遠音別岳などの景観は、自然美の真髄のなんたるかを教えてもくれる。それなりの準備と覚悟は必要だが、できることなら冬の満月の夜かその前後の月夜を選んで展望台に立ち、煌々と澄み冴え渡る月光の下で摩周湖を眺めてみるとよい。魔力をも秘めたその美しい光景に魅せられて、人生観や死生観までが変わってしまうだろう。冬の摩周湖を訪ねるだけの行動力のある人なら、そのついでに知床五湖近辺の純白一色の広大な雪原にまで足をのばし、羅臼岳や硫黄山の神々しいまでの山影を仰いだり、雪と戯れるキタキツネの愛らしい姿を眺めながら心身の浄化をはかるのも悪くない。独り冬の旅を続けていると、他の旅人と出合うこともある。そんな時にはどちらからともなく自然に言葉を掛け合ったりするものなのだが、初対面なのに不思議なほどに心が通い合い、それがきっかけとなって親交が深まっていくこともある。

暗く淋しい雪景色にもまた……

暗く淋しい冬の岬の小集落などを訪ね、その雪景色と対峙するのも一興だ。太宰治の「津軽」の中にも登場する津軽半島最北端の竜飛崎の小集落はその好例と言えるだろう。北に津軽海峡を西に日本海を望むこの辺境の地の荒涼たる冬景色は凄絶そのものだ。「津軽海峡冬景色……」と歌う石川さゆりの声までが聞こえてきそうな、白と黒と灰色の織りなすモノトーンの世界がそこには広がっているだけだ。重々しく垂れこめる黒雲のもとでは、海水のもつ青の成分すべてを抜き去ってしまったかのような灰色の海がゆえなき怒りを叩きつけるようにして荒れ狂っている。そして、その海面越しに吹きつけてくる烈風に煽られながら、折々冷たい雪が狂ったように降ってくる。美しさとはおよそ無縁のそんな風景をわずかに救ってくれるは、夕刻ともなると頼りなげに灯る民家の明かりくらいのものだ。だが、心ある旅人なら、この恐ろしく無機質な竜飛の冬の景色の奥に壮大な自然のドラマが秘められているのに気づくだろう。列島沿いに日本海を北上する対馬海流の表面からは大量の水蒸気が湧き昇って雪雲や雨雲となり、それらの雲は北西の季節風に乗って裏日本各地の上空に押し寄せ一帯の山野に大量の雪や雨を降らせる。竜飛の高台に立って日本海の沖合に目をやると、海面のあちこちから激しく立ち昇る幾筋ものそんな水蒸気の柱が見える。暗い海面からより暗い上空へと向かって激しく立ち昇るこの水蒸気柱こそは、雪景色をはじめとする四季折々の色彩豊かな自然界の風景と、そこで繰り広げられる数々の生命のドラマの隠れた演出者にほかならない。「竜飛」という風変わりな地名は、天に昇る無数の竜の姿ともまがうばかりのこの光景に由来しているのではないかとも思う。

心温まる雪景色

日本昔話に出てくるような温かくほのぼのとした雪景色の中にタイムスリップしたいなら、若狭の名田庄や飛騨白川郷、会津桧枝岐などを訪ねるとよい。いずれの場所も冬期のアプローチは容易でないが、現代の日本人が忘れかけた大切なものを取り戻すことはできるだろう。また、名庭園の雪景色ということになると金沢の兼六園がその代表格だろう。

もし兼六園を訪ねるのなら雪の降りしきる日にかぎる。この庭園の霞ヶ池のほとりには徽軫(ことじ)燈籠と呼ばれる風変わりな石燈籠が立っている。冬の霞ヶ池を背景に雪をかぶって立つこの石燈籠は兼六園の象徴的存在だ。徽軫とは琴柱、すなわち、和琴の絃を張り音程を調整する支柱のことで、二本の脚をもつその石燈籠が徽軫の形によく似ているのでそう呼ばれるようになったという。ある大雪の日のこと、独特の雪吊りなどでも知られるその園内をひとめぐりして風趣に富んだ雪景色の数々を楽しんだあと、私は再び徽軫燈籠の前にじっと佇んだ。いっそう激しさを増す雪は、まるで己の深い心の闇の奥底にまでしんしんと降り積もり、その冷たい闇をますます深めていくかのようだった。だが、そんな想いですっぽりと雪に覆われた徽軫燈籠を凝視するうちに、私は突然不思議な幻覚に襲われた。明かりの灯っているはずもないその燈籠になぜか明るく暖かい火が灯っていて、その光が、これでもかとばかりに心の闇に降りしきる雪を幻想的な美しさに照らし出してくれているかのように感じられたのだった。明るく輝く燈籠の明かりは、まるでなにかを暗示してくれているかのようだった。暗中摸索しながら歩いてきた来し方の闇の道は、たとえ明るく照らし出されていようともいまさら引き返す気などはない。だが、行く手の闇に立ち向かうとなると、せめて叡智のかけらのそのまたかけらの放つくらいの光は携えて進みたかった。幻に見た徽軫燈籠の明るく暖かい光は、そんな叡智を多少なりとも身につける秘訣のようなものを、さりげなく教示してくれているように思われてならなかった。

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